等身大の自分をさらけ出す勇気 | はれときどき不思議話*あなたの魅力をみつけるお手伝いブログ

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元・アンチスピリチュアリストが書くスピリチュアル。

数秘&カラー®️、TCカラーセラピー、パステルシャインアート®️などなどもやってます。

地に足をつけて前へ進みたい方を応援しています。

おこんばんは照れむらさき音符



久しぶりの呟きでーす。







他人の「キラキラした過剰演出」は見ていてしんどい





他人のFacebookを見ていると疲れる。
他人のInstagramを見ていると疲れる。


度々、私は、こういった↑お話をお聞きします。


そういった風におっしゃる方々は、たいてい、他人の気持ちや感情を感知するアンテナの精度が良く、繊細で敏感な方が多いように感じます。


なので、そうおっしゃった後に、「そう感じてしまう私自身の問題なんだけれどもね💧気にしなければいいんだけど……💧」と、ご自身を卑下される言動をなさることもあります。


けれども


SNSを見て疲れてしまうという現象は、それを見ている人たちだけの問題なのでしょうか??


私は



確かに、見ていて疲れる記事を書いてる人も多いよね?
それは、発信者の問題でもあるよね?



と思っています。


では


見ていて、「疲れるなー💧」と感じてしまう記事とはどんなものでしょう?


あくまでも私の見解ですが


見ていて「疲れる」記事には、2種類あるような気がします。


その2種類とは、以下です。



①ネガティブ過ぎる記事
②ポジティブ過ぎる記事




①については、さもありなんですよね?


愚痴や言い訳や不幸話といった、ネガティブな話をうじうじいじいじと書き連ねる行為……


いわゆるかまちょ行為ですね。


これは、確かに、まるで公衆の面前で自身の恥部をさらけ出して、「褒めて!!」「かまって!!」と言っているかのような行為に見えちゃいますよね?


露出魔かよっ!?
的なえーん


しかし、意外と、SNSを見ていて「疲れるなー💧」と感じる方々の多くは、②の記事に反応することが多いようです。


つまり、とてもポジティブな記事。


例えば、


素敵なご家族との楽しい時間を記事にしてみたり。
素敵な彼氏さんとのデートを記事にしてみたり。
素敵なディナーの記事をあげてみたり。
素敵な夜景の記事をあげてみたり。


……一件すると、何のことはない、普通の記事ですよね???


人間って、幸せな時には、その幸せを誰かと共有したいと思っちゃう生き物ですものキラキラ


そりゃ、記事にしたくなりますよね?


それは、仕方のないことですし、そもそも、SNSって、そういった幸せ自慢をする場でもありますしOKむらさき音符


本来であれば、なーーーんの問題もないのです!!


けれども、見ていて、「疲れる」と感じちゃうのは何故なのでしょうね??




もちろん、幸せそうな人を見て、妬み嫉みの感情から、「疲れる」と感じちゃうこともあるかもしれません。
(私みたいな非リア充は特にね)




でも、少なくとも、私に、「他人のSNSを見ていると疲れる」とおっしゃる方々の多くは、そんな、妬み嫉みの感情からそのようなことをおっしゃってはいないようです。


おそらく
本当に満たされた、本当に幸せを感じている人の記事なら、見ていても、疲れないのです。


だがしかし、それが





無理にキラキラ(ギラギラ)した自分を過剰演出し過ぎている







記事だとしたら……どうでしょうか??






……うう
痛いっっっ!!!!
(私の心が)



と見た側が感じてしまうのも、無理もない話だとは思いませんか?







見る側でさえ「痛い」と感じる記事なら書いてる本人の心はもっと痛いはず




では、見ていて「痛い!!」「疲れる!!」と感じてしまうポジティブ過ぎる記事とはどんなものでしょう?



・やたらテンションが高い
・実物(実生活)を実物以上にやたら映え(バエ)させる
・実力以上に自分を過剰演出する
・自分がいかに素敵でいい人ですごい人なのかをアピールしようとする
・実生活の当たり前の些細な出来事をやたらとポジティブな奇跡であるかのように語る
・実生活の不幸を無理やりにポジティブ解釈する
・読んだ人の同意を得ようとするような(コメントやいいねを得ようとするような)煽るような文章を書く






ああ、はい。
これは私の記事のことを書いておりますが……何か?



何度も言いますが


これらの記事が、本当に、ご自身が満たされた、幸せな状態で書いているのであれば、良いのです。


いやいや……あなた、決して実際は幸せではないでしょう?
と、見ている側にも分かってしまうくらいの無理が透けて見えるから、「痛い」と感じてしまうのです。


他人からも透けて見えるくらいの痛さなのに……


書いている本人は、もしかしたらその「痛み」に気づいていないのかもしれません。


だから、余計に、見ていて、「疲れる」し「辛い」と感じてしまうのかもしれません。





人は当たり前の幸せをわざわざアピールしようとはしない




介護学校の講義をしている私が、よく、受講生さんに質問することは、以下です。


「あなたが、今日の朝目覚めて、一番最初にしたことはなんですか?」


それに、受講生さんたちは、答えます。


「歯磨き」
「カーテンを開けた」
「トイレに行った」


その答えに対して、私は答えます。


なるほど、なるほど。
皆さんはそうなんですね?
けれども、私が、今日の朝一番にしたことは、「寝返り」でした。そして、その後にしたことは、「起き上がる」ことでしたよ?


、と。


障がいを持たない私たちは、当たり前のように寝返りし、起き上がることが出来ます。
だから、私たちは






それらの「当たり前」の幸せを、わざわざ人にアピールして言おうとはしないのです。



もちろん


改めて、そんな、「当たり前」の幸せに気がついて、それに感謝する日も、時にはあることでしょう。


そんな時には、その幸せを共有したい!!と感じ、SNSに記事としてあげてしまうこともあるのかもしれません。


けれども


そんな、些細な幸せに感謝して、人に伝えたくなるような時には、その書いた記事に、「いいねやコメントが欲しい!!」などといった


ギラギラとした自己承認欲求が垣間見えることは、おおよそ、ないことでしょう。


だから、なおさら、感じるのです。





本当に毎日満たされてキラキラして幸せなら、わざわざそれを毎回アピールする必要はない



んじゃないかな?、と。








承認欲求を認めて等身大のあなたをさらけ出す





料理研究家や、ビジネスで料理をしている人ならいざ知らず


ごく普通の主婦であれば、いつもご飯を3食作ることなど、わざわざ人にアピールするまでもない、当たり前の案件であるはずでしょう。


でも


それを、わざわざ、今、FacebookやInstagramにあげたくなった理由は、なんでしょう?


夫婦お悩み相談をビジネスにしているわけでもなく、カップルカウンセラーなわけでもないのに


いつも仲良しでラブラブ夫婦なことが当たり前であるはずの1主婦のあなたが


何故、その夫婦のラブラブっぷりを、今、FacebookやInstagramで、わざわざアピールしたくなったのでしょう?


セレブビジネスを売りにしているわけでもないのに


ごく普通の1主婦のあなたが、いつも高級なホテルの最上階でワインとA1クラスのお肉を食べているかのような記事をわざわざFacebookやInstagramにあげたくなるのは、何故なのでしょう?



もしかしたら





他人に褒めて欲しいから
他人に承認して欲しいから
他人に認められることで幸せを確認したいから



(……もしくは後ろめたい何かを隠すため??)




ではありませんか?


実際は


それらのエピソードが、いつもある「当たり前な出来事」ではない「特別なこと」だから、アピールしたくなった。


……違いますか??


そし、そうであるならば。


それを、素直にさらけ出してくれたら良いのです。


そうすれば、繊細で敏感に感情を察してしまうような方々も、あなたの記事を読んでいて、心が痛むことはないのでしょう。。。



「今日の朝はめっちゃ上手に目玉焼きが焼けた!!幸せ!!褒めてっっ!!
「普段仏頂面の旦那さんが笑顔でありがとうと言ってくれた!嬉しいー!!この気持ち分かって!?


それが自分にとってスペシャルで奇跡的な幸せである出来事だと感じたのならば


そのまんま、等身大のご自身の感情を出しても良いのです。





・・・・・・



なーんてことを感じた、本日。


うふふ


自戒だねウシシあせる






・・・・・・




 



・・・・・・・




自宅サロンの様子↓

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