タイトルは、昨晩、私が次男坊へ言った台詞です。
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嘘をついた時に。
それを、周りから「嘘だ!!」と言われると、子どもは、意固地になることがあります。
「嘘じゃないもん!!」
と、一生懸命、嘘だと疑われないための材料を探して、言い訳します。
矛盾を突かれれば突かれるほど、さらに、それを論破して言い負かそうと、嘘の上に嘘を塗り重ねていきます。
そうしていくうちに、最初は、「小さな嘘」であったことが、「大きな嘘」になってしまい、今さらそれを嘘だとは認められない状況になります。
不思議なもので。
発端は「嘘」であっても、時に、それが、「本当のこと」になっていく場合もあります。
『嘘から出た誠』というやつですね
「それは、本当やよー。俺も見たもん!!」
などという自分の味方が、何故か、現れたりもします。
そうすると、嘘をついた子は、自分の嘘は、「本当だったんだ!」と、思います。
自分でも、それが、嘘ではなく本当であると思い込んでしまいます。
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自分の本当の気持ちがわからない
という状況は、これに似ているような気もします。
自分の本当の気持ちに嘘をついているうちに、その「嘘」が、本当の気持ちであるように思えてきます。
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昨日、次男坊を叱っているときに、つい、
「おかあさんは、あなたが心配で言っているんやよ!!」
「おかあさんは、あなたのためを思って言っているんやよ!!」
という台詞を吐いていた私。
…はい。
そんなの、「大嘘」です。
叱った動機は、単に、次男坊に「嘘をつかれていた」「騙されていた」ことに驚いて、悲しくて、腹が立ったからです。
嘘をつかれていた私を「被害者」にして、その怒りと悲しみを、次男坊を責め上げることで解消しようとしていただけです。
そんな自分の感情をごまかして正当化するためについた嘘が、
「おかあさんは、あなたが心配で言っているんやよ!!」
「おかあさんは、あなたのためを思って言っているんやよ!!」
です。
そして、そう言っているうちに、自分自身でも、その台詞が、私の本当の気持ちであるような気になって、そう思い込んでいただけです。
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私が、その嘘を、自分自身で嘘だと認めさえしなければ、
もしかすると、次男坊も、その言葉を「本当のおかあさんの気持ち」だと受け止めて、「おかあさんは、俺のために言ってくれているんだ」と思い込んでくれるのかもしれません。
そして、もしかすると、「あのときおかあさんが叱ってくれたおかげで、俺は成長できた」などという、都合のよい因果関係を勝手に自分で作り出してくれるのかもしれません。
そうなれば、それこそ、嘘も方便、嘘から出た誠なのでしょう。
たとえ、それが、嘘であっても、結果、どちらもが幸せになれるのなら、それはそれで、アリではあるのでしょう。
でも、そうしたら。
私は、自分を正当化していることに気づけぬまま、私自身の本当の気持ちに気づけぬまま、また、今後も、同じことを繰り返してしまうのでしょう。
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私の長男は、すぐに、私の台詞に突っ込みをいれる面倒くさい人です。
「…で、何て答えて欲しいの?」
「その質問の意図は?」
「それは、本心なの?」
「都合よく言葉を言い換えてるだけじゃないの?」
と。
…えぇえええーーーい(# ゜Д゜)!!
面倒くさいやつめ!!
なので、よく、ありがちな台詞…
「おかあさんが、何で怒ってるか、分かる!?」
なんて台詞は、上記の言葉たちで、簡単に、論破されてしまいますね(笑)
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「嘘をついていると本当のことがわからなくなるよ!!」
と、私が次男坊を叱っているときに、その横で、そんな私を見てにやけていた、うちの長男。
…この台詞が、私自身のことを言っているように、見えたのでしょうね?
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私は、嘘つきです。
自分自身の気持ちに嘘をついた台詞を吐くことの出来る名人です。
だからこそ。
せめて、私自身は、私自身が嘘つきであることを、ちゃんと、自覚していたいと思うのです。
自分が嘘をついているのかどうかがわからなくなる……
そんなことを、避けたいと思うのです。
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それを自覚させてくれた次男坊と長男に感謝です