未だ制御不能
8月20日(火)
 福島第一原発の地上タンクから約300トンの汚染水が漏れていて、しかも東電はそれを1か月近く放置していたことが明らかになってきました。
 原子力規制委員会は当該事故レベルを1から3に引き上げる検討を始めたようですが、そんな数字の話以前に、漏れ出した仮設タンクは毎日400トンづつ増え続けている汚染水の受け皿として増設し続けられていますが、こんな自転車操業が一体いつまで行われるのか、
 大震災から間もなく2年半が経とうとしている中、原発事故は収束に向かうどころか廃炉の目途すらたてられず、我が国は現在間違いなく、原子力発電所を適切にリスクコントロール出来ていないと言い切れるはずです。
 日本経済はアベノミクスの政策遂行により、再びの安定成長軌道構築を目指しています。その中にあってはエネルギー政策は最重要項目のひとつであり、国内的にもグローバルにも筋が通った原発への確固たる国家的意思の策定が喫緊の課題でありましょう。
 24兆ベクレルもの放射能物質をだだ漏れさせ続けている国が原発推進を謳い他国にセールスするなど、もはや単純なビジネスと割り切れるはずもないと小生は思っています。

神の領域?
8月21日(水)
 今年の日本の夏は豪雨と渇水の地域コントラストが顕著ですが、水不足の東京で、都民の水がめである奥多摩湖周辺にある人工降雨装置を稼働させて、見事ダム上流で10ミリ以上の雨を降らせたとのこと。
 素晴らしい科学のチカラとも言えますが、小生は何だか自然という神の領域に人類の科学技術が踏み込んでしまっているような気がして、自然からのしっぺ返しを恐れています。
 事実今夜は都心でも久々の強烈なゲリラ豪雨で、小生も帰り途で見事に大当たりしてびしょ濡れでした。かなりのスケールで長い時間豪雨が続いていましたが、この日の人工雨降り機が原因との説も流れています。
 人為的に雨が降らせられるとはしゃいでいると、それが大洪水をもたらすといった制御不能な自然の逆襲で返ってくるようなことにならないでしょうか。
 神の領域と言えば、医療の進歩で人は長寿になりましたが、無理やり生かされている人も少なくないのではないでしょうか。そうした報いが社会保障制度の崩壊というカタチでしっぺ返しされるなどと連想してしまいます。
 在るがままを粛々と受け入れる、古代日本に根付く社会正義への回帰もある程度必要なのかもしれません。