パールは私たち家族の誇りです。 | パールの時間

パールの時間

パールとルビーとビジューの穏やかで楽しい毎日を綴りました。

時々 グルメも♪

前記事にたくさんのお悔やみのコメント、ありがとうございました。
全てのコメントがとても有り難く、胸にしみました。
この場を借りてお礼申し上げます。
また、追悼記事を書いてくださった方にも心から感謝いたします。
ありがとうございました。




昨日10時、世界一お利口さんで、誰よりも頑張り屋さんで、何度も奇跡を起こしてくれた愛おしいパールを家族4人でお見送りしてきました。




最後の最後、パールを乗せたエレベーターの扉が閉まった瞬間「ニャン」と言う小さな鳴き声を私と次女がハッキリと聞きました。
切なくて胸が張り裂けそうになりました。泣




ここから、少し遡ってお話したいと思います。
辛い内容も多くなります。
頑張り抜いたパールをどうか褒めてあげてください。


退院して2週間ほどはとても穏やかに過ごせていました。
この時点では、前回同様また元気なパールに戻ってくれると信じていました。

ところが・・・

退院後2度目の抗がん剤を投与する数日前から少しずつ食欲が落ち始め、2月に入ってからは全く食べてくれなくなりました。
(苦しむパールに強制給餌をするのが何よりも辛かった)

この頃から、酸素濃度の高い場所以外で過ごすことはほぼなくなり、土曜日の夜にはお薬を飲ませた後にひどい発作を起こしました。
「ごめんねパール!無理矢理お薬飲ませてごめんね!」もう、謝ることしか出来ませんでした。

翌日は抗がん剤投与の日でした。
病院までの間もってくれるか不安でいっぱいの中車を走らせました。

パール、頑張ってくれました。
(この時主人と話して、車の中でも使える酸素発生器の購入を決めました。でも・・・)


パールを先生に託し待つこと3時間。
それまで、寛解を目指し治療にあたってくださっていた先生から初めて辛い選択を示されました。

このまま入院し、痛みと苦しみを少し和らげるために点滴治療をする。(その場合でももって2,3週間)
もしくは、家に連れて帰り家族のもとで最後の数日を過ごさせてあげる。
この場合、徐々に衰弱し命の期限は1週間。。。。。。

お家に連れて帰る選択をしました。
もう迷いはありませんでした。
頑張ったから。パールも私も主人もたくさんたくさん頑張ったから。

会計を待つ間に、心配しながら待っている娘に「もう出来ることはなにもない。」と、LINEを送りました。
すぐに娘から「そっか。全部してあげられたってことだね😭」と返信がきました。
待合室で涙が止まらなくなりました。


その帰り道、車の中で・・・・・

走り出し5分ほどしたところで、パールの呼吸が乱れはじめ、激しく苦しみ出しました。
苦しんで苦しんで、のたうち回るほど苦しんで。。。
見ていることしか出来ない無力な飼い主です(涙)


最後は「パール、もう頑張らなくていいよ!
もう充分だよ!」
「ルビー!パールを苦しみから救ってあげて!もう迎えに来て!」と号泣しながら叫んでました。
その直後、「くーーーーーーー」と、小さな声で鳴いたのを最後に呼吸が止まりました。


苦しかった。私もすごく苦しかった。
もう限界でした。
これ以上「頑張って」とは言えなかった。
パールは充分過ぎるほど頑張ってくれたから。

パール、ごめんね。最後の最後で諦めてしまったママを許してね。


それから20分、お家に帰って来た愛おしいパールの体をキレイに拭いて、クーファンに寝かせてあげました。


ビーたん😭
寂しいね。

娘たちはすぐに駆けつけてくれました。

リン子ちゃんは、パールを覗き込んだ後、

椅子とテーブルを自ら運んで来て、パールの隣にピッタリ付け、積み木でパールのためにお弁当を作ってくれました。
パールは、お目目を薄っすら開け、にっこり笑顔になりました。

ありがとね、リン子ちゃん。





たくさんのお花に囲まれたパールは、
苦しみから解放され、穏やかな時間を家族みんなと過ごし、昨日お空へ旅立って行きました🌈


これからは、可愛いルビーの隣で、
私たち家族を見守ってくれることでしょう。


素晴らしい生命力を見せてくれたパール猫
今まで本当にありがとう。

あなたは間違いなく私たち家族の誇りです。



これからもずっとずっとパールと共に。。。