自分の肉体がこの世に誕生し滅びるまでの間しか、自分を意識することができないのだろうか?

自分が死んだら、意識が無くなり世界を見ることができなくなるので、世界が無いのと同じではないか?

自分が見ているから、世界はあるのではないか?量子力学や観察(観測)者効果?

果てしない宇宙空間と果てしない過去と未来の時間の中に、ほんの一瞬だけ存在する自分とは一体何なのだろうか?

 

小学生のころから不思議に思ったものの、成長するにつれその疑問は薄れ、社会人となり資本主義経済の激しい競争を生き抜くのに必死で、刹那的な唯物主義に陥っていました。

退職後は起業して独立し、利益追求と出世競争で上下左右を意識する必要がなくなり、自分の理想の仕事とライフスタイルを目指すなかで、今後の生き方について考えるようになりました。

 

日本は、ある時代から魂の存在や輪廻転生を論ずることをタブーとし、唯物論で帝国主義や資本主義を支えてきたような気がします。

国民意識を統一するために、画一化した価値観を与える教育制度や、富国強兵・経済成長の人材育成に必要な競争意識を高めるための官民一致した共通理念が、人としての根本的な生き方を阻害してきたと思います。

私も前職では、会社の利益追求と内部統制に邁進してきましたので、社員個人の考え方は自他ともに無視し否定しながら過ごしてきました。

 

私は、特定宗教の信徒ではなく、スピリチュアルに関しても、色々な本を読んでまだまだ研究段階にありますが、「生まれ変わり・輪廻転生」はあるという立場です。

誤解してほしくありませんが、ここでは宗教論やスピリチュアルを述べるということではありません。

「生まれ変わり・輪廻転生」を考えることにより、「生きることの目的」が明確になってくる気がするのです。

 

「生まれ変わり」に関しては、医学博士や医師の数々の証言で検証した[完全版]『生きがいの創造』(飯田史彦著)を要約しましたので、前回の下記ブログをご参照ください。

https://ameblo.jp/sanjujo/entry-12588290141.html

 

もし、「生まれ変わり・輪廻転生」があるとし、生まれ変わる間の中間生が存在するとしたら、どんな感じなのでしょうか?

 

中間生には、天上界から地獄界までのいくつもの階層があるという考えもあり、この物質世界は上位のレベルの高い者は平凡に生活し、下位の地獄界から来たレベルの低い者が社会の頂点に君臨しているという説はあながち否定できません。

しかしここでは、そのことは問題とせず、我々の意識がこの世にどこから生まれて、消滅するのかしないのかを考えてみたいと思います。

 

これまで、写真のような十数冊の本を読んだ結果、以下のようなイメージの仮説となりました。

 

①   宇宙に大元となる意識体が存在しています。(存在場所を、仮に宇宙とします)

②   その意識体は多数の集合体なのか巨大な単体なのかという定義はできません。(物質世界ではないので、大きさや形状等の概念がありません)

③   宇宙の意識体のある世界は何でも思い通りになり、全知全能で愛と調和だけの完全で幸福な善なる世界です。

④   宇宙の意識体の世界は、物質世界のように陰陽(善悪・正負・男女・優劣・明暗・上下・左右・表裏等)が無いので、比較対象にするものが無く、完全で幸福な善なる世界を自己評価することができません。

⑤   その意識体は、その完全で幸福な善なる世界をあえて自ら確認するために、物質世界で人間の体を乗り物(宿る対象)として借り、誕生をスタートに機能不全をゴールとしたシミュレーションゲームを体感することにしました。

⑥   シミュレーションゲームは何の障害もなく楽々簡単にゴールしては面白くないので、様々な難易度のモードや、フィールドや環境の場面設定、主人公(自分)の能力や敵味方等のキャラクター設定、病気・事故・事件・人間関係等の障害の問題設定を行いました。

⑦   大元の意識体が集合体ならその内の一つの意識が物質世界に登場し、巨大な単体だとしたら一部が分割され分離した一つの意識として物質世界に登場します。

⑧   物質世界では借りる乗り物(宿る対象物・借りる衣服など表現は様々)が膨大にありますが、大元の意識体は理論上それより多く存在しますので、意識の宿らない対象物はありません。

⑨   その際に、ゲームの内容が分かっていては面白くなく、問題が全て予測できたり、解答がカンニングできたら検証にならないため、中間生で設定した記憶はすべて消去され物質世界に送り出されます。

⑩   宇宙から送り出された一つの意識は、物質世界で先にプレイ中の人間の体内で誕生した赤ちゃんの脳内細胞に心と思考を媒体として宿ることができ、出産後成長して自我が生まれます。

⑪   生まれた瞬間に感じることは、「自由が利かず思い通りにならない」ということです。

⑫   その物質世界の特徴である「自由が利かず思い通りにならない」ことから、先にプレイしている家族や先輩から様々な教えを受け、仏教で云う「六大煩悩」に執着し「四苦八苦」から逃れられなくなります。

⑬   しかし、このシミュレーションゲームは、問題を解決して高得点を挙げることに価値はなく、これらの困難や障害や課題の存在に意味があり、そこからの学びで成長することが真の価値なのです。

⑭   もう一度、このシミュレーションゲームの目的を確認しましょう。「陰陽が無く、他と比較して自己評価できない完全で幸福な善なる世界をあえて確認するために、陰陽のある物質世界で人間の体を乗り物(宿る対象)として借り、誕生から機能不全までのシミュレーションゲームを体感することにしました。」

⑮   このシミュレーションゲームの最大の目的は、感謝を感じることで幸福になることです。逆に言えば、これらの困難や課題を乗り越えて初めて、完全で幸福な善なる世界に喜びを感じ感謝ができるのです。

⑯   この物質世界は、陰陽(善悪・正負・男女・優劣・明暗・上下・左右・表裏等)で出来ています。その中でどちらかに揺れながら感じ、意識しています。食べ物で云えば、不味い物を食べなければ美味しい物が分からないように、悪い物を見ないと善い物は分かりません。

⑰   このように様々なモードでの、フィールドや環境の場面設定、主人公(自分)の能力や敵味方等のキャラクター設定、病気けが・事故・事件・人間関係等の障害の問題設定を、レベルや得点の差こそあれ自分の力で乗り越えたことで喜びを感じ、そこから感じ取ったことで感謝が生まれます。

⑱   しかし、このシミュレーションゲームも、最後まで六大煩悩でエネルギーを使い果たしては、四苦八苦を繰り返すばかりで疲れ果ててしまいます。

⑲   少しの間ガレージに入って自己投資して、足回りをチューンナップしたり、カスタム化して見栄え良くしたり、バージョンアップして馬力を変えるのは自由です。投資してパワーアップするより、マイペースで休みながら行きたい人は、六大煩悩から少し解放され四苦八苦も緩和されます。

⑳   理想は、ゴールが見えたら今までの得点で良しとして、六大煩悩を手放すことで四苦八苦から解放されて楽な気持ちでゴールに到達することです。その後、借りた乗り物を自然廃棄処分して中間生に戻ります。

 

シミュレーションゲームの中で、自分とって結びつきの強い人や、教えてくれたり、助けてくれたり、善からぬことをされたりして、色々な人物が登場しますが、既に中間生で設定された登場人物です。

各登場人物は、アドリブでその場に応じた対応を自らのシミュレーションゲームとして行います。

 

シミュレーションゲームの基本ルールは、他者の邪魔をしないこと。

ポジティブな言葉遣いや、他者を助けたり喜ばせて陰徳を積むとパワーアップします。

逆に、他者を邪魔したり不快にさせたりネガティブな言葉を発すると、折角もらったパワーがダウンします。

 

シミュレーションゲームのルール違反は、暴行傷害や殺人等の凶悪行為と自殺です。

病気けが・事故・事件・人間関係等は設定されたものなので、ルール上の問題はありません。

他人への暴行傷害や殺人等を行った場合、次の生まれ変わりの設定で逆の立場を体験させられることになります。

さらに、乗り物廃棄やゲームプレイ自体の放棄という自殺行為は、大きな罰則がありますのでご注意ください。

 

以上のように、中間生から物質世界のこの世に登場したイメージをまとめましたが、ゴール(人間の肉体を全う)した後は中間生に戻り、物質世界の体験による自分のプレイぶりを指導役と共に検証します。

 

その後、多ければ何万回も繰り返し繰り返し、シミュレーションゲームの設定とモードを変えながら自分の目標とする環境の改善と高得点を目指し、この物質世界の体験ツアーを行います。

その中には、前にも一緒だった家族や仲間が、またソウルメイトとして登場することもあります。

 

ポイントは、自分という意識を持って登場する際には、同じ自分が学んだことからレベルアップしなければ、延々と同じレベルが繰り返されること、また、自分のレベルの上下で「自由が利かず思い通りにならない」各設定の難度も高低が変わるということです。

それは、肉体的な不自由さや家族の死、人間関係の過酷さ、与えられた課題の大きさなど様々なようですが、レベルアップした人生体験は過去生で積んだ陰徳の因果で、他者の愛に助けられ喜びと感謝に満ちたものとなります。

 

まだまだ、書きたいことがあり、私のこれまでの拝金主義の価値観から、よくぞ言えたものだと思いますが、途中から湧き上がるように閃く内容に自分でも驚いています。

 

最後に、苦しかった会社員時代、座右の銘にした言葉を皆様にお送りします。

 

神様は、乗り越える力のある者にしか、その試練を与えない』