コースを学んでいる私たちがしていくこととは?

 

〜勉強会でコメントするということについて〜

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しばらくブログをお休みしておりましたので、今年初投稿となります。
 
遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。
 
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私たちが学んでいる、「聖霊の教室」の勉強会では、学びを深め、習得していくために、

会の最後には、今日学んだことや気づいたこと、入ってきたことやわからなかったことなどをシェアする時間があり、

その都度参加者の方には、基本的にコメントが求められています。(強制ではありません。)

 

先日、勉強会でアンケートを取ったとき、

コメントする時に、当てられたらどうしよう、ドキドキする、緊張する、

的外れなことや変なことを言ってしまうんじゃないか、と思うという声が多く上がりました。

 

また、上手く言おうとしたけど失敗したとか、なんか怒られたように感じるとか、、、

 

そして、さらにそれは自分だけがそうなんじゃないかと思ってしまうようです。

 

確かに、私も結構長い期間そうでしたし、今でもそういう時もあります。

 

しかし、コースを学び実践しているなら、これをそのまま流さずに、見ていく必要があると言えます。

 

これはいったいどういうことなのでしょうか?

 

これらは、全て動揺であり、それは罪・罪悪感・恐れに基づいています。

 

 

私たちは勉強会でコメントするということを使って、一体何を恐れているのでしょうか?

 

的外れなことをいってしまうと、私は一体どうなるのでしょうか?

 

この時私は確実に、世界の中で勉強会を実在させ、他者を実在させ、自分を実在させています。

 

そして、恐れているということは、自分はそれを良い・悪いと判断してジャッジし、

それらの被害者(加害者)になっているということを認識しなければなりません。

 

つまり、自分の罪を外側に投影してなすりつけ、外側のせいにして無垢なる被害者になっているのです。

 

すると、これらは全て自我の考えであり、自我のものの見方をしていて、

その自我の目的が完了されている状態だということがわかってきます。

 

つまり、私は分離を信じるという決断して、自我を選択し、世界を実在させて、肉体と同一化し、

自分は個人の肉体である夢の主人公になっているということです。

 
 

これは夢なのに、夢だと認識し損なっている。

神の子なのに、分離した脆弱な個別の肉体だと信じている。

 

つまり、心の自分は今間違った選択をしていて、自我と一体となっているのです。

 
 

これを認識することが非常に重要です。

 

これを認識できたなら、この動揺は私が思っているような理由で動揺しているのではありません。

(奇跡講座ワークブック・レッスン5)

 

これは本当だろうか?

 
 

私が間違った決断をしたからのはずです。

 

真の原因は、これを自分が望んで決断し、その結果を体験しているのです。

 

つまり、心の決断の主体である自分が自ら望んで平安を投げ捨てて、苦痛・苦しみ・恐れを選んでいる。

 

だから、動揺して恐れているのです。

 

これを認識した上で、心(原因)に戻って、聖霊と共に咎めずに自我を見ていきます。

 

この自我を咎めずに見ている視点が真の自己であり決断の主体の空席になったところであり、

ここから見るなら、自我は一体何をしているのか、

しかも同じ様なパターンでずっと同じようなことをやり続けていることも見えてきます。

(自我の狂気性)

 

すると、これを平安で見ることもできるという選択肢が見えてきて、それを選び直すこともできるのです。

(ワークブック・レッスン34)

 

つまり、自我を信じるという間違った決断を取り消すことができるのです。

 

これだけが私たちにできることであり、これだけが私たちの唯一の希望だと言えます。

 

このように、私が体験していると信じているこれらの状況や動揺は、つまり世界や肉体は、

心の自分の真のアイデンティティーを思い出すために使っていくことができます。

 

これがこの世界や肉体を教室としていくということであり、これだけがこの世界にいると信じている私たちにとって、

唯一意味のあることだと言えます。

 

そして、そのため手段が赦しであり、

私たちは今、コースを通して、勉強会を通して、これを学んでいるということです。

 

なので、全ての状況や動揺は、自我の恐れや特別性を強化し続けるための自我の目的ではなく、

目的を変えて、赦しのために使っていくことが聖霊の目的であり、

そのように使っていくことで、勉強会が、日常が、世界が、教室となっていきます。

 

しかし、コメントするときに、動揺してはいけないとか、動揺しないようにしようとすることでもありません。

 

そうすることは、さらなる否認であり、自我を強化し、罪悪感や恐れを強めてしまいます。

 

なので、動揺を認識して、それを赦し(真の自己を思い出すこと)のために使っていくことが、私たちに唯一求められていることであり、世界の中で唯一の意味のあることだと言えますし、そのように見ていくことが私たちに求められていることだと言えます。

 

しかし、そのようには、なかなかすぐにはできないので、少しづつコツコツと訓練していきましょうというところですよね。

 
 
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