今日も、ちゅうつねカレッジを覗いてみて、ババババーッと浮かんできたことのつづきを書いていきます。

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てゆーか、明日だ!!


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幼少期から社会不適合気味だった私ですが、

高校を中退したあたりから、
少しずつ人との話し方などがわかってきて、

まー今思えば、まだまだ非常にヤバイ人間でしたが、

人が怖すぎて外に出られないとか、
だれとも話さずにジーっとしている、といった状態ではなくなりました。


市場調査の会社でアンケートのキャッチをしたり、

電話回線の飛び込み営業もしましたが、

若い女性ということもあったのか、すごく成績が良く、賞をもらったり、

飛び込み先から、

「うちで家売らない?」「宝石売らない?」「社員研修の代理店にならない?」

「君ならなんでも売れる」


などとちょくちょくスカウトされたり、

会社から

「社員になってほしい」とか「頼むからやめないで」

と言ってもらえるようになりました。


でも、しんどくて、続けられないのですよね・・・。


また、新しい仕事をはじめて、最初は


「会社に評価されないと、居場所がなくて死んじゃう」

「会社に利益をもたらさないと、生きている価値がない」



というような強迫観念でがんばるのですが、

一位をとったり、「こうやれば結果が出るんだ」と会得すると(した気になると)、


「あとは、延々ずーーっとこれを毎日繰り返すのか?」

「もうこれは攻略したから、気が済んだ」



と、途端に熱が冷めてしまうのでした。


このときはまだ24歳くらいで、

私は23歳のときに大失恋をして「だれとも結婚しない」と思っていたので、

(そうなのです、25歳くらいまで、意識レベルではそう思っていました)

誰かに養ってもらおうなど毛頭思っていませんでしたし、

だからといって、

一生、親のお荷物のみじめな自分でいるなんて、考えたくもありませんでした。


しかし、お金を手に入れる方法もなく、

たまにキャバクラでバイトをしても、
こんな人に言えない恥ずかしい、汚らわしい仕事、
本業になんてしたら終わりだと思っていました。

自分はゆくゆくは、さっそうと世に出ていくのだから、
そのときに、お水をやっていたなんて経歴が出たらスキャンダルになる、
と思っていたので、笑
スチール写真の撮影も拒否していました。

(まさか、将来そのお水を売りに活動することになるとは・・・)


この頃の私は、


1,生きるには金がいる

2,しかし、会社で働きたくないし、そもそも週5で働けない

3,とはいえ、実家で暮らすことも、ものすごくつらく、苦しかった

2と3ゆえに、親に金をもらうという易きに流されていた

4,しかし、親から金をもらうことで、自尊心はズタズタで常に血を流していた



これらにがんじがらめになっていて逃げ場がなく、
ものすごい閉塞感の中で生きていました。


すぐ「死にたい」と思ったり、やけくそなくせに、

妙に自分を守っていたり、真面目で潔癖だったりして、

モヤモヤ、グチャグチャで、ずーっと停滞していました。



考えてみれば、子供のころから、そうでした。

いつも苦しくて、居場所がなくて、死にたくて、世界との関わり方がわからなかった。


当時、そんな私にピーーッタリ息の合う相棒がいました。

相棒なのでアイちゃんとしましょう。

彼女は大手プロダクションに所属していて、
モデルやタレントの仕事をしていたけれど、
安定した収入はなく、
私と違って家族とも疎遠だったので、もっと切迫していたのでした。


つづく・・・