Happy-GO-Lucky

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6集カムバで東方神起が大好きになりました。
ここ数年、観劇も好きで、
特にミュージカルを中心に観ています。
大好きな2人のこと、
ミュージカルのことを
備忘録として書き留めたく、
また一期一会を願って
ブログを始めてみることにしました。

Amebaでブログを始めよう!
あの子は僕を困らせるたびに
僕のきらいな歌ばかり歌うよ



みなさま、こんにちは\(^^)/

いつもここに来てくださる方はほとんどトンペンさんですが
今日はthe BOOMの話をさせてください


the BOOM結成28年目の解散のニュース
2014年12月末を持って解散とのこと

MIYAが喉の療養中だとのニュースがあって
でもまだライヴにいけるかなって思っていたところのニュース


バンドが解散したりすると
「好きだった」とか「ワタシの青春でした」なんていう声を聴いて

なんかそれって寂しいなって思うんです

だって最近聴いてなかったんじゃない?とか
ひねくれもののワタシはすぐ斜に構えちゃう



・好きだった
・青春だった
・最近はそんなに聴いてない


ワタシも全部当てはまる
自分が斜に構えたくせに、すっかりソレな訳です





昨日書いた記事に重なるけど
私がこうしてほしい、続けてほしい気持ちはあれど
本人が解散と決めたことには物申すつもりもなく

寂しい気持ちはあるんだけど

でも本人たちが「幸せだ」と言っているので
ワタシも一時代を彼らに寄り添った一人として
オメデトウ、じゃないけど、何かお祝いの言葉を送りたくなった

アリガトウ、感謝の言葉を送りたくなった


「解散」が決まってこんな風に思うのは不思議なんだけど
the BOOMというバンドが現在進行形だったんだって
改めてそのことがわかって

だから今のことも、先のことも
それぞれミュージシャン、そして1人の人間としての欲や自己実現を考えた時に
きっと「解散」という選択肢が産まれたんだなって







the BOOM
ワタシの音楽的「原体験」と言ってもいいかもしれない

その存在を知ったのは89年のこと
代表曲ともいえる「星のラブレター」

でもガツンって大好きになったのはその後
「釣りに行こう」のC/Wだった「僕がきらいな歌」


記事の冒頭に紹介した歌詞

 あなたは僕を困らせるために
 僕のきらいな歌ばかり歌う

こう絶唱するMVを見た時に脳天に何か突き抜けるかのような衝撃


イキナリ家を飛び出して走り出しそうな

思春期だからこそなのかもしれないけど衝撃を受けて
彼らにどっぷりハマりました


第一にひねくれ方が最高ですよ

僕の好きな歌を歌うんじゃないよ
僕の嫌いな歌ばかり歌うの

www


こんな風に1曲で受けた衝撃っていうのは
ワタシの人生の中で3曲かな

1曲がこのthe BOOM
もう1曲はSpitz「裸のままで」
もう1曲がトライセラトプス「Rasberry」





当時ワタシは中学生で
クラスみんながバンドブームに夢中でした

今思えば、あのクラスにいたことが今の音楽ファンであるワタシの根底かもな
みんな、好きなバンドがいて
J(S)W、ユニコーン、ドリカム、TM、プリプリ、米米・・・

で、ワタシはBOOM担当
米米を好きな仲良しのミキコもBOOMが好きで
高校生になった時、初めて2人で一緒にライヴに行ったんだ

そしたら、ある時のライヴ
MIYAの変貌がガラっと変わったことがあった

91年の有明コロシアム

それまではモッズスーツにハンチング帽でピョンピョン飛び跳ねてた彼は
インド綿のようなワイドパンツ、髪の毛はソバージュで



物凄く衝撃的だった




あの頃大好きなMIYAの考えてることが知りたくて
MIYAに近づきたくて
彼の語るインタビュを何度も何度も反芻したっけ・・・



好きだけど自分が好きだったBOOMではどんどんなくなっていく
そのビジュアルの変化は表面的に捉えられる変化
でもビジュアルのみの話ではなく
一番は音楽性
どんどん変化していった!


ワタシはBOOMのビートパンクを皮切りに
そこからレピッシュ→スカパラ、と2トーンSKAが凄く気に入って



MIYAは自分のナショナリティを掘り下げたり
その中で更に視野がグローバルに拡がっていって

世界各地に行き多様な音楽性に惹かれて行ったのを見た


南米にリズムを取り入れたり
沖縄への彼なりの想いが曲になっていったり



キューバに観光に行ったら
毎日がカーニバルみたいだって話していたっけ

キューバに観光に行けることに驚いたり
キューバにおいて観光は経済の中心と知り驚いたり

沖縄のことも…

音楽をきっかけに、歴史的背景を知ることになった




喜納昌吉さんと沖縄でキャンプをしていたら
MIYAが恋人のためにお土産に買ったカステラを
夜中に喜納さんが食べちゃってた話とか

アハハ細かいエピソード憶え過ぎ、自分




ミュージシャンって凄いですよね
考えていることが詞になる、メロディになる、曲になる



当時のワタシは若くて
彼に近づきたくて
でも自分の人生経験では彼の考えてることは分からなくて

わたしなりにファンとしてもがいていた
でもそれだけ対峙してて
もはや楽しいだけのファン活動ではなくて

でもそれだけthe BOOMというバンドに
執着があった、良くも悪くも




その後、付かず離れずの距離、になった






千葉文化会館のコンサートは沢山いったね!うりちゃん
(と呼びかけたが「うりちゃん」はワタシのこのブログを読むことはあるまい)
5月のGWには恒例の日比谷野外音楽堂でのライヴ
ある年は大雨だったっけ・・・
お気に入りのイヤリングを落としちゃったんだ、あの日



そしてMIYAはワタシにSKAは勿論
多彩な音楽の存在、音を楽しむことを教えてくれた人


彼が好きだったと語ればYMOも聞いた
あっこちゃん(矢野顕子)とのデュエット以来ワタシは彼女のファンでもある

ワタシがユノへの想いをいつも託してしまうあっこちゃんの「prayer」も
大好きな人を想う時はいつも心に浮かぶ「ひとつだけ」も
MIYAのカヴァーをきっかけに知った曲、大切な曲

ボサノバだってMIYAが教えてくれた
今でこそラウンジ音楽としてボサノバやブラジリアン音楽って
割と馴染みがあるけれど

ワタシにとってはMIYAが一気にその距離を縮めてくれた



あとちょこっと恥ずかしいけど
バンドっぽいこともやったんだよね、亮!
(勿論、亮もこのブログのことは知らないけど呼びかける)
合唱部の夏合宿!
「からたち野道」やったね


高校時代からの男友達且つ親友の亮
2人で毎日音楽の話ばっかりしてた
一緒にBOOMのライヴも行って
ライヴの後外に出て、あの武道館の階段で派手に転んだんでした



とかどうしても懐かしい話になっちゃうんだけど
音楽と思い出はシンクロしちゃってるから

でも懐古主義には浸りたくないんだな
だからこのくらいにしよw




今ワタシに根付いているthe BOOMをこれからも大切にしたいな

新しく根付くかもしれない部分も
また久しぶりにがっつりCD聴いたら別の気持ちが生まれそう!
わーい、楽しみ!


バンドとかグループって凄いこと

スポーツでも団体競技は沢山あるけど
固定メンバーで20年以上出来るスポーツってそんなにないよね?

そう考えると音楽っていうのは
バンドの可能性ってスゴイ





自分のミュージシャンとしての、アーティストとしての欲求を
団体でやる以上どこかで抑圧している部分があると思う


ワタシが敬愛しているthe pillowsのギタリストのPeeちゃんが言ってた

「バンドはエゴのぶつかり合い」



そりゃそうだよ
みんな自分の内面にある何かを作品に昇華させたいんだもの

だけど、作詞・作曲作る人の内面に直結したものを
バンドとして完成させる
協同・共同しようというのだから一筋縄ではいかない





そんな中の28年間
「やりきった」「幸せ」


重みのあることば



MIYAが重ね重ねインタビュで語っていたことに1つが
自分が音楽をつくる中で「上を向いて歩こう」のような
普遍的な1曲を作りたい、って


今や「島唄」も「風になりたい」も
それなんじゃないかなぁ・・・

後世に残る曲
歌い継がれる曲


解散の知らせは
一抹の寂しさ
でも懐かしさや温かさ

そして
改めてバンドマンへのリスペクト


春の桜が満開になるとともに
色んなものを運んできました



ハピゴーxoxo