自分は正しい!!
っていう過剰アピールをすると、程なくして、
…いや?そうでもないよ?
という結果が目の前に現れてくるもんなのだな、と。
ある出来事を通じて、実感しましたです。
・。・。・。
自分は正しくて絶対!!
と言い張る方に、一生懸命、言葉を尽くして「否」を唱えなくても、ちゃんと、その方が自分で気づくことが出来るようになっているのだなぁ…と、思いました。
…そして、「否」を自覚する出来事を、その人自身に向き合わせることを躊躇ってしまう私が居ることにも、気がつきました。
私自身が、言葉でその人に反発することに対しては抵抗がないのに…
その人自身に、過酷な現実を突きつける事に対しては、罪悪感を感じてしまうという矛盾。
「ほらね?私の言ったとおりでしょ!?ざまあみろ!!」
とは、思えない私。
………何でだろ?
・。・。・。・
私自身がその人の意見に反発した場合、たぶん、その人は、傷つきません。
たぶん、その人は、私のことを憎むか、「分かってないアホなやつ」だと蔑むだけなのでしょう。
だから、私は、辛くないのでしょう。
私自身が、その人に憎まれたり、蔑まれたりすることは、もちろん、嫌です。
けれども。
その人が傷つく姿を見るのは、私は、もっと嫌です。
・。・。・。・。
傷つけたくて、言っているのではないのです。
悲しむ顔を見たくて言っているのではないのです。
意見を共有し合いたいだけなのです。
理解し合いたいだけなのです。
・。・。・。・。・
私自身が、こんな、のほほんとしたように見える、子どものような容姿なことも関係しているのでしょうが。
私は、どちらかというと、「妹キャラ」で、「守ってあげたくなるタイプ」です。
…って、自分で言うのもどうかと思うが(笑)
なので、私の意見は、初対面の方や、あまり接触のない方には、軽視されることが多いです。
私が反発したところで、屁とも感じられない方は、とても多いです。
…まあ、私自身も、こういう自分の「見た目」を武器に利用してるんですけどね
でも。
だからこそ、自分の無力感を味わうことも多いです。
私の意見は、もちろん、単なる私の意見ですので、その方が採用してもしなくても、どちらでも、構いません。
けれども。
その方に傷ついて欲しくなくて言っている私の意見を軽視されてしまうのは、私自身は、本当は、とってもとっても悲しいのです…
・。・。・。・
その方が傷つくような出来事を止められないのは、悲しいです。
すごくすごく残念です。
私自身が蔑まれて馬鹿にされることの何倍も何倍も辛いです。
…でも。
その方は、そういった「現実」に向き合わなければ乗り越えられないこともあるのでしょう。
そこに、私の介入は許されてはいないのでしょう。
…辛いです。
…切ないです。
・。・。・。・。
認めたくない、私の「役割」。
…私は、もっと、もっと、「力」を身に付けたい。
…私は、もっと、もっと、人に影響を与えたい。
傷つく人を少しでも減らすために。
傷つく現実に向き合うのを阻止するために。
…………力を貸して?
※画像は、むかし、「ライトワーカーよ、目覚めなさい‼」のメッセージと共に現れたキャンドルの形です。
……天使にキスされて、羽が生えてくるみたい。
だなんてこと、こっ恥ずかしくって、認めたくなかったけど!
こっ恥ずかしくって、認めたくなかったけどーーーー!!