買ったアイスラテのカップに
「天気の子」ってかいてあった。⬆︎









昨日の夜

寝ていたら

急に
思ったことがある。


私は
良くて悪い

私は
強くて弱い

私は
明るくて暗い

私は
優しくて意地悪

私は
正直で嘘つき

私は…

ってずっと続いた。

ずーっと
ずーっと
続けてるうちに

私は両方なんだ❣️

って思った。


今までは

私は良くなければいけない

私は強くなければならない

私は優しくなければならない

………

って思ってたけど

それだと
どーしても苦しい。


けど

両方だと思ったら
ホンワカと
氣が楽になった。

意識してないと
戻ってしまうけど

私はどっちもある❣️

って思うとホッとする。




でね。

「エライじゃん」

とか

「凄いじゃん」

とかも

ジャッジの一種だと
思ってて

言われると

嬉しい時もあれば
嫌な氣持ちになる時もある。


言われたら心の中で

「じゃ、
やらなかった場合は
偉くないんじゃん
ジャッジすんのやめろ
バーロー。」
って思いながら

まぁ落ち着け
「それはあの人の意見。」って
呟いてたんだけど。

それも
私のジャッジだった。



私は
偉くもなく
偉くなくも無い
本当なんだ。


そう思うとホッとする。


すると
ジャッジしてた時とは
違うものが自分から
発せられてるのが
わかる。


自分で発したものに
一番影響を受けるのが
自分だから
自分には
心地よい影響を
与えたい。


でもさ。

近しい人から
ジャッジされると
とても悲しくなってしまう。

ジャッジとは氣づいてなくても
影響は受けてるんだろうか?

少なくとも
私は悲しくて痛くて辛い。

なぜだか理由は
わからないけど。


でも
悲しいことは
悪いことじゃないのは
わかる

その後に

残念だ。
がっかりする。

そんな感情が出てきた。

その訳は

私がまだ
ジャッジをしているからだな。

そして、
理想の人は
ジャッジしない人だと

まだ
聖人のような人を
思い描いてるから。


私ってバカだなぁ。
って思ったけど

私はバカで利口だから
責めようがなくなった。


なんだよー。


全部ありじゃん。



今湧いてきた感情を
抵抗せずに感じきる。


あの人のおかげで
この感情達を
感じる事が出来た。



今日はこんな風に感じた日でした。



あのね。

感じる世界と

行動の世界の

両方ある。

今私は感じる世界のことを
書いたけど

行動する世界の事を書くと
こんな感じになるのかな?


今の仕事場の
マニュアルに

【人は出来ることと
 出来ない事があるので
それをお伝えして
自分と相手のニーズを
確認し合うことが
良い仕事をする上で
大切です。】

って書いてあったんだ。


自分は
出来るわけもないのに
パーフェクト
目指してだけど
(完璧主義だから)
仕事場のマニュアルから
そんな人は居ない。


って書いてあったのが
読み取れるから
とても素敵な仕事場だったんだって
ホッとした。

そう思ったら
パーフェクト
目指さなくて良いんだって
思って
安心して仕事できるように
なった。


それよりも大切な事は
自分の出来ることと
出来ないことを知ること。

そして相手に伝えること。

私の出来るは
あなたの出来ない

あなたの出来るは
私の出来ない

それでよかったんだ。

両方ある世界は
感じる世界でも
行動の世界でも
同じ

安心な世界だ〜。



それでは素敵な夜を。