こんにちは。

年末ですが、少し時間の余裕ができたので更新いたします。

ここからクライマックスに向かって盛り上がっていきますよ!

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じつは
このシリーズのような経験が私にもありましたので、
今日はそれをお話しします。



しばらく前に私は、何日かにわたる、ある集まりに参加しました。

参加者はお互いに、
年齢や職業などくわしいことを話すような関係でもありませんでした。

私も自分が本を書いていることなども、誰に話すこともなく、
みんなが純粋に「人と人」という関係でした。

(イメージ的には、旅先での出会いとか趣味の講座という感じですかね・・・)


その中で、私はある年上の女性と出会いました。

彼女はかわいくて、なにもかもを包むような大らかさがあり、
どことなく不思議な雰囲気を持った、魅力的な人でした。

少し接して「この人はただものではない!」と、惚れてしまったので、
私から寄っていって、


「あなたはどんな人?」

「それでそれで?」

「それからどうなったのか、教えてください!」

「面白い!」

「すごーい!」

「やっぱりただものじゃないです!」

「この本、よかったですよー、おすすめです!」

「どんな本を読んでいるんですか?」

「今のあの人の言葉、面白いですね。グフフフ・・・」

「もっともっとあなたを知りたいので、いろいろと聞かせてください!」

「わかりましたー、そうしてみます!」

「行ってみます!」

「やってみます!」


のようなノリで(具体的なセリフというよりは、こういうノリで)、
なついて、彼女の人生のことやおもしろいエピソードなどをいろいろと聞きました。

詳しい職業や経歴などは聞いていないのですが、
やはりただものではありませんでした・・・。


笑いのセンスもよくて、一緒にゲラゲラ笑ったりしました。

そして、彼女の方からも、私に近寄ってきてくれて、
二人でよく話すようになりました。


そうこうしているうちに、お別れのときが近づき、

「この人の話をもっと聞きたい。

このまま二度と連絡が取れなくなるのはいやだ!」

と思ったので、

私は自分の連絡先のメモを彼女に渡しながら、

「また、一緒にごはんにでも行きたいです!」

「もっとおすすめのお店とか場所とかを教えてください!」

のようなことを言いました。


すると、彼女に

「私も連絡先渡すね。ペン持ってる?」

と聞かれたので、

「ああー、今は持っていません」

と答えると、

「うーん、どうしよう・・・。

あ、なーんだ。

私があなたにメールすればいいんじゃない!(笑)

じゃあ、メールするね。

かならず、連絡しますから」

と言われて、お別れしました。


最後に、彼女は

「あなたは、なんというか・・・」

と言って、私の目をじっと見つめて、

「とても誠実な人」

と言ってくれたのが印象に残っています。



でも、連絡先を渡したとき、私にはわかったのです。

「この人は、連絡をくれないな」と。


・・・そしてやはり、連絡は来ませんでした。

一応、少しは「もしかしたら」という気持ちもありましたが、
何日経っても、何週間経っても、来ませんでした。


もちろん、彼女は意図的に嘘をついたわけではないと思います。

ペンがあれば書いてくれようとしたわけですし、

「メールをすると言っておけばいいや、でも実際はしないけどね」

などとは思っていないと思うのです。

また、私にくれた「誠実」という言葉も、本心だったように思います。


でも私は、
本当の実際に連絡をくれる人から、
普通に発せられる勢いや「本気さ」のようなものを
彼女の言葉や雰囲気から感じなかった
のですよね。

(『カイジ』でもありましたよね!
「カイジさんを救う!」と泣きながら言う仲間の声が、
遠くに感じられた・・・というくだりが。それと同じ!
カイジ』いいよ、『カイジ』)


だから、

「ああ、これでサヨナラかな・・・」

と思いました。

さらに後から思えば、
話しているときから温度差がありましたよね。


連絡が来ないことで、彼女は私に対して、

「今、この場で話すのは楽しいし、誠実でいい人だけど、

忙しくて充実している生活の中で、

わざわざ自分からメールをしてまでつないだり、

食事に行くほどの魅力は感じない」


と思っていたのだなあ、ということが明らかになりましたが、

「まあ、それはそうかもなあ」

と、すごく落ち着いた気持ちでした。


もちろん、ほのかな寂しさはありますが、
それでも、心が波立たないのです。


そして、

「私はあれ以外の接し方はできなかったし、

ということは、彼女とは縁がなかったのかな」


と思いました。


ひょっとしたら、

「私はこういう人と知り合いで、
こういうところに顔が利いて」

など、ありったけの持ち札を見せていたら、

あるいは、話を聞いてばかりではなく、
私の話を多少グイグイしていったほうが、

それが彼女にとって食いつきたくなる「ビンゴ!」で
連絡をくれたのかもしれませんし、
それでも連絡はなかったのかもしれません。

ともかく、こちらが違ったアプローチをすれば、
関係はつなげられたかもしれませんが、
やってみなければわからないことです。


しかし、私はぜーんぜん後悔していません。

時間は戻りません。

仮にあのときに戻れたとしても、
違ったアプローチをするかどうかもわかりません。

だって、無理をしてつながっても、ずーっと疲れる関係かもしれませんし・・・。



これまでの記事で、

「会社が不当な扱いをする。私の努力を分かっていない」

「友人が自分を軽んじる行動を取るのは、友人が悪い」

などと思っているのなら、あなたはずっとつらいままなのです、

ということを何度も書きました。


長谷部選手の著書『心を整える』にあるように、

「自分を使わない監督が悪い!」

と怒るのではなく、

「試合に出られなかったのは、自分に力が足りなかったからだ」

と理解することで、心はスッと落ち着きます。


このときの私も同じです。


「彼女から連絡がなかったのは、自分に力が足りなかったからだ」


さらに正確に言うと、


「彼女から連絡がなかったのは、
彼女の目に私は、連絡をしたいと思う人間だと映らなかったからだ」



ということです。

長谷部選手のお話も同じですね。

「試合に出られなかったのは、
監督の目に自分は、試合に使いたいと思う人間には映らなかったからだ」


と言い換えることができます。



きっと、この新しい発想ができる以前の私であったならば、
以下のことが起こっていたでしょう。


1,彼女を責める

「かならず連絡する」なんて言っておいて、
連絡をしてこないのは、いい加減で信用できない人間だ。

誠実ではない。

適当なことを言うな。

連絡をする気がないなら、「かならず」なんて言うな。


などと思っていたでしょう。


さらに、

「そんないい加減で不誠実な人から、連絡なんてこなくてもいい」

などと、「酸っぱいブドウ理論」で相手を貶めて、
自我をなぐさめていた
かもしれません。


2,傷つき、自分に自信をなくす

「私には魅力がないんだ」

「私は話していてもつまらない人間なんだ」

「私ばかりが話したいと思って、相手からは必要とされていない」


などと、自我が傷ついて、みじめになり、
自分のすべてが否定されたように感じて
自信をなくしていたと思います。


しかし、このときの私はネオ発想になっていたので、

彼女を責める発想もなく、
自分が傷ついたりみじめになることもなく、

淡々としていたので、

「自分じゃないみたーい」

と自分でびっくりしたくらいです。


こんなに、わかりにくい、一見地味な内容を、
何度も何度も書いているのは、

この発想の決定的な変化によって、


本当に、

本当に、

本当ーーーーーに、

自分が別人のように楽になったからです。



では次は、恋愛の具体例について見ていきましょう。


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