どーも!romiです。

 

 

今日はコロナ禍の子育て

そろそろ大人が変わるべき時なのかな?

ってつぶやきです。

 

 

この生活が始まって1年半あまり。

私たち大人もいろいろ大変だけど

子どもたちもずいぶん

窮屈で、燃焼しきれないことが増えて

いつしかそれが彼らの「普通」になってきてる。

 

 

で、大人は思うわけさ。

 

 

修学旅行、行かせてあげたかったな

運動会、体育祭、させてあげたかったな

思うように友だちと遊べなくて

可哀想だな

 

 

友だちと思いっきり

騒いだり笑ったり泣いたりすることを

この子たちは知らずに

大きくなっちゃうなんて

なんか気の毒だな

可哀想だな…

 

 

私も息子の節目節目で

例えば

学校の行事や大会が

ことごとく中止になったり

卒業式も入学式も縮小開催…なんて時に

そんな気持ちがわき上がってました。

 

 

 

先日、息子の部活の先生の

お話しを聞く機会があってね。

このようなことを仰っていたの。

 

 

 

「いま、コロナの時代で大人から見ると

コロナ前の通常通りの活動を知っているだけに

『可哀想だな』

という気持ちがつい出てきてしまいますが、

 

 

この子たちにとって

コロナ禍だろうが通常だろうが

この時間が青春。

 

 

子どもたちに

『自分たちは可哀想だ』

と思わせたくないのです。

 

 

感染対策を講じながら

いかに彼らの青春が充実するものになるかと

考えながら指導してきました」

 

 

 

…ハッとしましたね。

 

 

可哀想だな

きゅうくつだろうな

気の毒だな

 

 

…って、子どもの思いに

寄り添って、共感することは大切。

 

 

ただ、そんな思いのまま

ずうーっと子どもに接すると

「この子は可哀想」

という気持ちは伝わっていく。

 

 

そのうち

「自分は・自分たちは可哀想なんだ」

と思うようになってしまったら。

 

 

被害者意識をもったまま

大人になってしまうのではないかと。

そして、自分のチカラで

何かをしようという意欲すら

奪われていくのではと。

 

 

高校1年生の夏は一度きりだし

10歳の夏も

5歳の夏も一度きり。

なんなら○○歳の私の夏もあなたの夏も、ね。

 


社会の情勢を見ながら

対策をしながら

今、このときにできることを

やりたいことがやれるように

背中を押してあげたいね。

もちろん、感染しないように注意を払うのは大前提ですが。

 

 

そのためには

まず大人が

「可哀想な自分」から抜け出して

日々を愉しむ姿を見せたいな。

 

 

「この子たちは

日常が奪われて

可哀想だ、気の毒だ」

そこから抜け出すステージに

まずは大人が立たなきゃなあ。

 

 

そんなわけで

今日はちょっと熱めなつぶやきでした。

 

 

ではまた~!

 

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ハート元・中学校教諭&今は幼稚園と高校で働き

ときどき子育て中のお母さんに向けに

アドラー心理学をベースにした

個人セッションや講座をやっております。

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私romiの講座は、川口市、さいたま市緑区、さいたま市浦和区、さいたま市南区、越谷市、草加市、八潮市、蕨市、鴻巣市、所沢市、羽生市、久喜市、東京都八王子市、千葉県柏市、茨城県取手市 の方にご参加いただいています。