ボランティアも自信をもち始めた頃、大変なことが起きてしまった。お風呂に何年かぶりに入ったおばあちゃんが、風邪をひいて亡くなってしまった。今、茅野市は、住民参加の福祉の町づくりで有名になっているが、その頃はまだボランティア活動の草創期だったので、これで市民が参加する福祉の町づくりも終わりかなと悲観していた。
おばあちゃんのお葬式が終わって一週間ほどたったとき、お嫁さんから電話が入った。怒られるだろうなと観念した。覚悟して受話器をもった。「お待たせしました。鎌田です」ぼくの声は元気がない。「ご迷惑をおかけしました。長い間、大変だったですね。ご苦労さまでした」
お嫁さんの声はやさしかった。「ありがとうございました。私は姑のために何年も一生懸命看ていたつもりだったけど、素人だから、寝たきりになったおばあちゃんをお風呂に入れられるなんて思いつきもしませんでした。いつも体を拭いてあげていただけ。先生たちとボランティアの人たちが家に来てくれて、何年かぶりでお風呂に入れていただいた。結局その後で亡くなったけれども、私が気がつかないで垢だらけのままで、お風呂に何年も入れないで、あの世に行かせてしまったら、嫁の私としてはとてもつらい思い出になりました。おばあちゃんはきれいな体であの世に送れて、本当によかった。
先生、おばあちゃんは久し振りにお風呂に入れてもらったあの晩、とてもいい笑顔をしてくれました。おばあちゃん、うれしかったんだと思います。おばあちゃんの久々の笑顔は嫁の私への最高のプレゼントでした。ほんとうにありがとうございました。ボランティアの方々にもよろしくお伝えください」電話は切れた。
なんとも幸せな気分になった。お嫁さんのひとことはボランティアの人たちにも、ぼくたちにも自信を与えた。
いいことをしようとして結果としてまずいことが起きても、人は理解してくれる。お嫁さんのひと言は、ぼくたちの町のボランティア活動の大きな後押しとなった。
僕は現在、高齢者介護の仕事をしています。入浴介助にも携わります。ご入居者様の中には入浴を拒否される方もいらっしゃいます。けれどコミュニケーションを図り、入浴していただくと、「あ〜、気持ちいい」と喜んでいただくことが多く、その時には
「お風呂に入っていただいて良かったぁ」
と感じます。ご入居者様は若かった頃のように身体が動かない、喋れないという苛立ちを抱えながら生活をしている方々がほとんどだと思います。それに寄り添うことが求められると思います。在宅でのご高齢の方は同居している親族に対して気を遣い、発言できなくなっていることが多いと思います。
「食事をする」
「排泄をする」
「散歩をする」
「お風呂に入る」
高齢になる前なら当たり前のようにできたことも、人の手の助けなしにはできないことに対して「情けなさ」と「申し訳なさ」があると思います。そこに寄り添っていかなければいけないと思います。そして、それを言い出しやすくさせる雰囲気作りが大切だと思います。僕は今勤務している施設にて、ご入居者様から
「シゲちゃん、言いやすいから助かるよ」
と言っていただくことがあり、嬉しかったです。そのような雰囲気作りに努めたいと思います。