自我は恐れるようなものではない。

なのに、自分は、自我をどれだけ嫌なもの、恐れるものとしてジャッジして除外しているのか。

 

とはいえ、

 

自我を愛しましょう〜

自我ちゃん♪いい子いい子。

 

と言うものでもありませんが、、、

 

自我は恐れるべきものでもなく、忌み嫌うべきものでもなく、裁く対象でもなく、自分と同じとして包含し、愛すべきものであるんだと言うことの理解がありました。

 

 

なぜならそれも自分の一部だからです。

 

そして、その自我(自分)がどんなに凶暴で横暴で、不平不満の塊で、怒り泣き叫び、暴言や弱音を吐こうとも、

 

  それは実在していないのだから、なんの問題もないからです。

 

 

しかし、自我は

太刀打ちできない巨大な壁や途方もない長い時間や、果てのない広大な宇宙や、苦しみと恐れの果ての死が実在するかのように見えます。

 

それらが実在し、それをどうしたら乗り越えられるのか、消滅できるのかと考えるなら、「もはや無理だ」となることでしょう。

 

 

しかし、それらはすべて自分が作り出したものであり、

しかも、実在しない単なる想念(分離の想念)のイメージでしかなかったら?

 

それらはどう見えるのでしょうか?

 

 

それに力を与えているのは自分だと認識するなら、

そして、それを取り消すことが可能であるなら、

私たちはどうするでしょうか?

 

その方法が明確に示されているコース形而上学が、今目の前にあるなら、私たちはどうしたいでしょうか?

 

 

自我は恐れるようなものではないし、忌み嫌うものでもない。

 

愛すべきものとして包含し、赦していくなら、私たちはこの世界はどう見えるのでしょうか?

 

 

 

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