最近の天気はおかしい。

とりあえずとされる世間話にしては割と盛り上がれるくらいにはおかしい。

 

私は気圧が体に影響するタイプでは無いけれど、

雨はメイクとかが崩れるので普通に嫌だ。

 

お酒をたくさん飲んでいる。好きなので。

そうして過ごした日々を思い返しても、結局は酔っているので朧げで

なんか楽しかったな〜くらいの情報量で、きっとそれで良いのだが、

なぜか言い訳みたいな文章を書いている。

 

誰に向けてかは定かではない。

 

 

他人、知り合い、友人、恋人、家族、と名称がたくさんあるように、

完全に理解できていなくとも、心の中にはそういう線引きみたいのが存在している。

 

私は歌う道を選んで、絶対に出会わなかったであろう人たちとたくさん出会ってきた。

違う世界線の私はまた同じように絶対に出会わなかった人たちと出会っていただろうから、

言ってしまえばどう転んでもそうなのだが。

そもそも出会ってなかった人たちと出会うことは、いつもそうなのだ。

 

他人と知り合い、気づいたら友人ですと紹介しているこの流れのようなものを

俯瞰的に見るととても不思議で、恐怖すら感じてしまう。

 

誰かが私の心のちかいところに居て、一喜一憂させられることや、

私が誰かの心のちかいところに居て、大切にされていることは、

超でかいエネルギーが働いていて、段階を踏んだ奇跡だ。

 

それを運命と呼んだりすることもあって、まぐれであったりもする。

 

もうこの人と会うことはないだろうとか

この人の心の近くに私はいないだろうとか

憶測でしかない他人の中の、自分の立ち位置にいつも怯えている。

 

自分の中の自分の立ち位置に、いつも怯えている。

 

人を愛せないのは自分を愛せていないからかも、と

ふと思い立った。

それが正解なのかどうかは分からないし、

人によっては横とか縦とかに首を振るだろうな。

 

愛されたいが先行すると、視野は狭まる。

目的のために関わるには、人間はあまりにも曖昧なもので、

このへんちくりんな天気のように予測も管理もできやしない。

 

出前館からばかりLINEが来る休日。

昨晩の記憶を辿るも朧げで、なんか楽しかったな〜くらいの情報量で、

きっとそれで良いはずなのに、心臓で微動する体を見ていると

思考が巡っているであろう自分の皮膚の中身を無視してしまいたくなる。

 

 

なぜか言い訳みたいな文章を書いている。

 

誰に向けてかは定かではない。