NHK総合 Dear にっぽん「片足で挑む山領」を観て | 世日クラブじょーほー局

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 桑村雅治さん(60歳)は、今年、長年勤めた家電メーカーを定年退職し、百名山の登山制覇を目指す。こう聞いて、還暦でなかなかすごいなと思うけど、探せばそういう人はいるだろう。桑村さんがクローズアップされるのは、それを「片足」で挑もうとしてるところだ。

 

 桑村さんは、歩行時、「クラッチ」と呼ばれる金属製の杖を双方づつの腕にもち(手を放しても落ちないようにまさに腕にクラッチしている)、両腕をもう片方の足のようにして進む。それは、「全体重を両腕だけで支える瞬間と片足だけで支える瞬間」が交互に来るわけで、桑村さんいわく「腕立て伏せと片足スクワットが続く状態」。そう聞くだけで気持ちが萎えるが、見ている分と実際に行うのは天地の差があろう。

 

 桑村さんは、8歳の時、骨肉腫を患い、左脚を切断。のちに母親からこう聞かされた。「たとえ、足を切断したとしても、あなたの命の助かる確率は10%だったんだよ」。だが、今もこうして命を与えられている。桑村さんは、「自分はその時に死ぬ運命ではなかった。片足になって何かをしなさいと神様が言っているのかなと思えた」と。

 

 44歳のときに初めて登山を体験。しかも富士山。「頂上から見る景色や登り切ったあとの達成感がすごく良かった」と。なお、「山は障碍があろうが、なかろうが、万人に苦しさを与える」「一つの山があったとき、最初に登った人がヤブを払い、登山道を作って今の道になっている。それを作るのが自分の仕事かな。片足でも山は登れるという道」をと語る。

 

 桑村さんは、8年前に結婚した妻、伊佐子さんとの二人暮らし。二人には大切な約束がある。「生きて帰ってくる」こと。そして「危ないと思ったら、撤退する勇気」。

 

 桑村さんが百名山に挑戦し始めたのは11年前。これまで63山を制覇。今年、とくに強い思いで挑むのが、北アルプスの名峰と呼ばれる「鹿島槍ヶ岳」(2889M)とそれに連なる国内屈指の難関ルートと言われる「五竜岳」(2815M)の縦走。総距離23キロ。これを4日かけて行う。おととし、去年と挑戦したものの、途中、肩の不調に見舞われ、撤退を余儀なくされていた。

 

 そんな中、横田貞雄(1901~86)という人物を知る。桑村さんと同じく骨肉腫で右足を切断したが、松葉づえで山に登り続けたという。桑村さんは、「ハンディがあるからこそ、絶対にケガも遭難もすることはできない」という横田の意見に共感。「道を作る側が道を閉ざしてはいけない」と気を引き締める。なお、「途中で腕が痛いな、やめようかなと思ったこともあったが、その度に横田さんの本を読んで、横田さんが登っているのだったら、自分も頑張ろうとすごく助けてもらった」という。その横田が未知の山と呼び、まぶたの裏に浮かび出て来ると記したのが鹿島槍ヶ岳だった。今回の登山前日には、横田の墓に参り、「あなたの代わりに僕が登って、どういう山やったか報告しにきます」と祈った。

 

 8月28日、早朝5時、桑村さんの3度目の挑戦が始まった。「山には神様がいるので、登るときには一礼、終わったあとには一礼している」と桑村さん。登り口からいきなり、登山道とは思えないゴツゴツした岩の上を進んでいく。途中、ひざを痛め、腰掛けて休んでいる登山者に「無理はしない方がいい」という気遣いも。やがて槍ヶ岳登頂を果たした桑村さんは、眼下に広がる絶景を前に「僕の目を通して横田さんが見てくれたらいい」とつぶやく。

 

 続く五竜岳は特に道幅が狭く、険しい岩場。補助のチェーンがある場所もあるが、片足で急斜面を上り下りする姿はちょっと見ておれないほど、しんどさと恐怖感がジンジンと伝わってくる。

 

 「自分が好きで登っている。誰にも命令されるわけでなく、自らしんどいことを選んでやっているんやから、諦めてどうする」と桑村さん。すれちがう登山者との交流も楽しみだ。他人を寄せ付けず一心不乱というスタイルもあろうが、桑村さんは、他人を気遣い、積極的に声を掛ける。老齢の登山者が桑村さんの姿を目にして口々に、「これぐらい何てことないのだ」と涙ながらに言い聞かせ、自分を奮い立たせている。

 

 無事、五竜岳登頂を果たした桑村さん。「困難は面白い。何もない道より、変化のある方が、人生面白いんじゃないか」と体いっぱいに充足感を表現して語った。

 

 百名山達成は4年後を目指す。

 

 スポーツをはじめ、障碍者の活躍の道は数あれど、片足の登山はおよそ、想定できない。登山は健常者でもキツイことの代名詞のように使われる。一般に、両足のバランスが不可欠であり、危険とも隣り合わせだ。桑村さんを初めて知って愕然とした。なぜ、よりによって片足で登山など…。売名行為やお為ごかしでは説明がつかない。実際、毎回死ぬほどしんどいはずだ。体力も神経もすりつぶす。神様から与えられた命を安穏と安閑と過ごすわけにはいかないとの思いなのだろうか。ただ、桑村さんに悲愴感の「ひ」の字もない。陽気で笑顔が絶えないのだ。

 

 桑村さんとて、片足を失って平穏でいられたわけではあるまい。苦しさ、悔しさ、何で俺だけという疎外感にさいなまれた期間が短かったはずがない。表には出さずとも、いまだに引き摺ることもあろう。それをどう克服したかは番組は触れていない。自分が道を作るという使命を自覚したのちは、自分のことなど構っておれないということだろうか。ただ、彼のよりどころは、最大の理解者であり、最愛の妻である伊佐子さんにほかならない。この夫唱婦随こそ、桑村さんのパワーの源泉だろう。

 

 人を怨むまい。与えられた環境を嘆くまい。ちょっとやそっとで投げ出すまい、諦めまい。桑村さんの勇姿を思い出し、一歩前へ進もう。苦しいのは自分だけじゃない。