【台本】平家女護島「鬼界が島の段」文楽の床本 | さきじゅびより【文楽の太夫(声優)が文楽や歌舞伎、上方の事を解説します】by 豊竹咲寿太夫

 





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▲令和6年初春文楽公演チラシより



鬼界きかいが島の段



もとよりもこの島は、鬼界が島と聞くなれば、鬼ある処にて、今生よりの冥途なり。たとひいかなる鬼なりと、この哀れなどか知らざらん。

この島の鳥獣も、鳴くは我を問ふやらん。

昔語るも忍ぶにも、都に似たる物とては、空に月日の影ばかり。花の木草も稀なれば、耕し植ゑん五つのたなつものもなく、せめて命を繋げとや。峰より硫黄の燃え出るを、釣人の魚に換へ、波の荒布あらめや干潟の貝、みるめに掛かる露の身は、憔悴枯稿しょうすいここう九十九髪つくもがみ、肩に木の葉のつづれ刺せてふ虫の音も、枯木の杖によろ〳〵〳〵、よろ〳〵と、今は胡狄こてきの一足とかこちしも、俊寛が身に白雪の、積もるを冬消ゆるを夏、風の気色を暦にて、春ぞ秋ぞと手を折れば、およそ日数ひかずは三年の、言問ふものは沖津波、磯山おろし浜千鳥、涙を添へて故郷へ、いつ廻り行く小車の、わだちふなの水を恋ふ憂き目もなか〳〵に、比べ苦しき身の果ての、命待つ間ぞ哀れなる。 

同じ思ひに朽ち果てし、鶉衣うずらごろもに苔深き、岩の懸路かけじを伝ひ下り、患ふ有り様 

「ア、我もあの姿かや。諸阿修羅道故在大海辺。そも三悪四趣は、深山うなづらにありと御経に説かれしが、知らず我餓鬼道にや落ちけん」

とよく〳〵見れば平判官康頼へいはんがんやすより

「ア、我も人もかくも衰へ果てしか」

と心も騒ぐ浜辺の芦掻き分け〳〵来る人は、丹波少将成経たんばのしょうしょうなりつね

「ナウ少将殿、ナウ康頼」 

「こは俊寛か」 

僧都そうずか」

と招き合ひ歩み寄り 

「伴ふ人とては明けても康頼、暮れても少将、三人のほかなきものを、何とてか訪れ絶え、山田らねど世にあきし、僧都が身こそ悲しけれ」 

と手を取り交はし泣き給ふ 

「かこちは道理さりながら、康頼はこの島に熊野三所を勧請し、日参に暇なし。三人の伴ひもこの頃四人になつたるを、僧都は未だ御存知なきか」 

「ナニ、四人になりたるとは、さてはまた流人ばしあつてのことか」 

「ア、イヤ、左様ではなし。少将殿こそやさしき海女の恋に結ほれ、妻を儲け給ひし」 

と言ふより僧都にこ〳〵と

「珍らしゝ〳〵、配所三歳みとせが間、人の上にも我が上にも、恋といふ字の聞き始め、笑ひ顔もこれ始め。殊更海女人の恋とは、大職冠行平たいしょくかんゆきひらも磯に海松布みるめの汐なれ衣。濡れ初めは何と〳〵。俊寛も故郷にあづまやといふ女房、明け暮れ思ひ慕へば、夫婦の中も恋同然、語るも恋聞くも恋、聞きたし〳〵語り給へ」 

と責められて 

顔を赤むる丹波少将 

「三人互ひの身の上を包むにはあらねども、数ならぬ海女の茶船押し出して、恋と申すも恥づかしながら、ナウかゝる辺国波濤はとうまで、が踏み分けし恋の道。あの桐島の漁夫が娘千鳥といふ女、世の営みの汐衣、汲むも焼くもそれはまだ浜辺の業、そりや時ぞと夕波に、可愛や女の丸裸、腰にうけ桶、手には鎌、千尋の底の波間を分けて海松布みるめかる、若布わかめ荒布あらめあられもない裸身に、はもがぬら付く、ぼらがこそぐる、蝤蛑がざみがつめる。かと思うて小鯛が乳に食ひ付くやら、腰の一重が波にひたれてはだえも見え透く。壺かと心得蛸めがへそを窺ふ、浮きぬ沈みぬ浮世渡り、人魚の泳ぐもかくやらん。汐干になれば洲崎の砂の腰だけ、きびすにははまぐり踏み、太股に赤貝挟み、指であわび起こせば爪は蠣貝かきがい黄累ばいの蓋、海女の逆手を打ち休み、黄楊つげ小櫛おぐしも取る間なく、栄螺さざいの尻のぐるぐるわげも縁ある目からは玉鬘。かゝる島へもいつの間に、結ぶの神の影向ようごうか、馴れ初め馴染み今は埴生の夫婦住み。夫を思ふ真実の情け深く哀れ知り、木の葉を集め縫ひ綴る針手利き、小夜の寝覚めは汐じむ肌に引き寄せ、声こそは薩摩訛り、世に睦まじい睦言、うらが様な女郎、歌連歌にべる都人、夢にも見やしめすまい。縁あればこそ抱いて寝て、むぞうか者とも思しやつてたもり召すと思へば、胸つぶしうほや〳〵しゃりめす。親もない身大事のせなの友達、康頼様は兄んじょ、俊寛様は父様ててえさまと拝みたい。娘よ、妹よ、せろ角せろとぎやつて、りんによぎやつてくれめせかしと、ほろと泣いたる可愛さ、都人のござんすより、りんによぎやつてくれめすが、身に沁み渡る」 

と語らるゝ 

僧都聞き入り感に堪へ 

「テさて、面白うて哀れで伊達で殊勝で可愛い恋、まづその君に見参。いざ庵へ参らうか」 

「ア、イヤ、すなはちあれまで同道。千鳥、千鳥」

と呼ばれて「あい」と芦掻き分け、竹のおうこに目刺し籠、かたげた振りも小じほらしげな、眉目がよければ身に着たる、つづれも綾羅錦繍りょうらきんしゅうを、恥ちぬ形はあたら物、何故に海女とは注まれけん。 

僧都も会釈の挨拶 

「やさしい噂承つて感心、康頼はとく対面とな。俊寛は今日始め親と頼みたきとや。この三人は親類同然、別して今日より親子の約束我が娘、哀れ御免蒙り四人連れで都入り、丹波少将成経の北の方と、緋の袴着けるを待つばかり。エ、口惜しい。岩を穿ち土を掘つても、一滴の酒はなし、盃なし。目出度いといふ詞が、三々九度ぢゃ」

 と言ひければ 

「ハ、ア、この賤しい海女の身で緋の袴とは親罰かぶること、都人に縁を結ぶが身の大慶、七百年生きる仙人の薬の酒とは菊水の流れ。それをかたどり筒に詰めたもこの島の山水、酒ぞと思ふ心が酒、この鮑貝の御盃戴き、今日からいよ〳〵親よ子よ、父様よ娘よと、むぞうか者とりんによぎやつてくれめせ」 

と言へば 

各々打ち笑ひ 

「実に尤も」 

と菊の酒盛、鮑は瑠璃の玉の盃、差いつ差されつ呑め唄へ、三人四人が身の上をいはうが島も蓬菜の島に例へて汲めども尽きぬ泉の酒とぞ楽しみける。 

康頼沖を打ち眺め 

「ハア、漁船とも覚えぬ大船、漕ぎ来るは心得ず。あれよ〳〵」 

と言ふうちに、ほどなく着岸、京家の武士の印を立て、汐の干潟に船繋がせ、両使みぎわに上がつて、松影に床几立てさせ 

「流人丹波少将、平判官康頼やおはする」 

と高らかに呼ばわる声

夢ともわかず

「丹波少将これに候ふ」

「俊寛」

「康頼候ふ」

と我先にとふためき走り二人が前に

「ハツ」

「ハツ」

「ハツ」

と手をつき頭を下げうずくまる。

瀬尾太郎が首に掛けたる赦し文取り出だし

「イヤこれ〳〵、救免の趣き拝聴あれ」

と押し開き

「中宮御産の祈りによって、非常の大赦行なはる。鬼界が島の流人、丹波少将成経、平判官康頼、二人赦免あるところ、急ぎ帰洛せしむべきの条、件の如し」

と読みも終らず二人

「ハツ」

「ハツ」

とひれ伏せば

「イヤナウ、俊寛は何とて読み落とし給ふぞ」

「ヤア、瀬尾ほどの者に読み落とせしとは慮外至極、二人のほかに名があるか、サこれ見よ」

と差し出だす少将判官諸共に、『これは不思議」と読み返し繰り返し、『もしや』と礼紙らいしを尋ねても、僧都とも俊寛とも書いたる文字のあらばこそ

「入道殿の物忘れか、そも筆者の誤りか。同じ罪同じ配所、非常も同じ大赦の、二人は赦され我独り、誓ひの網に漏れ果てし、菩薩の大慈大悲にも分け隔てのありけるか。とくに捨身し死したらば、この悲しみはあるまじきに、もしや〳〵と存へて浅ましの命や」

と声も惜しまず泣き給ふ。

丹左衛門たんさえもん懐中の一通出だし

「とつく申し聞かせんずれども、小松殿の仁心、骨髄に知らせんため暫くは控へたり。これ聞かれよ」

と声を上げ

「鬼界が島の流人俊寛僧都事、小松内府だいふ重盛公の隣愍れんみんによつて、備前国まで帰参すべきの条、能登守教経奉つて件の如し」

「ナニ、三人共の御赦しか」

「なか〳〵」

「ハア、ハア、ハツ」

と俊寛は、真砂に額を摺り入れ〳〵、三拝なして嬉し泣き

少将夫婦、平判官、『夢ではないか誠か』と、踊りつ舞うつ悦びは、猛火に焦げし餓鬼道の、仏の甘露に潤ひて、如清涼池にょしょうりょうちとうたひしも、かくやと思ひやられたり。

両使詞を揃へ

「もはや島に用もなし。幸せと風もよし、いざ御乗船」

「尤も」

と四人船に乗らんとす。

瀬尾、千鳥を取つて引き退け

「ヤ見苦しい女め。見送りの奴ならばそこ立ち去れ」

と睨め付くる。

「イヤ、苦しからず。この少将が配所のうち、厚恩の情けを受け夫婦となり、帰洛せば同道と固く申し交はせし女、御両人の了簡を以て着岸の津まで乗せてたべ。子々孫々までこの恩は忘れおかじ」

と手を擦つて詫び給へば

「ヤア思ひもよらず。やかましい女め。誰かある、アレ引き摺り退けよ」

とひしめいたる。

「ハテ、了簡なければ力なし。この上は少将もこの島に留まつて、都へは帰るまじ。サア、俊寛、康頼、船に乗られよ」

「いや〳〵、一人残し本意でなし。流人は一致我々も帰るまじ」

と三人浜辺にどうど座を組み、思ひ定めしその顔色

丹左衛門心ある侍にて

「これ瀬尾殿。かやうにては君御大願の妨げ、女を船には乗せずとも、一日二日も逗留し、とつくと宥め得心させ、皆々心よくてこそ御祈禱ならめ」

と言ひも切らせず

「そりや役人の我がまま。船路関所の通り切手、二人とある二の字の上に、能登殿が一点加へて三人とせられしさへ私なるに、四人とはどなたの赦し。所詮六波羅の御館へ渡すまでは我々が預り、乗らぬとて乗せまいか。俊寛が女房は清盛公の御意を背き首討たれた。囚人同然の坊主、雑色共郎党共、三人を船底に押し込め動かすな」

「承る」

と匹夫共、千鳥を突き退け三人の小腕取つて、引つ立て〳〵狩人の、ふごに小鳥を詰むるが如く、捻ぢ付け〳〵、厳しく守る瀬尾が下知

「サア船出せ、船出せ。乗り給へ左衛門殿。たゞし御使ひのほか私の用ばし候ふか」

と理屈張れば、力なく、同じく船に乗り移る。

不憫や浜辺にたゞ独り、友なし千鳥泣き喚き

「武士は、ものゝ哀れ知ると言ふは偽りよ、虚言そらことよ。鬼界が島に鬼はなく鬼は都にありけるぞや。馴れ初めしその日より、御免の便り聞かせてたべと、月日を拝み龍神に願立て祈りしは、連れて都で栄耀栄華の望みでなし。蓑虫のやうな姿を元の花の姿にして、せめて一夜添ひ寝して、女子に生まれた名聞みょうもんと、これ一つの楽しみぞや。エ、むごい鬼よ、鬼神よ、女子一人乗せたとて軽い船が重らうか。人々の嘆きを見る目はないか、聞く耳は持たぬか。乗せてたべなう、乗せおれ」

と声を上げ打ち招き、足摺りしては伏し転び、人目も恥ぢず嘆きしが

「海女の身なれば一里や二里の海怖いとは想はねども、八百里九百里が、泳ぎも水練すいりも叶はねば、この岩に頭を打ち当て打ち砕き、今死ぬる。少将様、名残り惜しい、さらばや。念仏申しむぞうか者、りんによぎやつてくれめせ」

と泣く〳〵岩根に立ち寄れば

「ヤレ待て、待て」

と俊寛よろぼひ〳〵船端を、やう〳〵転び走り寄り

「ア、これ船に乗せて京へ遣る。今のを聞いたか、我が妻は入道殿の気に違うて斬られしとや。三世の契りの女房死なせ、何楽しみに我一人、京の月花見たうもなし。二度の嘆きを見せんより、我を島に残し代はりにおことが乗つてたべ。時には関所三人の切手にも相違なく、また御使ひにも誤りなし。世に便りなき俊寛、我を仏になすと思ひ、捨て置いて船に乗れ、乗れ」

と泣く〳〵手を取り引つ立て〳〵

「御両使、ひとへに頼み存ずる。この女乗せてたべ」

とよろぼひ寄れば

瀬尾太郎、大きに怒り飛んで降り

「ヤアずく入め。左様に自由になるならば、赦し文も御使ひも詮なし。女はとても叶はぬ、うぬめ乗れ」

といがみ掛かれば

「それはあまり了簡なし。とかく慈悲」

と騙し寄り、瀬尾が差したる腰刀、抜いて取ったる稲妻や、弓手の肩先八寸ばかり斬り込んだり。

『うん』と伸れどもさすがの瀬尾、差添抜いて起き直り、打つて掛かるもひょろ〳〵柳

僧都は枯木のいざり松

両方気力渚の砂原、踏ん込み踏み抜き息切れ声を力にて、こゝを先途と挑み合ふ。

船中騒げば丹左衛門舳板へいたに上がり

「御帳面の流人と上使との喧嘩、落居の首尾を見届けて言上する。下人なりとも助太刀すな、脇より少しも構ふな」

と眼もふらず検分す。

千鳥堪へ兼ね竹杖振つて打ち掛くる。

僧都声を掛け

「ア、コリヤ寄るな、寄るな。杖でも出せば相手のうち、科は逃れぬ。差し出たらば恨むぞ」

と怒れば千鳥も詮方なく、心ばかりに身をもんだり。

血まぶれの手負と飢えに疲れし痩せ法師、はっしと打てばたぢ〳〵〳〵、刀につられ手はぶらぶら、組みは組んでもしめねば左右へひよろりと離れ、砂にむせんで片息の、両方危ふく見えけるが

瀬尾が心は上見ぬ鵞、掴み掛かるを俊寛が雲雀骨にはつたと蹴られ、かつぱと伏せば

這ひ寄つて、馬乗りにどうど乗つたる刀、止めを刺さんと振り上ぐる。

船中より丹左衛門

「勝負はきつと見届けた。止めを刺せば僧都の誤り科重なる。止め刺すこと無用々々」

「ヲヽ、科重なつたる俊寛、島にそのまゝ捨て置かれよ」

「いや〳〵、御辺を島に残しては、小松殿、能登殿御情けも無足し、御意を背く使ひの落度。殊に三人の数不足しては、関所の違論叶ひ難し」

と呼ばはつたり。

「されば〳〵。康頼少将にこの女を乗すれば人数にも不足なく、関所の違論なきところ、小松殿、能登殿の情けにて昔の科は赦され、帰洛に及ぶ俊寛が上使を斬つたる科によつて、改めて今、鬼界が島の流人となれば、上御慈悲の筋も立ち、御使ひの落度些かなし」

と始終を我が一心に、思ひ定めし止めの刀

「瀬尾、受け取れ、恨みの刀」

三刀、四刀、肉斬る引き斬る、首押し斬つて立ち上がれば

船中『わつ』と感涙に、少将も康頼も、手を合はせたるばかりにて、物をも言はず泣きいたり。

見るに付け聞くに付け、千鳥一人がやる方なさ

「夫婦は来世もあるものよ。わしが未練で思ひ切りのないゆゑ、島の憂き目を人にかけ、のめ〳〵船に乗られうか、皆様さらば」

と立ち帰る。

縋り止めて

「ア、これ、我この島に留まれば、五穀に離れし餓鬼道に、今現在の修羅道、硫黄の燃ゆるは地獄道、三悪道をこの世で果たし、後生を助けてくれぬか。俊寛が乗るは弘誓の船、浮世の船には望みなし。サア、乗つてくれ、早や乗れ」

と袖を引き立て手を引き立て、やう〳〵に抱き乗せければ

詮方波に船人は、ともづな解いて漕ぎ出だす。

少将夫婦康頼も

「名残り惜しやさらばや」

と言ふよりほかは涙にて、船よりは扇を上げ

くがよりは手を上げて

「互ひに未来で、未来で」

と呼ばはる声も出で船に、追手の風の心なく、見送る影も島隠れ、見えつ隠れつ汐曇り、思ひ切つても凡夫心、岸の高見に駆け上がり、爪立てゝ打ち招き、浜の真砂まさごに伏し転び、焦がれても叫びても、哀れ訪らふ人とても、鳴く音はかもめ天津雁あまつかり、誘ふは己が友千鳥、一人を捨てゝ沖津波、幾重の袖や濡らすらん。




 

 






 

 

 

 

 



とよたけ・さきじゅだゆう:人形浄瑠璃文楽
 太夫
国立文楽劇場・国立劇場での隔月2週間から3週間の文楽
公演に主に出演。


その他、公演・イラスト(書籍掲載)・筆文字(書籍タイトルなど)・雑誌ゲスト・エッセイ連載など
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