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今の気分では

日記みたいにしようと思います。



ある日のこと

とあるイベントに顔を出しました。


そこでは

テレビでもお馴染みの方が司会をしていたのですが、台本をしっかり読みながら感情を消して文面を読んで進行をしていました。


それを目にして正直、怖くなったのは事実。


「このやり方を望まれたら、もしかしたからAIに取って代わるかもしれない」


その方は多分、誰かから望まれたように仕事をしただけだと思うんです。


以前、AI開発を仕事にする方に言われたのが、AIは「その時の感情を伝えられない」というものでした。


間違っていなければ、それはきっと個人の価値観から生まれたリアクションや考えのことだろうし、その方が言うには「深い感想はAIには伝えられない」ということなんじゃないかと。


ある人は「個」が前面に出るのは好きじゃないと言うし、ある人は「個」がなければ面白くないと言う。


私の見解はというと、「個」を押し殺したら誰でも出来る仕事になってしまう気がしてならない。


人との仕事には「調和」が大事だろうし、ステージやテレビでの仕事でも場作りはみんなの力で完成するし、誰に届けるかでトーンだって変えたほうがいい。


淡々と進むことをお洒落と考え良しとする人もいるだろうし、私はといえば、観る人が楽しんで観続けたいと思える空間作りが出来たらいいという感じ。


それを好まない人は私を選ばないだろうし、誰にでも合わせていたら「個」を消す癖がつき、気がついたら誰にでも出来る仕事に自らしてしまうんじゃないかと思っていて。


ただ台本通りに読んで、感情を抑えることを人に望むのは個を否定していることにもなるので、恐ろしいなぁ。


たとえそれがアナウンサーの仕事と言っても表情やリアクションは個性。


それが共存するってことで、結果的にそれぞれの個性を活かすことになるんじゃないかな。