パラアートってご存知ですか?
 

パラリンピックのパラ(para)と同じ意味合いで使われています。paraはギリシャ語の前置詞で「並んで立つ」「対等」という意味があります。オリンピックと平行(parallel)として開催されるという意味で、parallel + Olympic からparalympic(パラリンピック)と呼ばれるようになったそうです。「パラアート」とは障害のある方の芸術活動と作品を指します。




先日パラアート展覧会で、鑑賞者の方々と一緒に対話をしながら作品をみるイベントを開催しました。一人でまわると見過ごしてしまう作品も、他の鑑賞者の感想を聞きながら見ていくと様々な気づきがあります。


パラアートの制作者は、上手く描こうとか、鑑賞者を驚かせてやろうなんて気持ちはなく、それぞれの描き手が描きたいことを懸命に描いているように感じました。作品から発せられるパワーは圧倒的でした。


都内にある美術館の展覧会に前日出かけたという参加者が「有名作家であっても、無名の描き手の作品であっても、絵をみることの楽しさは同じ」と言われたことが印象に残りました。


パラアート展覧会では、作者の障害の状態や、ご家族の大変さを想像し、切なくなったり苦しくなったりもしました。しかし、辛いから、悲しいから、どう関わったらいいのかわからないから…じゃ、すすまない。人はそれぞれに困りごとを抱えているし、いつ自分も障害者になるかもしれない。健常者と障害者という二項対立ではないはず。


もしそこに心理的な溝、壁、断絶があるなら…その境界線を緩ませたり、滲ませたり、混ぜ合わせたり、埋めたり、えいやっと小さな橋をかけてみたり、限界と思われる領域をほんの少しでも広げられたら、と感じた展覧会でした。


アートに触れて感じること、思うことは、個々に自由で一つの正解があるわけではない。生きることも、答えが一つではない問いに向き合い、考え、行動することの繰り返し。パラアート展覧会では、障害者のことを知り、障害について考えるきっかけにもなりました。


パラ・・対等に生きていくために、それぞれが困りごとや障害を抱えながらも、ともに並んで暮らしていくにはどうしたらよいのか?一つの限られた解ではなく、たくさんの可能性に向かって仕合わせていくには、と考えさせられました。


最後までお読みいただきありがとうございました。

<ライター:うのゆ♨