今日も、ちゅうつねカレッジを覗いてみて、ババババーッと浮かんできたことのつづきを書いていきます。
※ちゅうつねカレッジの会員募集が10月5日22時まで再開されたそうです。
9月28日(月)のセミナーについての詳細&お申し込みは、こちらからどうぞ!
てゆーか、明日だ!!
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幼少期から社会不適合気味だった私ですが、
高校を中退したあたりから、
少しずつ人との話し方などがわかってきて、
まー今思えば、まだまだ非常にヤバイ人間でしたが、
人が怖すぎて外に出られないとか、
だれとも話さずにジーっとしている、といった状態ではなくなりました。
市場調査の会社でアンケートのキャッチをしたり、
電話回線の飛び込み営業もしましたが、
若い女性ということもあったのか、すごく成績が良く、賞をもらったり、
飛び込み先から、
「うちで家売らない?」「宝石売らない?」「社員研修の代理店にならない?」
「君ならなんでも売れる」
などとちょくちょくスカウトされたり、
会社から
「社員になってほしい」とか「頼むからやめないで」
と言ってもらえるようになりました。
でも、しんどくて、続けられないのですよね・・・。
また、新しい仕事をはじめて、最初は
「会社に評価されないと、居場所がなくて死んじゃう」
「会社に利益をもたらさないと、生きている価値がない」
というような強迫観念でがんばるのですが、
一位をとったり、「こうやれば結果が出るんだ」と会得すると(した気になると)、
「あとは、延々ずーーっとこれを毎日繰り返すのか?」
「もうこれは攻略したから、気が済んだ」
と、途端に熱が冷めてしまうのでした。
このときはまだ24歳くらいで、
私は23歳のときに大失恋をして「だれとも結婚しない」と思っていたので、
(そうなのです、25歳くらいまで、意識レベルではそう思っていました)
誰かに養ってもらおうなど毛頭思っていませんでしたし、
だからといって、
一生、親のお荷物のみじめな自分でいるなんて、考えたくもありませんでした。
しかし、お金を手に入れる方法もなく、
たまにキャバクラでバイトをしても、
こんな人に言えない恥ずかしい、汚らわしい仕事、
本業になんてしたら終わりだと思っていました。
自分はゆくゆくは、さっそうと世に出ていくのだから、
そのときに、お水をやっていたなんて経歴が出たらスキャンダルになる、
と思っていたので、笑
スチール写真の撮影も拒否していました。
(まさか、将来そのお水を売りに活動することになるとは・・・)
この頃の私は、
1,生きるには金がいる
2,しかし、会社で働きたくないし、そもそも週5で働けない
+
3,とはいえ、実家で暮らすことも、ものすごくつらく、苦しかった
↓
2と3ゆえに、親に金をもらうという易きに流されていた
4,しかし、親から金をもらうことで、自尊心はズタズタで常に血を流していた
これらにがんじがらめになっていて逃げ場がなく、
ものすごい閉塞感の中で生きていました。
すぐ「死にたい」と思ったり、やけくそなくせに、
妙に自分を守っていたり、真面目で潔癖だったりして、
モヤモヤ、グチャグチャで、ずーっと停滞していました。
考えてみれば、子供のころから、そうでした。
いつも苦しくて、居場所がなくて、死にたくて、世界との関わり方がわからなかった。
当時、そんな私にピーーッタリ息の合う相棒がいました。
相棒なのでアイちゃんとしましょう。
彼女は大手プロダクションに所属していて、
モデルやタレントの仕事をしていたけれど、
安定した収入はなく、
私と違って家族とも疎遠だったので、もっと切迫していたのでした。
つづく・・・
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幼少期から社会不適合気味だった私ですが、
高校を中退したあたりから、
少しずつ人との話し方などがわかってきて、
まー今思えば、まだまだ非常にヤバイ人間でしたが、
人が怖すぎて外に出られないとか、
だれとも話さずにジーっとしている、といった状態ではなくなりました。
市場調査の会社でアンケートのキャッチをしたり、
電話回線の飛び込み営業もしましたが、
若い女性ということもあったのか、すごく成績が良く、賞をもらったり、
飛び込み先から、
「うちで家売らない?」「宝石売らない?」「社員研修の代理店にならない?」
「君ならなんでも売れる」
などとちょくちょくスカウトされたり、
会社から
「社員になってほしい」とか「頼むからやめないで」
と言ってもらえるようになりました。
でも、しんどくて、続けられないのですよね・・・。
また、新しい仕事をはじめて、最初は
「会社に評価されないと、居場所がなくて死んじゃう」
「会社に利益をもたらさないと、生きている価値がない」
というような強迫観念でがんばるのですが、
一位をとったり、「こうやれば結果が出るんだ」と会得すると(した気になると)、
「あとは、延々ずーーっとこれを毎日繰り返すのか?」
「もうこれは攻略したから、気が済んだ」
と、途端に熱が冷めてしまうのでした。
このときはまだ24歳くらいで、
私は23歳のときに大失恋をして「だれとも結婚しない」と思っていたので、
(そうなのです、25歳くらいまで、意識レベルではそう思っていました)
誰かに養ってもらおうなど毛頭思っていませんでしたし、
だからといって、
一生、親のお荷物のみじめな自分でいるなんて、考えたくもありませんでした。
しかし、お金を手に入れる方法もなく、
たまにキャバクラでバイトをしても、
こんな人に言えない恥ずかしい、汚らわしい仕事、
本業になんてしたら終わりだと思っていました。
自分はゆくゆくは、さっそうと世に出ていくのだから、
そのときに、お水をやっていたなんて経歴が出たらスキャンダルになる、
と思っていたので、笑
スチール写真の撮影も拒否していました。
(まさか、将来そのお水を売りに活動することになるとは・・・)
この頃の私は、
1,生きるには金がいる
2,しかし、会社で働きたくないし、そもそも週5で働けない
+
3,とはいえ、実家で暮らすことも、ものすごくつらく、苦しかった
↓
2と3ゆえに、親に金をもらうという易きに流されていた
4,しかし、親から金をもらうことで、自尊心はズタズタで常に血を流していた
これらにがんじがらめになっていて逃げ場がなく、
ものすごい閉塞感の中で生きていました。
すぐ「死にたい」と思ったり、やけくそなくせに、
妙に自分を守っていたり、真面目で潔癖だったりして、
モヤモヤ、グチャグチャで、ずーっと停滞していました。
考えてみれば、子供のころから、そうでした。
いつも苦しくて、居場所がなくて、死にたくて、世界との関わり方がわからなかった。
当時、そんな私にピーーッタリ息の合う相棒がいました。
相棒なのでアイちゃんとしましょう。
彼女は大手プロダクションに所属していて、
モデルやタレントの仕事をしていたけれど、
安定した収入はなく、
私と違って家族とも疎遠だったので、もっと切迫していたのでした。
つづく・・・