介護福祉士と社会福祉士、精神保健福祉士。

今年受験して合格した人は多かったのではないでしょうか。

これで、みなさん国家資格保持者です。

「私は介護福祉士です」と言えたり、「社会福祉士」と名刺に書き加えたりすることができます。

さて、こうして「福祉士です」と名のれるからには、それなりの義務や責任もついてきます。

福祉の看板を背負って働くわけですから、あなたが「福祉職のモデル」になります。

ですから、福祉職の信用失墜になるようなことはしてはいけません。

さて、福祉職員にまつわるニュースで多いのは、虐待ですね。

殴る蹴るの身体的虐待が一番多いです。

するべき介助をしないで無視するネグレクトや、否定的なことばで攻撃する心理的弱体も多いです。

福祉士の資格を持っている人が虐待を起こすと、それを知った人は、「福祉の人間ってなダメなヤツばかり」と思うようになります。

そうなると、福祉の仕事は大変だとイメージがよけいについて、人材が集まらなくなります。

虐待しはしった理由に、「仕事がたいへんだった」なんてニュースがながれると、さらに福祉は大変と思われます。

しかし福祉の仕事は、働く人が財産です。

働く人が集まらなくなると仕事が回らなくなります。

こうしてどんどん福祉の仕事の質も量も下がり、ますます今働いている人へ負担は大きくなる負のスパイラルにはまりこんでいくわけです。

ですから、利用者に対しても、日本の福祉モデルのためにも、虐待をしてはいけないのです。


私はここで、「ぜったい虐待すんなよ!」とがまんを強いるつもりはありません。

むしろ、せっかく国家資格を持っているのだから、これを有効利用してほしいです。

具体的なことは次回に書きます。
トルストイとドフトエフスキー。

どちらもロシアの作家で、世界に誇る文豪です。


私はキリスト教の正教会に興味があるので、2人の本を読むのが好きです。

トルストイは、「アンナ•カレーニナ」や「戦争と平和」

貴族の生活を中心とした華やかで壮大な物語。


一方、ドフトエフスキーは「罪と罰」や「悪霊」、「カマラーゾフの兄弟」

アウトローな人物を中心としたサスペンス物語。


2人は育ってきた環境から、まったく違う小説を書いてきました。


物にあふれた社会で生きていたトルストイ。

欲望に流さられず、心の平安を求めてより善く生きることを追求しました。


ドフトエフスキーは、法律やルールを超えた、「超人」的な生き方を探しました。


トルストイは、自然とともに生きることをなげかけました。


ドフトエフスキーは古い法律や宗教を超えた生き方を問いました。


こうしてみると、トルストイは自分を律すること。

ドフトエフスキーは、自分を解放することを大切にしてきたようです。


2人ともロシア正教会の影響を受けた作家です。

正教会では、本来の自分にあった生き方を大切にして、それ以外の生活を「罪」とします。

大切なことは、自分らしく生きることであって、反対に的外れな生き方を罪の生活と呼んだのでした。


さて、現代の日本。

モノに囲まれている点では、トルストイが参考になります。

でも世間体や古いルールに縛られているところでは、ドフトエフスキーが役に立ちそうです。