10分でわかる冥途の飛脚①「淡路町の段」 | さきじゅびより【文楽の太夫(声優)が文楽や歌舞伎、上方の事を解説します】by 豊竹咲寿太夫

10分でわかる冥途の飛脚




近松門左衛門作の遊女とのスキャンダル作品の中でも「他人のお金を使い込んでしまった」衝撃的な芝居です。


冥途の飛脚に登場する遊女の梅川は、曽根崎心中のお初や心中天網島の小春とは違い、日本三大遊郭のひとつ新町の遊女でした。


ですので、身請けをするのも桁違いのお金が必要になってくるのですが…。










その①「淡路町の段」




難波津の色里へ忠兵衛は通っていました。


忠兵衛は大和の新口村から出てきて飛脚屋の亀屋の養子となり、跡継ぎになっています。


地方から出てきた男にしては珍しく垢抜けた男で、姿も良いと評判でした。







亀屋では忠兵衛の留守中に亀屋が出入りしている屋敷の侍がやってきました。


江戸から飛脚で届くはずの三百両がまだ届かないのでどうなっているのだ、と尋ねにきたのです。


その侍の後に中之島からも客がきて、江戸の米問屋からの為替が届かない、どうなっている、と尋ねられました。




一連の客の様子を聞いて、忠兵衛の母の妙閑は眉をひそめました。


なにしろ、それらの金は10日も前に届いていたからです。


飛脚屋が金を失うことがあれば、18軒ある飛脚屋が共同で弁償することになっています。


この亀屋はいまだかつてそのような失態どころか、金の催促もない飛脚屋の手本と呼ばれた店でした。


忠兵衛はいったい何をしているのだ、と妙閑は訝しみました。






日も傾き、店を閉めるという時間になって、忠兵衛はようやく戻ってきました。


忠兵衛は新町の遊女梅川に恋焦がれて廓へ通い詰めているのでした。


忠兵衛は堂々と自分の家に入ることもできず立ち煩いをしているところへ、北からいかめしく歩いてくる男がいました。


中之島の八右衛門でした。


北浜や中之島などで親仁と呼ばれるような男です。


八右衛門は忠兵衛を見つけると、江戸からの為替が10日もたつのにまだ届かないとはどういうことだ、と尋ねました。



実は為替の金自体は14日も前に届いていたのですが、忠兵衛はそれを渡していなかったのです。


梅川が田舎客に金を積まれて身請けをされると聞き、どうしようもなくなった忠兵衛は梅川を引きとめるために為替の金を使い込んでしまったのでした。


しかし、遅くとも45日のうちにはほかの売上も上がってくるので必ずやり繰りができると涙を流しながら八右衛門に打ち明けたのでした。



八右衛門は「言いにくいことをよく正直に言った。辛抱して待つから首尾よくするんだぞ」と言い、その場を去ろうとしました。



と、家の中で母妙閑が八右衛門の声を聞きつけ、「忠兵衛、お通ししなさい」と声をかけました。


そう言われては仕方がないので、忠兵衛は八右衛門を連れて家へ入りました。









妙閑は、忠兵衛が八右衛門に渡さなければならない金を渡していないことに言及しました。


八右衛門は「すぐに要るものではないので」と立ち去ろうとしましたが、妙閑は忠兵衛に今すぐ渡すように言いました。



さすがに今すぐ用意ができるものではなく、忠兵衛はない金を探すふりをしながら、どう切り抜けようか頭を悩ませました。


忠兵衛は鬢水入れを取り出すと、小判を包む紙で手早く包み、金五十両と書きました。


ちょうど大きさも厚みも五十両そのもので、これならその場をしのげるというものでした。



忠兵衛はその偽五十両を妙閑の前で八右衛門に渡して見せました。


八右衛門も心得て、偽五十両を受け取って見せると「ではこれで」と帰ろうとしました。



ですが妙閑は「為替の手続きは手形と引き換えでないといけない。八右衛門様がご持参でないのなら一筆書いていただきなさい」と言いました。


ここで、八右衛門が「受け取った」という手形を渡すと、本当の手続きになってしまい、忠兵衛は偽金を渡した罪に問われてしまいます。


幸い、妙閑は文字に明るくなく、無筆でした。


忠兵衛は八右衛門に目配せすると、八右衛門も呑み込んで、受け取り手形を書くふりをして内容は「受け取っていません」という状を書いたのでした。



妙閑は、これできっちり手続きができた、とすっかり騙されてしまったのでした。







夜もしっかりと更けたころ、表に馬がつきました。


新しい荷物が届いたのです。


その中にはあちらこちらから集まってきた計八百両の金がありました。



忠兵衛は滞っている堂島の屋敷への三百両の配達にいける、と元気付きました。


きっちりと包み紙で封をされた三百両の大金を懐に忠兵衛は意気揚々と北にある堂島へ向かって歩き始めました。




しかし、いつもの癖というものはこわいもので、忠兵衛の足は北に向かわず、南へ身体を運んでいました。


「しまった」と忠兵衛は思いましたが、南というのは梅川に会うために新町へ向かういつもの道、心に沁み込んだ梅川に足はそちらへ向いていきます。


忠兵衛は立ち止まり、「いやいや、こんな大金を持って新町へ行っては使ってしまいたくなる。駄目だ」と自制心を働かせようとしました。



しかし、一方で「思わず足がこちらに向いてしまったのには、梅川に何かあったのかもしれない」と考え、理性と本能に忠兵衛は新町へ行ってしまおうか行かずにいこうか、とふらふらと悩みはじめました。


いつの間にか羽織が身体から脱げていたことにも気付かないほどに忠兵衛は悩みに悩みましたが、「ええい、行ってしまえ」と欲望に負け、懐に他人の大金を忍ばせたまま新町へと向かったのでした。