3時45分 いつもより早くに目が覚める
平成25年9月10日 今日17年半勤めた会社を退職する


今日は「会社を辞める理由」を自分なりに整理(備忘録)も兼ねて


僕が3歳の時、弟が1歳の時に母親が29歳という若さで他界しました。
当時働き盛りだった父親は、僕たちを伊丹に住む叔母夫婦に預け

生活を別拠点としました。
父親と一緒に過ごした時間はここまでの数年間だけで、
あとは週に一度会いに来てくれたり、行ったりしていました。
成長するに連れその頻度も少なくなり、僕は地方の大学へ進学

こうして幼少期に母を亡くし、父親と離れて暮らしていたこともあり
少年期は「パパ大好き」のお父ちゃん子でした。

将来は当然(果物の卸売をする)父親のする仕事手伝うものだと

確信しておりました。

学校卒業後に、就職先に今の会社を選んだのも「父親のする仕事を手伝う」ためで
当時、父親の会社の取引先でもあるこの会社を薦めてくれたのも実はその父親でした。
最初の配属は「青果担当者」でしたが、今考えても野菜よりも果物ばかり一生懸命売りこんでいました。
たまに果物の箱にボールペンで店名などが書かれていたりすると、
「あ、オヤジの字だ!」なんて思っていました。

当時は自分のしている仕事が、父親の仕事と通じていることに大変意義を感じていましたし それは、青果担当者を離れ次長、店長になってもどこかに感じていたように思います。


一時期父親との関係もよくなく反発していた時期もあったのですが
それ以上に「スーパーマーケット」「店長」という仕事にやりがいを感じていたので
何度かあったその「機会」を選ぼうとはしませんでした。


そして今年の1月に父親が古希(70歳)を迎えました。
紫のちゃんちゃんこ(?)を着ている父親の写真を見て


「(このままオヤジの手伝いをしなかったら)
おやじが死んだ時に後悔するんだろうなぁ…」


漠然とそう感じるようになっていました。


そんな中、自分が店長を務める店が競合の出店にともないどんどん売上、客数が急降下 利益も前年の半分以下…そんな状況が数ヶ月続きました。
苦痛の日々の中「いっそ自分から降りようか」と逃げ出したい気持ちにもなりました。でも任されている間は一生懸命やろう!そんな気持ちの繰り返しでした。


そして出た人事異動…    
その意味も十分わかったつもりです。


辞令の連絡を受けた瞬間に
「スイッチ(退社)するならこのタイミングだ!」思いました。


まずは社員全員を集め、辞令が出たことを報告
そしてその後すぐに父親に電話をし、自分が考えていることを話しました。
父親は「わかった 考えておく」とだけ言ってくれたので、後は任せることにし
翌日上司に退社の意思表示をしました。


自分を育ててくれたのも、今の自分があるのもこの会社(スーパー)のおかげ
いっぱい勉強させてくれたこの会社に感謝この上ない気持ちです。
自分が果物を販売して、父親の仕事とつながっていたように
将来はなんらかの形でこの会社に「貢献したい」「恩返しがしたい」と考えています。
そしてこの会社と一緒に競合店と戦うというのが夢です。