今から遡ること5年前。


2016年6月

起業して10周年にそれまでの10年を振り返ってブログを書きました。

このブログは自分でも読み返しては、その時には気がつくことができなかった、たくさんのヒントを見つけていますが、読んでくださった方々にも様々な想いや勇気を与えることができたようで、未だにいろんなメッセージをいただきます。


まだ読まれてない方はこちらからどうぞニコ

https://ameblo.jp/runa-mode/entry-12175125390.html



このブログを書いた5年前。

10周年を迎えるその年の年明け。

いつでも波瀾万丈な出来事が次々と起こる私ですが、その年ものっけから波乱が訪れました。


エラスチン美容の中心となる原液美容液の容器の支払いをすぐにしてくださいと連絡がありました。



小さな会社で、商品開発するための資金がなく

最初のコストは商品を供給してくださる会社に後払い(売れた分を支払う)と言う形で協力していただいていました。


予想していたよりも販売のスピードが遅く、資金繰りのために容器代の未払い分を払って欲しいということでした。


支払いの金額は300万円くらいだったかな?

何回かに分けてお支払いするということになりましたが、それまでの月々の売上では到底支払える余裕はなく、なんとかしてその費用を捻出しなくてはならないという現状でした。


その申し出を断ることもできたと思います。

当初のお約束では、売れた分で支払うということでしたから、急に払ってくれと言われることに対して、お断りしても良かったんです。


でも、私は考えました。


ここで逃げずに支払うための努力をすることが、必ず自分のためになるだろう。

さて、どうやって支払いをするためのお金を捻出するか?


来る日も来る日もその実現のための道を考えて

そしてある日、閃いたのです。

私は、さらに思い切った決断をすることになりました。


新商品の発売

https://ameblo.jp/runa-mode/entry-12119806285.html


エラスチン配合の酵素を新商品として発売し、売上を増やすことを思いつきました。


そもそもファスティングをきっかけに、オリジナルの酵素を開発したいという思いからスタートしたメーカーへの転身。

でも、なかなか思うような、納得できる酵素原料に出会えずにいたことから、たまたまご縁のあったエラスチンの美容商品の開発から手がけることになったんですよね。


なので、かねてからの想いを実現することと、その新商品の発売で収益を増やして、容器の支払いをしようと思いついたのです。


この酵素原料こそ、今もCOACERの商品となっているマクロビオティック酵素です。


私たちの商品開発の母体は、マーケティング会社時代のモニター組織から派生した商品開発プロジェクトというプロジェクトのメンバーさんたち。


いつでも新商品を開発、発売する時には、そのメンバーさんたちにクラウドファンディングのような形で、商品を予約注文していただき、発注するための資金を集めることができました。


そして、その商品が届いてからさらにキャンペーンを行い、サプリメント、原液美容液、そしてエラスチン酵素という三本柱で、さらに売り上げを増やすという作戦を行いました。


パッケージデザインはクラウドワークスなどでコンペを行い採用しました。

見たら何か分かるという、そのままの商品名も好きでした💗


エラスチン酵素はファスティング中にも持ち運びが便利なように、ペーストをスティックにして、水などに溶かして飲む「酵素ドリンクの素」みたいな商品にしました。


酵素原液にタンパク質であるエラスチンを添加するとソースみたいななんとも言えない味になるんですアセアセ

なので、酵素の原料に含まれるパイナップルで味付けをして飲みやすくしました。


その味がとても好評で、サプリメントと同じくらいの売上を上げるようになりました。


おかげで、支払う予定だった金額を捻出することができ、無事にミッションをクリアすることができました。


そこで、思うのが

支払いが終わったら、支払いに充てていたお金があまるようになるな!ということ


そこで、いつも頑張ってくれているスタッフの慰労も兼ねて、タイに社員旅行に行くことにしました。



しかし、波瀾万丈な私です。

これからは楽になるなー!なんて思っていた矢先

社員旅行を予約した後のこと


なんと、お隣の県である熊本で大震災が起きたのです!!


本震の日、私は大阪に出張していましたが、宿泊していたその大阪のホテルが揺れるほど、とても大きな地震でした。

今年2021年3月にようやく復旧した熊本城

震災で大きな被害があり、復旧までに5年もかかったそうです。


当時、弊社は地元を中心に販売していました。

そして広告の手法は自分とスタッフのFacebookのみ。


自粛ムードでキャンペーンも行えず、

被災地となった熊本や大分にも販売店があり、

売上が瞬く間に落ちていきました。



ようやく利益が残る。

これからは余裕ができる。


そう思ったのも束の間でした。



その後③


につづく