お世話になっていた会社のベトナム人スタッフさんから悩みを打ち明けられたその日、私はベトナムで全てを背負って生きていくことを決意しました。
やるからには最後まで責任を持ってやり遂げたい。
ほどなく、そのお世話になっていた会社がベトナムから撤退をすることになったことを聞きました。
ベトナムで事業をしっかりと立ち上げていくこと、家賃や残されたベトナムスタッフの給与を支払えるようにすること。
この二つの課題を解決するのに、ベトナムで法人を作ることにしましたが、せっかくなので、みんなで会社ごとシェアしないか?と、当時ベトナム進出を望んでいた日本の友人や、ベトナムで知り合った人たちに声をかけて、会社を設立することを決めました。
今はなき、IBHD(インキュベーションホールディングス)の設立です。
最初は10人以上が参加することを目指して、それぞれの事業計画などをまとめていましたが、出資金を募る段階で残ったのは私を含め4名でした。
その前に、ここで
今だから打ち明ける、ムカつくことその②
提携先のMOMMY SPAに紹介していた鍼灸師さんたち、そのうちの1人がとにかくいい加減な仕事で、私が激怒したことがありました。
私、鍼灸が大好きなんですよね!
そして、それまで、多くの先生の施術を受け、ベトナムでの治療のサポートもずっとしてたので、見るだけでいろんなことが分かるんですよね。
現場では頑張っていたとしても、それ以外で仕事に対する取り組み方があまりにもいい加減で、ホーチミンではお母さんのような役割でもあって、生活のサポートもしてたのもあり、思いっきり説教をしました。
そうしたら、派遣していた院長に泣きついたんですよね。
院長は人情に熱い人でしたが、もちろん身内贔屓。
現場でどれほど私がサポートしてきたのか、それによって得たことがたくさんあった訳なのですが、そんな事はよそに、スタッフの言うことをそのまま鵜呑みにして、私を悪者にしました。
相手のスタッフさんは、社会経験もほとんどない20代半ば。こちらの意図していることを汲み取れず、ただただ嫌な思いをしたと誤解されることもあるわけですが、誤解される筋合いもないくらい面倒見ていたんですからね!
それくらい分からない院長なら、今後一緒にはビジネスはできない。
勝手にしろ!ですよ。
ちょうどその頃、提携先のMOMMY SPAとの関係もなんだか不穏な空気になってきました。
この不穏な空気の原因は、MOMMY SPAのオーナーが見てもらった『占い』
どうやら私とのビジネスは良くないと言われたみたいでして笑
「あのオーナーはいい人ですよ!」と言って慕っていたベトナム人スタッフも、その後酷い仕打ちを受けたと打ち明けてきました。
それと同時に、私も今後のビジネスの拡大を考えて、MOMMY SPA以外の販路も拡げたいと思っていました。
商品の取り扱いに関して、独占契約を求めてくるアジアの人たち。MOMMY SPAはマタニティ専門のSPAなのもあるし、本来のエラスチン美容を展開するのには少し違ったんですよね。
なので、鍼灸師さんたちは勝手にそのまま続けてもらって構わない、けど、私はもう一緒にはやりません。
そう決めました。
そして、その頃日本でも、新たに代表を任せたスタッフが、これまでいたスタッフのほとんどを辞めさせていくという事件が起こっていました。
代表として任せたものの、周りからはなかなかのブーイング。
売上が低迷していくことに、管理部門からはどんどん責められるわけです。
「セミナーで全国回って経費使ってるのに、契約取れないって何してるんですか?」
「どうするんですか?これから!!」
そして、その他の営業スタッフのことも采配できないんですよね、そこは当たり前でしたが。
なんせ、これまで自分のことだけ考えてきたところから、管理者としての役割に急になった訳ですから。
でも、任せると決めた以上、少しはアドバイスしますが全てを経験して初めて身につくものもあるので、本人がどうするのか?どうしたいのか?に任せることにしていました。
「私が頑張っているのに邪魔をする」
そう思ったみたいなんですよね。
それと同時に、他のスタッフにも何かあれば私に直接相談するようにと伝えていたのですが、それも虚しく。まあ、数霊でも4数の持ち主ばかりでしたから、私に相談することもなく、自分たちであーでもない、こーでもないと憶測の噂話をはじめました。
この辺り、話がどんどんエスカレートして、凄い事実が捏造されていたこともあったりでびっくりします。
任せられた代表者に従えなければ、辞めるしかない。
チームで協力しあって仕事をしていかなければ、何をしてもうまく行きませんし。
なので、「辞めさせたい」と思い、辞めさせるためにやることを私は止めませんでした。
でも、ここが酷かったんですけどね。
私を悪者にして辞めさせるように仕向けてたんです。
わかっていたけど、それすらも任せていました。
それによって、自らの身に返ってくることも含めて、任せてたんです。
もちろん、任せた私も、最後の責任は私がとる覚悟です。
私は私の思う道を行くために、
それぞれのストーリーを歩かせる他なかったというのもあります。
つづく