こんにちは。

ビシバシ更新してまいります。

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<練習・3>のつづきです。

大学が楽しくて、地元の友達と遊ばなくなっていたあなたでした。


地元の友達 < 大学の友達


になっていたのですね。


地元の友達のほとんどは、あなたが誘いを断っても

「わかった。忙しいんだね。また遊ぼうね」

「いつでも参加してね」

と言ってくれましたが、

幼稚園からの幼なじみだったA子は、

あなたへの「期待」と「執着」が大きかった
ようで、


「一生友達でいようって言っていたのに、ウチらを捨てたんだね。

冷たい。裏切られた」



というメールが届きました。

彼女はこのとき、

「彼女の都合メガネ」でしかものが見られなくなっていたのです。


あなたは


「私って薄情なのかな・・・」


と一瞬心がチクリとしましたが、


「だけど、捨てたとか裏切ったとか、大げさじゃない?」

「ずっと行かないとか言っているわけじゃないのに」

「そんなこと言う子だと思わなかった」

「こっちはこっちで、毎日忙しいんだよ」



とムッとしたのでした。


あなたは、A子に会いたくなくて、

ますます地元の集まりに行きたくなくなりました。




ところが・・・!

それから数カ月後、地元の友達からのメールで、

なんと、「A子が末期がんで、あと3ヶ月もたない」ということを知りました。


あなたは、サークルのメンバーやクラスメイトの誘いを断り、

毎週末、地元に戻って彼女のお見舞いに行く
ようになりました。


変なメールを送ってきて気分が悪い、と思っていたA子なのに、

「小さい頃からずーっと一緒にいたA子が、

あと3ヶ月もしないうちにこの世を去ってしまう、

二度と会えなくなる」
と思ったことで、


大学の友達 < A子


に変わったのです。


あなたは、このとき、

「自然に」「何も考えず」「素で」

「自分が幸せになれるほう」を選びました。



A子が死ぬことは、さびしいし、悲しいので、

不幸であり、幸せなはずがないのですが、


「すれ違ったまま、いやな気持ちでお別れしたくない」

「一生後悔したくない」



という思いから、


「悔いのないように、たくさん会って、彼女を見送りたい」


という「自分にとって幸せな選択」をしたのです。


それは、大学の友人と遊ぶことよりも、

(言葉は悪いですが)「いい匂いがして、おいしそう」だったのでした。


メールにムカついて、会いたくなかったA子ですが、

状況が変わったことで、

世界で一番、一緒にいたい人になりました。



あなたの気持ちは変わったのです。



じつは、あなたが「A子に会いたくない」と思っていたときも、

あなたは「自然に」「何も考えず」「素で」

「自分が幸せになれるほう」を選んでいました。



そう、あなたにとって、気分が悪くなるA子に会うよりも、

会わない選択のほうが、「いい匂いがして、おいしそう」だったからです。


しかし、さらに「いい匂いがして、おいしそう」なものが

目の前に現れれば、

当然あなたはそちらを選びます。


目の前に

「悔いのないように、たくさん会って、彼女を見送りたい」

という「アーモンドと小魚」が降ってきて、

あなたは、そちらに飛びつきました。




私たちの行動には決心や計画があるわけではないので、

もっと幸せになれると思える選択肢が出てくれば、

そちらを選ぶ
のです。



ここまでお読みになって、

もしかしたらあなたは、


「でも、『この人にはもう会わない』とか

『この人に痛い目にあわせてやる』と、

『決心』したり、『計画』することだって、ありますよね?

そういう場合は、もう無理ということですか?」



と疑問に思われるかもしれませんね。


じつは、そういう場合も同じなのです。


「A子にはもう会わないと誓った!」という場合も、

その人にとって、「A子にはもう会わないと決める」ことが、

「いい匂いがして、おいしそうな『ひまわりの種』」

だと思えているだけ
なのです。


ですから、

「アーモンドと小魚」という、もっとおいしいものが現れれば、

「会わないと誓った気持ち」は消滅してしまいます。

気持ちなんて一瞬で変わるのですよ。



先ほどは、

「A子が死んでしまっては後悔する!その前にたくさん会いたい!」

という気持ちが、

あなたにとっての「アーモンドと小魚」でしたが、

「アーモンドと小魚」は他にいくらでもあります。




たとえば、あなたが感動的な本を読んで、

「人間としてもっと大きな自分でありたい!」

「A子にも大きな自分で接しよう!」


という新しい考えを持てば、

それも、あなたにとっての「アーモンドと小魚」になります。


その結果、「A子にはもう会わない!」という決心がくつがえり、

こだわりなく、清々しい気持ちで、A子と会うようになるでしょう。

(再度ムカつくかもしれませんが)


だから、「決心」や「計画」なんて、あってないようなものなのです。

今、一番好きだと思っている「ひまわりの種」よりも、

さらにおいしい「アーモンドと小魚」を見つけた!

と思えば、人はそちらを選ぶ
のです。


つづきます。