美容矯正サロンharuです。

最近気づいた事がありました。

それは、「治す」「治療」するということについてです。

私は、医者や医療従事者ではないので
「治療」をする事が仕事ではなく
「リラクゼーションや癒し」を提供する事が仕事だと
自覚してやっていたつもりでしたが、
人の心はとても複雑なのか。
実は単純なのか。
意識の底の無意識で
お客様に触れている自分は
どこかで
「痛みを取りたい」
「楽になってもらいたい」
「この身体を良くしたい」
「治したい」
という気持ちが働いていたんじゃないかなと思います。
そういう気持ちは一見、とても良い感情にみえたりもしますが、
別の方向からみると
「痛みがある身体」
「楽じゃない身体」
「悪い身体」
「良くない身体」
だと私自身が判断しているのではないかなと思いました。
それに気づいてから
「痛みを取る事」
「身体を楽にする事」
「身体を良くする事」
「身体を治す事」
という
自分の施術に対する生きがいを見失ってしまいました。


今まで身体に触れる事が大好きで
楽しくて楽しくて仕方がなかった。


でもその楽しくて楽しくて仕方なかった施術は
「悪いもの」を「良くする」
事で自分の生きがいになっていたのです。

悪い身体なんてない!とずっと思ってきていましたが
それは、
悪いものを良くする事で「悪くない身体」を作り上げていたのかもしれません。

ご飯を食べて幸福を感じたり
気分が良くて思わず鼻歌を歌ってしまったり
大好きな人がそばにいるだけで
安心したり
そこにその存在があるから自分が幸せを感じたり安心したりするのかもしれません。

勉強会で、身体の事を学んでいます。
私は、今まで「悪いもの」を「良くする」という価値観を潜在的にもっていたので、施術は、するもの。
術者がアプローチをして受ける側の身体が変化していくものだと
当たり前のように思っていました。

しかし、勉強会で学んでいることは
身体にそっと触れて「ただ見ている」だけです。
触れてただ見ているだけです。
ただただ、身体のリズムを感じるだけです。

触れてそこになんのアプローチもしない。

ただただ身体を観察するだけ。

それで終わった後は、自分も受けた側もすごくかるい。

不思議でした。

そこで思いました。

小さい頃は、親にただ自分を見てもらっているだけで満足していたような気がします。

見てもらっているというだけで絶大な安心感があったような気がします。

ただただ見守る そこにいるだけで自分が幸せな気持ちになる
大切な人達や自分に対して
森のような人間でありたいと
素直に思いました。

それは、冒頭に書いた医師だから医療従事者だからとかリラクゼーションだから
とか全く区別は関係なく
「治る」という事は「安心する」という事なのかなと思います。