前回の続きです。



去年の夏に、栄養状態も悪く入院した方がいいということになり、それなら心療内科と神経内科のある病院に入院したら一緒に診てもらえるしいいよね!ってことで3ヶ月間、一般病棟いながら心療内科の治療をすることに。



正直、心療内科や精神科のイメージは悪く、1度治療したらもう神経内科で診てもらえないのでは?とかあなたはこう!とか決めつけとかされたら嫌だなとか自分の意見を聞いてもらえなさそうとか薬漬けにされそうとかいうイメージとかでとても憂鬱ではありました。



私の入院した病棟は、一般病棟(急性期)で20床しかなく、看護師も比較的ゆっくりしており、遊びにきたよ!とか話し相手になってくれたニコニコ


医者も女医さんで歳も近くどちらかといえば女子トークが多かったような気がします。薬も一緒に選ぼうって本を持ってきてくれたり。合わない気がするって伝えたらそっか!ならやめとこ!無理して飲むもんじゃないよって感じで私の意見をしっかり取り入れてくださる先生でした。


臨床心理士さんも押し付けもなく、一緒に発達障害の向き合い方を考えてくれたり、私が私らしくあるためにたくさんの協力をして下さいました。


神経内科の先生も穏やかで優しい先生で、ゆっくりと話を聞き、診てくださり、私がこの病気ではないのかな?と思う病気があるといえば、丁寧に千さんの場合はこうだからこの病気は違うと思うとか答えてくださり安心感がありました。


そんな中で過ごした3ヶ月間。
そして、そこで、神経内科と心療内科がお互いに情報交換してくださりここでやっと


「神経内科の病気がある。そして、安易に初診の病院で身体表現性障害と付けられ、周りの冷たい態度により二次障害として身体表現性障害が発病した」ということがわかりました。



そこから、経過を診てもらってる神経内科に手紙が行き、身体障害者手帳と難病指定を書いてもらえることになりました。



医者同士の擦り付け合い(私の科ではない。)甘やかせたらいけない。頑張ればできる。やる気がないなどの辛い言葉や辛い態度。やっと長い長い負のループから抜け出せました。


そこからは、周りの態度が一変しました。
悲しいかな。病名がついた途端、態度が変わるのです。つくまでは酷いことを言うてたのにえーん



身体障害者手帳や難病指定の書類を書こうとなった頃には私が呼吸状態が悪くなりました。それもあり、先生は急いで書くことにしたみたいです。



それが今年の2月くらいです。元々1年ほど前より呼吸筋の低下などは指摘されてはいましたがそこまでではなかったのですが。痰と咳がひどくなり、日中の頭痛と眠気がありました。



そこから、入院してNPPVの導入を行い、在宅で呼吸器を使うことになりました。(3月)この時点では大きな検査異常はなし。呼吸筋を休めるために。しんどい時に助けて貰ってって感じの導入でした。



指定難病、身体障害者手帳共に発行されたのは4月。そして、一気に物事が動き始めました。


本当に辛く長い道のりでした。
安易な診断がここまで抜け出すのに時間がかかるとは思ってもみなかったです。


やはり、病気の鑑別(精神や神経内科や別の病気)、そしていい医者との出会い、そして進行(自分ではどうにも出来ないこと)により物事が進んだように思います。


そして、私も5年間苦しみましたが、他にもたくさんの人が私のような苦しみを抱えてらっしゃいます。


日本の精神疾患イコール甘えという方程式が早く考えが変わっていきますように。


そして、医者としてプライドもあるだろうし、レセプト上で病名が必要なことも理解した上で、どうか原因不明なら原因不明と言うてほしいとおもいます。


分からないから身体表現性障害とされてしてしまうと、精神科ではこちらではないと言われて、治療が進まない。医療の狭間に落ちてしまいます。


私自身、5年間の間苦しみましたし、治療という治療もできず、リハビリをまともに受けることなく、サービスなどを受けることも困難でした。とても不安な毎日でした。


今後、このように苦しむ人が減りますように。


長くなりましたが時系列をまとめました。

いつも読んで下さりありがとうございます。