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本日は、当初は憲法学概説の続きを掲載する予定でしたが、ご質問を頂いた件についてお答えしたいと思います。宜しくお願い致します。

さて、先日の記事に於いて、大日本帝國憲法が天皇主権を否定している、ということをお話し致しました。端的には、大日本帝國憲法は、天皇主権に限らず、国民主権や人民主権といった、凡ゆる「主権論」を全面的に否定し、排斥しているのです。

というのは、大日本帝國憲法とは、前回の記事でも述べた通り、「法の支配 Rule of Law(立憲主義 Constitutionalism)」に立脚する英米保守思想に基づく憲法典です。「法の支配」は、統治権を「法」の下に置く思想ですから、「法の支配」に立脚するところに於いては、「主権論」は全く、一切成立し得ません。「法の支配」と「主権論」は水と油の如く正反対であり、互いに全く矛盾し、排斥し合うものです。

詳細は、前回の記事を参照して頂きたいと思います。

さて、我が國に於ける一般的な憲法学では「主権」という言葉は、三つの異なる概念に用いられています。

一つ目は、「我が國の主権は、北方四島から沖縄県にまで及ぶ」などという場合の主権。

これは、実は、「統治権」というのと同義の「主権」です。これは、我が國の行政・立法・司法などの権限(天皇が総覧される)がこれらの領土に及ぶ、ということを意味しています。従って、この「主権」はあえて主権と表現する必要はなく、「統治権」といった方が分かりやすいです。

二つ目は、「我が國はサンフランシスコ講和条約により、主権を回復した」という場合の主権。

これは、「対外的な独立性」という意味です。つまり、国際法に照らして植民地や保護国などの態様ではなく、対外的に完全に独立を有し、如何なる国の干渉をも受けない状態、のことです。従って、この場合も、敢えて「主権」という表現をする必要はなく、「独立(性)」と表現した方が分かりやすいです。「占領憲法・占領典範は、主権が制限されていた間に於いて制定された故に無効である」という場合の主権も、この「独立(性)」の意味です。この主権は、「國家主権」ともいいます。

三つ目は、「我が國に於いては、主権は天皇が有する」などという場合の主権。

これが、天皇主権・国民主権・人民主権でいう主権であり、この場合の主権とは、国のあり方を最終的かつ終局的に決定する、最高にして絶対かつ無制限の力のことです。

そして、前回の記事でもお話ししましたように、この「主権」は「法の支配(立憲主義)」とは完全に矛盾するものであって、大日本帝國憲法では完全に否定されているものです。この「主権」は「法の支配」を破壊するものであって、憲法学に於いては認めてはならないものです。

従って、「主権」という言葉は、一つ目と二つ目の意味に於いてのみ用いることができるものであり、しかも、これらは他の言葉で言い換えることもできるものですので、もはや我が國に於いては「主権」などという誤解を生む、紛らわしい言葉を用いるのはかえって有害であるといえます。

さて、以上の点を踏まえ、ご質問にお答え致します。

先日の記事でもお話ししました通り、我が國がサンフランシスコ講和条約に於いて放棄した領土、つまり南樺太・千島列島(北方四島は放棄していません)・台湾については、帰属が未決定のまま、現在に至っています。従って、これらの領土については未だに潜在的に主権(この場合は統治権)が及んでいる、と解釈できます。

なお、領事館を設けてしまっている以上、主権を放棄してしまったに等しい、とのご意見もありますが、いずれにせよ、帰属が未定である以上は、国際法上はどこの国の領土と決まったわけでもないので、依然として潜在的な主権は存在すると解釈できます。

次に、「統治権」と「主権」の違いについてですが、「主権」を一つ目の意味に用いる場合に於いては、両者は同義であり、三つ目の意味に用いる場合に於いては、我が國に於いては天皇主権・国民主権・人民主権は認められませんから、両者は矛盾します。

さて、「統治権」と「主権」を区別し、統治権は及ばないが、主権(潜在的ではなく)は現在でも及んでいる、という論について考えてみましょう。

まず、この場合の「主権」とは、どのような意味でしょうか。

「統治権」とは区別されている「主権」ですから、一つ目の「統治権」の意味の主権ではあり得ません。そして、ここでは日本國の独立性が問題になっているわけでもありませんから、二つ目の「独立性」の意味の主権でもありません。

そうなると、この「主権」は、三つ目の「天皇主権・国民主権・人民主権」の主権を表していることとなります。すなわち、この「主権」とは、我が國に於いては憲法学上、認めてはならない意味の「主権」であるといえます。

従って、「統治権」と「主権」を区別して統治権は及ばないが主権は及ぶ、とする論は、「天皇主権・国民主権・人民主権」など、「法の支配(立憲主義)」に反する概念を持ち込むこととなり、認めるべきではない、ということになります。

「統治権」とは行政・立法・司法などの総称であり、これは「法の支配」には矛盾しません。しかし、三つ目の意味の「主権」は、「法の支配」に矛盾するのです。