2021年7月11日
午前 5時44分
父が永い眠りにつきました。



昨年の7月27日に膵臓癌が分かり、その時点で余命2ヶ月と言われていました。
ドクター5人で相談して『もうこのままそっとしといてあげましょう』と言うドクターも居る中で主治医が軽い抗がん剤からしてみようと決めてくださり、それが奇跡的に効いたようで腹水でパンパンだったお腹もへっこみ、治療をしながら生き甲斐だった畑仕事をしていました。


それから約一年。
今月6日で75歳の誕生日を迎えた父でした。
何回目かの抗がん剤治療から退院して来た次の日(確か6月21?22?日)に、その生き甲斐の畑で倒れてしまい救急車で運ばれてそのまま最後まで入院になってしまいました。

そして家に帰って来れることはなくその日を迎えてしまいました。。
前日に電話をかけて
『お父さん声を聞こうと思って電話したよ!どんな?』って言うと
『うん…しんどいなぁ…』って。
それが私と父の最後の会話でした。

そして私は最後のその時には間に合わず、病院に行ってた妹のスマホを父の耳にあててもらい
『お父さん今まで頑張ったよなぁ!ほんまにありがとう!病院行けんでごめんな…』
と伝えました。。

そして本日、家族と本当に近い身内だけで父を笑顔で見送ることができました。

父はとても良い顔をしていました。
笑っているようにも見えました。
いつもの寝ている、本当にそのままの顔でした。

昨日が友引だったので今日になったのですが、今日でなければ1号が参加できなかったんです。
1号は滋賀県の方で米軍と一緒に訓練をしていて、帰って来る予定は17日だったのに、このタイミングなら帰れることになったのでした。
昨日だったら帰って来れませんでした!
きっとじぃじが企んでたんでしょうね笑
初孫で一緒に居た時間も長かったし😌

2号も月曜日に短大が終わってすぐにお父さんが迎えに行ってくれて帰ってこれました!
全員集合でお見送りできて本当に良かったと思いますおねがい

そんなこんなで日曜日の早朝からバタバタでしたがとりあえず落ち着きました。

生前父のことを知ってる方々には本当にお世話になりました🙇‍♀️

とても良い人生だったんじゃないかと思います✨
ちょっと今から母が心配ではあるのですが、あちらにも孫が3人いるので、まだまだ母なりの子(孫)育てをしてもらって元気で居てもらわなければと思っております☺️

と言うわけで、父は私たちにじゅうぶんな心の準備の時間をくれて逝きましたので、最初にも書いたようにみんな最後は笑顔でした😊
泣いたのは当日と、後は所々(笑)
父も笑顔だったはずです!!!

これで時々あった父の闘病ブログは終わりです☆
今までありがとうございました。


お父さん75年間の人生お疲れ様でした✨