『秋と名言スペシャル』
お久しぶりです。三期の竹葉です。
二週間程前は暑い暑いと言いながら袖をまくったりしていたのですが、あっという間に冬になりマフラーが手放せなくなりました。今年の冬は急ですね…。
冬と言えば、前回の冬公演『ロミオとジュリエット』の演目発表から今月でざっと一年が過ぎました!びっくりです!思い出せばあれは初めて演出をした公演…。そして初めて千秋楽で号泣した公演…。
今では笑い話ですが、当時は「これ以上のカンパニーはもう見つからない」「これ以上の公演はもう打てない」と、本気で思ってました。みんなには秘密ですが(笑)
あの公演から一年弱。私が会長職を譲り受けてから、様々なことが起きました。新入部員を血眼になってかき集めた春。レパ選で鎬を削った夏。そして、秋公演の白雪姫をめぐる様々な出来事。部員の出入りも多く、意見のぶつかり合いも多く、実に沢山のことを経験させてもらいました。短いはずなのに濃密な時間を過ごしたというのは、このサークルに居るとよく体感することです。
さて、私の大好きなミュージカルで、主人公の父親が言ったセリフに、こんなものがあります。
『人生は短すぎて、退屈している暇などない』
そして、私が大好きな歴史上の偉人である織田信長は以下のような名言を残しています。
『人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり 一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか』
そう。人間の五十年は極楽の一昼夜。あっという間に過ぎ去るもの。そしてその上、すべてのことが手を伸ばせば届く距離にあります。やりたいことも、できることも、やろうと思えばすぐにできます。でも、すべてをこなすには、この一生はあまりに短いです。たった一つの経験をする間にも、刻一刻と人生は進んでいます。そう考えたら、この大学生活って短すぎて短すぎて。学びたいことも沢山あります。やりたいことも、叶えたい夢も沢山あります。でも、短すぎる。
時に振り返り、過去に起きたことを清算したくなります。あの時ああしていればよかった。あの時こうしていればよかった。この選択は正しかったのか、間違っていたのか。
ガンジーは、後悔に対してこのような名言を残しています。
『私たちは人生の中で経験したことを、何もかも覚えていられるわけではない。むしろほとんど忘れてしまっていいのである。そうでなければ、後悔や迷いが頭から離れることがないだろう。ある出来事があって、そこから何かを学んだなら、起きたことは忘れてしまおう』
そう、学んでしまえば忘れればいい!忘れられればいい。でも、忘れられないのが人間です。過去がずっと背中に張り付いて、忘れたくても忘れられない時があります。こんな後悔をするのなら、いっそ何もしないほうがいいのか…。
しかし、そう悲観していても何も生まれません。悲しむ前に行動する。嘆く前に動き出す。すべては後悔しないため!
後悔という言葉は、新たな後悔を産んでしまいます。と、誰かが言っていました。調べました。ゲーテでした。
『焦ることは何の役にも立たない。後悔はなおさら役に立たない。前者は過ちを増し、後者は新しい後悔をつくる。』
私は、後悔は役にたたないとは思いません。後悔は時に足を引っ張る足枷であり、時に動きを封じる手枷でもあります。ですが、主人公というものは、時に手枷や足枷が必要なものです。枷があるから苦しみ、枷があるから乗り越えられる。枷があるから深みが出る。枷のない主人公なんて存在しません。
“Everyone is necessarily the hero of his own life story.”
アメリカの作家、ジョン・バースの一言です。
『誰であろうと、自分は自分という物語の主人公』
短い人生の、たった数十年、十数年の中で積み重なった後悔や経験が、今の自分を形成する要素であり、枷であり、背中を押してくれる風でもあります。人生という物語に深みを与えている。人生とは、面白いものですね。
さて!この話はこのあたりにして…。立ミュは次回公演に向けた新しい一歩を踏み出し中…ですが、白雪姫の再演が決定しました!会場は図書館にあるカンファレンスルーム!お時間ある方、興味のある方!ぜひ足をお運びください!
【公演情報】
11月ぴあら講演会・第2弾「ぴあらで観劇~秋、ミュージカルへの誘い~」
【日時】
2018年11月9日(金) 16:30~19:10
【場所】
衣笠キャンパス平井嘉一郎記念図書館1F
【上演作品】
『白雪姫another story』
演出・石川瑞希
脚本・関山博子
演出助手・竹葉みなみ
ぜひお越しください!