織田信長さんに導かれた旅 | 音楽でよろこびの風を

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世間を騒がす夫婦音楽ユニット 相模の風THEめをと風雲録

よろこび製造所へようこそ!

相模の風THEめをとのダンナ

いしはらとしひろです。

 

この二日間、熱田神宮と岐阜城を巡る

旅行をしてきました。


これは織田信長さんに

導かれた旅だったのではないか?

 

僕は神奈川県相模原市在住ですから

けっして名古屋が近いわけではありません。

とはいえ新幹線に乗ってしまえば

2時間くらいの距離。

時間を作ればすぐ行ける距離ではあるのですが。

 

熱田神宮は、やはり神社好きには

一度は行ってみたいところ。

 

三年前に一度行きかけて、

でも行けない、ということがありました。

音楽の方で愛知県犬山市に

ライブをしに行くことになり、

その前日に熱田神宮にお参りしてから

行こうか、なんて話を

かみさんとしていたのです。

 

しかし、急遽参拝の予定日に

これは断れないよな、

という仕事の依頼が入り、

掃除の仕事をしてから犬山に。

参拝の方はごめんなさいして、

犬山まで日帰りで行って、

ライブをしてきました。

 

それはそれで楽しかったので

良かったのですが、

熱田神宮参拝はお預け。

 

その後、なかなかそのための時間を作れず。

10月頃、かみさんと話していて、

と言うかどちらかというと、かみさん主導で

「熱田神宮に行ってみようか」という話になり、

今回の旅に至ったのです。

じっくり参拝、

そして観光したいから一泊二日。

 

熱田神宮は素晴らしい神社でした。

 


この熱田神社は

ヤマトタケルさんが焼津で火攻めにあったときに

その火事を収めた草薙剣が奉納されている神社。

三種の神器の一つです。

 

僕はヤマトタケルさんが大好き。

神奈川県でヤマトタケルさんとゆかりが深い

横須賀の走水神社のお守りを

いつも身につけています。

「さすらいのタケルさん」と

いう記事も時々書いているし。

 

なので、僕にとっては

自分の大事な神様に縁の深い神社、

というのが、参拝の動機の一つでした。

 

ところで、この熱田神宮、

今大河ドラマ「麒麟がくる」でも

主役の一人である、織田信長さんも

つながりが深い神社です。

 

信長さんが戦国の世で

頭角を現すきっかけとなったのは

隣国駿河の大名、

今川義元と戦った「桶狭間の戦い」

大軍の今川勢には、

とても敵わないだろうと言われていた織田軍。

桶狭間出陣前の信長が、

この熱田神宮に参拝してから

出陣したのは有名な話。

 

そして織田信長は見事に

今川勢を打ち破り、勝利を得ます。

そしてここから、

信長の「天下布武の旅」が始まります。

 

 

到着一日目は熱田神宮を参拝しよう、

ということは決めていましたが

二日目にどこに行くかは

行きの新幹線の中でも決めていませんでした。

 

熱田神宮に行く前に、名鉄の名古屋駅で

観光案内のパンフレットを何枚かいただいて、

それで、その日の夜にでも決めよう、という

ある意味いい加減な決め方。

 

このことは、僕も

参拝する前も知ってはいました。

でも、参拝するときは、特別に

「ここが織田信長ゆかりの神社だから」

という思いは、ありませんでした。

 

あくまでも主祭神である、

天照大神や素戔嗚尊

そして大好きな日本武尊が祀られている神社、

以前から一度は行ってみたい神社、だったから

参拝してみたかったのです。


奥の深い神様の気に包まれ

幸せな参拝でありました。

 

そしてその夜、ホテルでのんびりしつつ、

明日はどこ行く?

なんて話を、かみさんとしていました。

 

熱田神宮へ向かう直前、

名鉄名古屋駅で数枚の

観光パンフレットをもらっていたので、

 それを数枚机の上に並べて

犬山城か岐阜城か、

津島神社の本社がある津島か

三択じゃないかな?

なんて話をしながら。

 

僕はこういう時、よほどのことがないと、

かみさんにお任せ、と言うことが多いです。

 

かみさんが行きたい、と思うところに行く。

彼女が選んだのは岐阜城でした。

よっしゃ、明日は岐阜城を楽しもう。

 

僕は城好きでもありますし、

歴史小説なんかも好きですから

岐阜城にも興味津々。

でもこの段階では、どちらかというと

「斎藤道三ゆかりの城」というイメージでした。

美濃のマムシ、といわれた英雄。

京都の油売りから身を起こして

一国の主となった、「国盗り」の男。

 

しかし、今日行った岐阜城は

城の中の展示物の内容が

織田信長中心だったこともあると思いますが

信長さんの匂いが濃厚な城。

 

麓の信長居館跡、という場所も

建物は何も残っていないのですが、

そこに素晴らしくも

壮麗な建物があったのだろう。

 

そしてそれは、美的にもきっと優れた

素晴らしいものだったろう、

という絵が頭の中に浮かんできた。

 

ああ、この人は本物の天才だったのだろうな。

それは軍事においても

領地の内政にしても。

そして、自らの居館や城下町を

作るにあたっても。

 

楽市楽座なんて言う、民が潤う仕組みを作ることが

領国の安定につながる、

ひいては天下布武の布石になる

なんて、当時の大名のほとんどが

分かっていなかったことを

いち早く取り入れた、なんてことからも

その片鱗は伺えるし。

 

戦いの時期を慎重に選びながらも

いざ戦、というときは神速で動く。

 

その信長さんの気持ちや動きが

岐阜城とその城下町を見て、少しだけ分かった。

 

そして、今回の旅は

織田信長さんに導かれた旅だったということを。

 

熱田神宮にやっと参拝できたのは

僕たち夫婦にとっての大きな転機

=桶狭間が近い

ということなのかな、とも思う。

と言っても、夫婦仲がどうこう、

ということではなく、

二人でやっている音楽グループ

「相模の風THEめをと」で、

今よりも大きな場所に出るための

「勝負」的な何かが起こるのだろう、

遠くない将来に。

 

僕らが今日、岐阜城やその麓の町で感じたのは

「織田信長の美意識」でした。



彼は人としては、

随分と残酷なこともしているけれど、

芸術家としてみた場合、

彼は自分の作品、

それは数々の戦であり、

支配した領国を、より良い状態で

民が苦しむことなく納めることであり、

美しい町を作ることであり。

 

そんな美しい作品を作るためなら

何でもやる、そういう人だったのだ、

きっと。

 

今の道徳で判断したら

ええ!と言うことも多いけれど、

彼の基準は、「そこではなかった」

 

信長さんに導かれて来た岐阜。

そこで感じ取った美意識。

 

熱田神宮で感じた、

今までの神社参拝で感じたものとは

少々違うエネルギーと啓示。

 

僕らに何かをさせたいのだろうな。

 


それを形にするのは、僕ら自身。

 一つ一つやっていくしかない。

 

多分宝くじに当たる的なことではなくて。

自分たちがこれからやっていくことで

今までとは明らかに違う

展開が起きてくるのだろう。

 

なんの根拠もないけれど、

この二日間で感じたことはこれ。

 

何かが起きるな。

僕らにとって良き変化。

そして面白い何かを生み出す。


自分たちがより面白くなってくる。

最高じゃないですか。


明日は作曲三昧の日にします。