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今年も、8月15日が巡って参ります。

それは我が國にとって、大東亜戦争の停戦の日であり、我々が現在生きる「戦後体制」が始まった日でもあります。

戦後体制、それは、GHQにとっては占領基本法であった占領憲法を、我が國が講和条約発効後もなお、今に至るまで、憲法典として運用してきてしまっている体制、のことです。

GHQの意図としては占領基本法であったものを、憲法典として運用するのですから、様々な問題点が起こってきて当然です。第9条にしても、占領基本法であるからこそ、GHQは軍隊の不保持を定めたのです。

占領憲法の問題については、触れると長くなりますので別の記事で述べたいと思いますが、今、現在の我々が為すべきことは、大東亜戦争の真相を直視することです。

良い点は良いと評価し、同時に悪かった点は率直に反省して、これからの我が國の守りに役立てるべきです。

人は過ちを犯します。どんな英雄でも必ず過ちを犯します。我々の父祖は立派な方々でしたが、しかし、同時に過ちも犯しました。それで良いのです。

私が声を大にして申し上げたいのは、過ちを犯したからといって、我々が父祖を尊敬すべきではない、などということには絶対にならない、ということです。

我々が父祖を尊敬すべき、感謝すべきなのは、立派なところもあり、しかし過ちも犯す父祖たちが、それでも必死の思いを込めて、私たちの為に國を守り、残して下さったこと。

そんな私たちが父祖の恩に報いるということは、父祖の良い点は受け継ぎつつも、過った点は素直に直視し、我が國をこれから立て直していく為、考えていかねばならないということなのです。

以下は、昨年の今頃、大東亜戦争について述べた記事です。今、ここに転載致しますので、ご一読下さい。

以下の捉え方には、様々なご意見があろうと思います。皆様にとって、大東亜戦争を考える一つの参考にして下さいましたら幸甚です。

大元帥先帝陛下と英霊の御前に。


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ふりつもる み雪にたえて 色かえぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ (昭和天皇御製)


来たる8月15日は、大元帥先帝陛下による「大東亜戦争終結ノ詔書」が、私たち臣民に対して公にされた日。

三百万人以上に及ぶ戦没者の皆様、
靖國神社にまします英霊の皆様、
家族を思い、國を思い、特攻に赴かれた皆様、
シベリアで、満洲で無念にも犠牲になられた二十万の婦女の皆様、
極寒のシベリアで落命された五十万の男子の皆様。

私たちの國體が揺らぐこと無く、今に至っているのは、大東亜戦争にて雄々しく戦われた皆様のおかげです。

私たちが皆様のことを忘れることは、決してありません。

誓って、万古不易の日本國を子孫に継承し、大日本帝國憲法の復元改正・皇室典範奉還を成し遂げ、我が國を再生致します。

そして。

私たちが拳拳服膺して忘れてはならないのは、聖断を下された大元帥先帝陛下によってこそ、國體は護持されたということです。




支那事変、それに続く対米英蘭戦争は、併せて大東亜戦争と呼称されます。これらを準備し、踏み切ったのは近衛文麿・第34、38、39代内閣総理大臣でした。

近衛文麿は、五摂家の一つである近衛家の当主であり、公爵でしたが、若かりし頃より社会主義思想に傾倒し、共産主義者であった河上肇助教授の元で学ぶ為、東京帝國大学哲学科を中退してまで京都帝國大学法学科に入学しなおしています。

京都帝大卒業の翌年、近衛文麿は『英米本位の平和主義を排す』を著しています。ここで近衛文麿は、「持たざる国が持てる国のものを武力で奪うことは正当化されるのだ」と主張していますが、これこそは、「持てる国(ブルジョワジー)のものを持たざる国(プロレタリアート)が奪っても合法なのだ」ということで、まるでレーニンのプロパガンダ文書『帝国主義』そのものの主張をしているのです。

近衛文麿のいう「英米本位の平和主義」、つまり現状存在している国際法による秩序とは、国際社会において自生的に形成されてきた国際慣習法と、国家間において取り決められた條約によって成り立っているものです。

近衛文麿は、これを「英米本位」とすり替えることで、まるであたかも英米が世界を我が物顔に、好き勝手に壟断しているが如き印象を与え、対英米戦争は正しい戦争(聖戦)なのだ、と世論を欺いたのです。


近衛文麿は、その腹心に、ゾルゲ事件で知られることとなるコミンテルンのスパイ、尾崎秀実(朝日新聞記者などを務める)を擁していました。

ソ連ロシアに情報を漏らしていたゾルゲ事件で逮捕されるまで、尾崎秀実は当時の日本随一の論客として名をはせていました。そして彼は、あらゆる政治家よりも、官僚よりも、陸軍よりも、海軍よりも、支那事変拡大の旗を振り、世論に厳然と存在していた支那との早期講和論を圧殺したのです。

この他にも、近衛政権には多くの左翼人士がいました。実に、近衛政権とは左翼政権であり、コミンテルン政権だったのです。

この事情は、アメリカ合衆国においても同じでした。フランクリン・ローズヴェルト大統領は共産主義シンパであり、ハル・ノートを書いたハリー・ホワイトやアルジャー・ヒスなど、政権にはコミンテルンの工作員が多くいました。

大東亜戦争とは、日米両國の政府が、コミンテルンに乗っ取られ、互いに共倒れの敗戦革命を起こさせるべく、ソ連ロシアによって起こされたものでした。

真珠湾攻撃にしても、ローズヴェルトは攻撃があることを事前に知っていたにもかかわらず、当初はほとんどの米国民が日本との戦争など望んでいなかったので、日本への敵意を醸成する為に、わざと攻撃があることを現地の司令官に知らせずに、自軍の将兵を見殺しにしたのです。

さて、近衛文麿が、昭和12年(1937年)、総理大臣に就任して真っ先に行ったことは、日本共産党の治安維持法で受刑していた者や、5・15事件、血盟団事件、2・26事件などで受刑していた者らの大赦運動でした。

朝日新聞も、当時(昭和8年・1933年)、5・15事件の実行者らに対して「 止むに止まれぬ祖国防衛権行使(8月22日付見出し)」などと世論を煽り、助命嘆願運動を行っています。

近衛文麿は、昭和8年(1938年)、国家総動員法を制定させ(広範囲の委任立法を容認させるものであり、天皇大権を侵すもの)、昭和10年(1940年)には大政翼賛会を結成させ(これは政党政治を否定するものであって大日本帝國憲法に違反)たのでした。

これらは、明らかに大日本帝國憲法に違反するものです。近衛文麿によって企図され、実行された大東亜戦争は、大日本帝國憲法ひいては明治皇室典範をも破壊するものであったといえます。

つまり、大東亜戦争を指揮した、コミンテルンに乗っ取られた我が國の政府は大東亜戦争前夜、またはその当初において、既に大日本帝國憲法の破壊に着手し、実行していたのです。

そして、敗戦。

GHQによる占領下において、大日本帝國憲法と明治皇室典範は、いわば、日米両國のコミンテルンの共犯により、破壊され、占領憲法と占領典範が成立することになります。


我が國が、何故、如何に敗戦國とはいえ、永きにわたって「不法な侵略戦争をしてきた」「様々な戦争犯罪を働いてきた」という悪罵を投げつけられてきたのか。

それは、大東亜戦争の真相を隠蔽する為に他なりません。

すなわち、大東亜戦争とはロシア・コミンテルンが、日米両國政府を乗っ取り、互いに共倒れとなるべき戦争を起こさせて、我が國においては、大日本帝國憲法と明治皇室典範を破壊し、後々の革命の準備をさせたものであるのです。

そして、ヴェトナムなど他の諸国においては、植民地支配からの独立などを名目に、それらの諸国を社会主義化し、ソ連ロシアの勢力範囲に入れていったものなのです。

従って、

「大東亜戦争は不法な侵略戦争である」という論はもちろん、

「大東亜戦争は聖戦であった」という論さえも、

どちらも、事実を見落としたものであり、誤った見方であるということになります。

「大東亜戦争は、ソ連ロシア・コミンテルンに乗っ取られた日米両國政府によって行われた、社会主義勢力拡大の為の戦争であった」

これこそが、大東亜戦争の真相です。

ただ、決して誤解してはならないことがあります。

それは、そうであったとしても、冒頭で述べたように、靖國神社の英霊の方々等、國を守る為に戦われた方々の戦いは、それでも、全く、何ら変わることなく尊く、有難いものです。

何故なら、如何に我が國の政府がコミンテルンに乗っ取られていたものとはいえ、アメリカの軍隊が実際に攻めて来れば、國を守るためには戦わざるを得ません。その時点においては、まずは國を守ることが先決であり、大義です。

これは、現代においてもいえることであって、たとえば、もしも我が國のその時の政権を支持しなくても、我が國が侵略を受ければ戦うでしょう。國と政権とは別のものです。政権を支持できなくても、我が國が侵略されれば戦わねばなりません。これと同じことです。

大東亜戦争の真相がどうあれ、現代に生きる私たちは、國の為に戦われた方々に万斛の感謝を申し上げねばなりません。その方々のおかげで、國は守られているのですから。

その意味では、大東亜戦争とは、自衛戦争としては正しい戦争であった、といえます

私たちが大東亜戦争から学ぶことは、同盟関係などを含む、正しい国際関係とは如何なるものなのか、

そして、いつの時代においてもポピュリズム的熱狂に基づく政治は、結局は國の運営を誤ることが多い、ということです。

このブログでは、また折に触れて述べていきたいと思います。



四方(よも)の海 みな同胞(はらから)と思ふ世に など波風の立ち騒ぐらむ (明治天皇御製)