るんるん紀文

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エンターテイメント時代劇ユニット
「STAR☆JACKS」のメンバーです。
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どうも、STAR☆JACKSのるんるんこと、奥田卓です。

 

約1年ぶりにブログ書きます。

久しぶりにブログ書くときいつも言ってる気がするんですが。

わざわざブログで書くんだったらちゃんとしたもの書かないとって思ってしまうと、つい手軽なツイッターで済ませてしまうんですよね。

 

だからと言ってツイッターでの発言が適当なわけではないんですが。

せめて何か節目の時には書くようにしないとなぁと思います。

 

今回は節目じゃなくて、ご報告というか。

 

内容をちょこちょこ書いてはいたんですが、上手くまとまらなくて書いては消してを繰り返してました。

なので、この文章も一から書いてます。

結局まとまりのない長いブログになると思いますがご了承ください。

 

 

2017年1月10日の夜、母が亡くなりました。

 

家で作業してたら姉から連絡があって、最初何を言ってるのか本当に意味分かんなかったです。

全く頭の整理が出来ないまま急いで病院に行くと、ベッドに寝ている母がいました。

まだ体温もあたたかく、普通に寝てるみたいに。

でも顔はなんだかしかめっ面で、どこか納得していないようなそんな表情で。

 

その姿を見た途端、さっきまでどこか現実味のなかった「母の死」というものが一気に押し寄せてきて、気が付いたら声を上げて泣いてました。

全身の力が抜けて座り込みながら。

 

どれくらい時間がたったかわかりません。

少しは落ち着いてきたかなと思い、ドヰさんと浜口さんに報告の電話を入れました。

数日後にキネスタがあったので、通夜や告別式の段取りによっては参加出来ないことを伝えるためです。

 

その時、初めて口にした「母が亡くなりました」という言葉。

その言葉を口にしたとき、また涙が止まらなくなりました。

全然、落ち着いてなんかいなかったです。

今思えば、そりゃそうだろと。

 

数年前に大きい病気をしてしばらくの間、入院はしてたとはいえ、退院してからは元気だったんですから。

足と耳は悪くなってましたが一時期のことを思うと、比べものにならないくらい回復してて。

ちのほないと前に車を借りるために実家へ行った時も、普通に元気で。

年末年始も連絡あったし。

年賀状出したけどマンションの名前が間違ってたから返ってきちゃったよって。

可愛らしいスタンプと一緒にラインを送ってきてたんです。

バタバタが少し落ち着いたらまた顔を出そうと思っていたんです。

当たり前のようにまた会えると思っていたんです。

 

それが当り前じゃなくなったんですから、泣いたくらいで落ち着くわけがないんですよね。

 

結局、亡くなった三日後に通夜、その翌日に告別式になったのでキネスタはお休みさせて頂く事に。

一回目のキネスタに僕がいなかったのはこういう理由でした。

ご報告が遅くなってしまいすみません。

日付は変わってしまいましたが、タイトルの通り10日が月命日だったので、このタイミングでブログを書こうと。

 

病院から家に帰ってきた母は綺麗に化粧してもらっていて、とても穏やかな顔をしていました。

葬儀屋さんに聞いた話ですが、特に表情を作ったりはしていなかったそうです。

通夜の日、沢山の方が駆けつけてくださった時には少し緊張してるような表情に見えたり。

不思議なこともあるんだなと思いました。

 

当然のごとく、通夜も告別式も泣きっぱなしで。

今まで生きてきた中で、間違いなく一番泣きました。

 

 

正直、一ヶ月経った今でも気持ちの整理はついてないと思います。

いや、整理はついてるのかな。

ただ、なんというか、「動かない」んです。

何が?って聞かれたらよく分かんないんですけど。

母が亡くなる前と今じゃ、明らかに自分の中の何かが違うんです。

以前のように頭や体が、心が動いてくれない。

こんなんじゃダメだ、ちゃんとしないとって思ってはいるんです。

でもなぜか以前のようには動けない。

 

なんでだろうなって考えてたんですけど、理由は簡単でした。

 

突然、母が亡くなったから。

 

それしか無かったです。

 

僕が芝居をしているのは好きだからってのも勿論ありますが、それだけじゃなくて。

家族に元気な姿を見せて安心させたいという思いがあるからなんです。

 

上二人と年の離れた末っ子で甘やかされて育った僕が。

いくつになっても心配かけてばっかりだった僕が。

何にも目標がなくてただ毎日を生きてるだけだった僕が。

初めて本気になれたのが芝居だったんです。

 

フリーターでフラフラしてた26歳の息子が突然、芝居の養成所に行くとか言い出したら普通、反対すると思うんです。

バカなこと言ってないでちゃんと働けって。

でも両親は「やりたいと思えることが見つかったんなら好きにやればいい」って反対どころか応援してくれました。

 

自分でユニットを立ち上げた初舞台から昨年12月のかがとびまで、僕が出演する舞台は来れる限り観に来てくれてました。

親戚や職場の人に声をかけて連れてきてくれたり。

観に来れなかった舞台もDVDがあれば買ってくれたり。

 

当たり前のようにいつでも会えると思ってたから、普段はほとんど連絡取ってなかったんです。

出演する舞台が決まったらその連絡をするくらいで。

でも実は僕のツイッターをチェックしてたりして。

 

舞台に立ってる姿を見せることで「元気やで」って、「そんな心配せんでええよ」って言える気がして。

そんな思いが根っこにあるから頑張れてたんです。

 

その思いを伝えたい人が突然いなくなってしまったから、今までと同じように出来なくなってしまったんじゃないかなと。

 

今はそんな風に思っています。

 

 

ただ、いつまでもこのままじゃダメだってのもわかってます。

 

有難いことに、僕のことを応援してくれている人が、家族以外にも居てくれるわけで。

 

その人たちにも同じように「元気やで」って伝えられるように。

 

どんな形であっても少しずつでも前を向いて進めるように。

 

すぐには無理かもしれませんが、頑張ろうと思っています。

 

このままじゃ、母にまた心配かけてしまうので。

 

 

 

読み返しても支離滅裂というか、案の定まとまりのない文章になってしまいましたが。

今、思っていることをつらつらと書いたらこんな感じになりました。

 

作家の才能は無いんでしょうかね。

そこも頑張ります。