私のベトナム進出をきっかけに、ベトナムで何かやりたいという人たちが多く押し寄せてきて、拠点を持つことにした2017年10月
これまでの細かいベトナムでの日々はこちらに綴っています。
ここからしばらくレポートが更新されておらず、Facebookでは投稿していたと思うんですが、ちゃんと思い出さないといけないパートになってきました。
ホーチミンでの生活(おうち編)はありました。
日本では、その年の暮れ、提携先のMOMMY SPAさんが工場見学や九州工業大学の准教授に会うために視察にお招きしました。
ハノイでSPAを経営されているしずかさんも福岡まで来てくださいました。
11月のベトナム訪問である決意をした私。
そんな経緯から次のようなブログを投稿しています。
11月のベトナム訪問で決意したこともブログに書いていたような気もしたんですが、非公開にしている記事も見直してみたけどないんですよね。
ああ、たぶん
人が関わってのことだから、その時は書かずにいたのかもしれません。
ベトナムで自分の仕事と合わせて、お世話になっている会社のスタッフさんの面倒を見つつ、提携している鍼灸院のお弟子さんの面倒を見つつ、っていうか、こっちの方が何倍も大変でした。
あー、思い出してムカついてきた😤
なんでしょうね、見えない裏側を想像できない人が多すぎる!!
何をするにしても命懸けですし、精魂込めて取り組んでいるから結果が出てるんです。
簡単にうまくいくなんて、準備なくしてあり得ないんですけど、楽してうまくいってると思うんでしょうか?
とりあえず
ムカついた事件その①
ベトナムでお世話になっていた会社のスタッフである、優秀な通訳者チュンさん。
彼女はその会社の名義貸しの社長でもありました。
11月の出張の時に、ある悩みを打ち明けられます。
「給料が未払いの上、事務所の家賃の支払いが迫っているのに、待ってくれの一辺倒で不安でたまらない」
そして、その会社の現地スタッフとして別事業で駐在している友人からも同じような悩みを打ち明けられます。
「経費を精算してもらえずお金がない。」
どちらの事業も中途半端なまま、日本からほとんど来ることがなく、現場はほったらかしにされていました。
面倒見ていたのは私。
もちろん、お世話になっているからと無償でお手伝いいました。
住まわせているスタッフの分の家賃はもらってたかな?
でも、食事を作って食べさせたり、それ以上のケアをしていました。
慣れない異国での生活で、食事って一番大切だと思うんですよね。
仕事がスムーズに進むためには、スタッフの心のケアも大切ですから!
でも、私の仕事ではないんですけどね😅
「どこまで無責任なんだ!」
大の大人が、しかも男が
こんなに罪もない現地の女性が不安で不安でたまらないというのに、使ってやってるという気持ちなのか知らないけど、大切にケアすることもできないってどういうことなのか?
資金繰りが大変なのは分かる。
でも、それとこれは別の話です。
それに輪をかけて、別事業の方もとにかく雑で
経験もないできないことを、出来ない人を集めて投資をするっておかしいのですが、そうなってしまった原因も、すでにその時の私にはわかっていました。
いや、なんで分からないの?でしたけど。
今でも待ち受けにしているこのサイゴン大聖堂の写真
悩みを打ち明けられた事務所から、次の予定のために歩いていた時に、偶然前を通りかかりました。
それまで忙しくてホーチミン市での観光を一度もしたことがなかったんです。
何ヶ月も毎月のように来ているのにですね!
本当に多忙な日々でした。
この大聖堂の前に立った時、思わず涙がこぼれ
大号泣してしまいました。
そして、ひとしきり泣き明かした後に決意しました。
私がベトナムのスタッフさんの全てを引き受けよう!
給与と家賃と、彼女達が不安にならないように、私が支払ってあげたらいいんだ。
そのために、私はベトナムに拠点を移して、ベトナムでの事業をしっかりと構築しよう。
そこから、本格的なベトナムでの暮らしが始まることになります。
で、この記事になります。
本格的にベトナムでの事業を拡大していくため、ということと合わせて、当時旦那さんが難病となり、家族を養わなければならなくなったと打ち明けられていたこともあり、より多くの給料を払うにはと考え、日本の代表者を任せることにしました。
正式に役員として登記されたのは、翌年の秋ごろでしたが、この時から彼女が代表者となることになったのです。
その時に二人で取り決めをしていました。
契約書などはかわさずに口約束だったため、その取り決めはのちに反故にされ、まるで被害者かのように振る舞われましたが、一講師担当の従業員のひとりです。
他のスタッフよりも倍近くの給与を払うようにするためには、それなりに責任ある仕事をしっかりとこなしてくれないと示しがつきませんからね。
そして、初の長期滞在を終えた2018年の1月末
こんな記事を書いていました。
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いつものことなんですけど、大体の決意、思うことは“予言”この先に起こることの予兆を感じて、先にルールを決めるようなところがあります。
ここからの数ヶ月、
決めたことからの激動が始まります。
激動のはじまりにつづく