「私は間違っている。」の、私とは誰か?何か?

 

イエスのいう「あなた」とは誰か?何か?

 

 

あれ??

そんなのわかってる。はずだった。。。

 

 

いや、ほんと、

あんなに学んでいながら、聞いていながら、全然わかっていなかった。

 

でも逆に言えば、

ここまで学んだから、やっと身についてきたとも言える。

 

 

「私」とは「決断の主体である心の私」であり、その心の決断が間違っている。

 

 

そんなこと、頭では重々わかっているつもりでも、全然わかっちゃいないんだよ〜。

 

でもそのためのプロセスとしての段階は必要だけど。。。

 

 

頭での理解って、、、

言葉って、、、何なんだろう?

 

抽象性の象徴としての、

理解への手がかりでしかないんだろうなー。

 

頭での理解と、体験的理解は「雲泥の差」というけれど、本当にそうだなー。

 

 

世界の見方が変わってきています。

 

実践が変わってきています。

 

視点が変わってきています。

 

自覚が変わってきています。

 

 

これが、知覚が変わってきているということなんだろうなー。

 

 

世界はないんだなー

 

他者はいないんだなー

 

夢を見ているだけなんだなー

 

自我か聖霊かの選択肢しかないんだなー

 

私とはそれを選択する決断のできる主体なんだなー

 

一なる神の子の心が分裂して決断の主体になってしまったんだなー

 

 

と、コースやイエスの言っていることが、体験的に理解できる。

 

自我から聖霊に教師を変えて、自分で自分に教えて学んでいきます。

 

 

学んでいるのは誰か?

 

心が、

決断の主体が学んでいっている。

 

 

自己認識がシフトしてきた。

 

これが心の自覚ってやつか。。。

 

 

このような話は、確かちょうど1年前くらいにたくさん聞いてたのになー。

 

受け入れるのに1年かかった。笑

 

 

ほんと一歩一歩。

 

なかなか身に付いて来ないように感じても、それを学んでいこうとする姿勢(意欲)は大切だと思う。

 

 

そして、コースは

正しく学んで実践していけば、本当に確実な道なんだと実感していけますし、

「本当に確実な道です!」と、今ばかりは声を大にして言いたいと思うのでした。