ゴールドジム渋谷パーソナルトレーニング本数No.1/パーソナルトレーナー武井正道/全米NSCA公認S&Cスペシャリストのブログ -2ページ目

トレーナーの世界に足を踏み入れてから、3月でめでたく21年が経ちました。



パーソナルトレーナー人生の始まりは、大学一年生の終わりに近所のフィットネスクラブでアルバイトを始めたことがキッカケで、トレーナーの世界に足を踏み入れました。


師匠が本当に素晴らしいパーソナルトレーナーだったので、2003年の当時は全く認知度がなかったパーソナルトレーニングをそのジムでは早々に導入して、僕もアルバイトながら立ち上げメンバーに選んでいただき、時給とは別にパーソナルトレーニングのフィーも頂いていたのが、僕のパーソナルトレーナーとしての原点です。


当時はインカムを付けてスタジオのレッスンも担当していたり、ジムの休館日に強豪大学のソフトボール部を招聘してストレングスコーチを担当させていただいたり、ジムのリニューアルオープン、スタッフへのマニュアルの作成など、アルバイトながらリーダーとして様々な責任のある仕事を経験をさせていただきました。


師匠の影響もあり休日にはトレーナーのセミナーにも通っていたり、学生の本業である大学はサボってもジムのアルバイトは必ず出勤するという歪んだ生活を送るほど、パーソナルトレーナーの世界にのめり込んでいきます。


今でも僕の指導の土台となっている師匠のパーフェクトな教育や、アルバイトの僕に沢山の経験や責任のある仕事を任せていただいたお陰で、この3年間で僕のパーソナルトレーナーとしての基礎が作られました。

そして、20年以上経った今でも付き合いがある大切な仲間も出来ました。





卒業後はトータルワークアウトに入社し、さらに本格的にパーソナルトレーナーを極めていくことになります。


ここでは、パーソナルトレーナーとしての知識や技術の更なる向上はもちろん、当時日本における初のパーソナルトレーニングに特化したジムだったので、トレーニングに来るお客様は東京のあらゆる業界のトップクラスの方達が集結していたようなジムでした。


小学生の頃から憧れていたプロ野球選手や、中学生の頃に僕らの時代に大ブームになったミュージシャンの方、高校大学時代に試合を観に行っていた格闘家の方などのトレーニングを担当させていただく立ち場になり、タレントの方は期日までに体重を必ず目標値まで落とさなければいけないシチュエーションがあったり、俳優の方の撮影へ向けての身体作りのサポートなど、普通のトレーナーには出来ない貴重な経験ばかりで、プロフェッショナルを相手に結果を出すことを積み重ねたことで、この時代にパーソナルトレーナーとしてかなりのスキルアップをする事が出来たと思います。


Xリーグや大学のアメリカンフットボールのチームや個人競技のプロアスリートの方のトレーニングでは、試合に向けて練習量が多くなって来る中でも怪我を防ぎつつ、パフォーマンスを最大に発揮できるピークの状態に持っていかなければいけないため、選手はもちろんトレーナーの僕らも毎回胃がキリキリしますし、ミュージシャンの方も同じく、初の東京ドームライブへ向けて最後の仕上げのトレーニングの時などは、万が一の事が起こったら全責任が僕に来てしまう程の緊張感があり、ヒリヒリする修羅場や震える場面をいくつも乗り越えてきました。


そして、とにかく沢山働いていました。

年間で2,000本以上のパーソナルトレーニングを行っていて、沢山のお客様を担当させて頂く中で経験値が爆発的に増え、通り一辺倒の指導ではなく、お客様個々の性格や生活スタイル、体型のタイプや身体の癖を踏まえて、それぞれのお客様に合わせて指導法を変化する本当の意味でのパーソナルトレーニングを確立する事が出来て、その方々を通じて学んだ人間性や接客も含めて、パーソナルトレーナーとしての僕の血肉となり、この時に僕が培った沢山の知識や技術はとてつもなく大きな財産になりました。


当時は、10時間連続で休憩なしでパーソナルトレーニングを行った勤務後にそのまま脚トレをしていたり、今同じ事をやれと言われたら少し躊躇してしまうようなハードな働き方をしていたお陰で根性も鍛えられましたし、理不尽なことも飲み込まなければいけないのが社会と学んだり、入社してまもなく同期の半分がいなくなるようなかなり厳しい環境だったので、ここでも沢山の経験をして多少のことでは動じないメンタルも手に入れました。

ちなみに、今は時代が違うので環境は全く違っていると思いますし、生存者バイアスにかかっているかもしれませんが、ここでの経験があるお陰で独立しても生き残れる実力が付いたと思っています。


仕事が忙しくてトレーニングをする時間が取れない日もあり、ジムは深夜1時までには閉めないといけなかったので、仕事が終わった深夜1時過ぎに24時間営業の原宿のゴールドジムに移動してトレーニングをして、もちろん終電は終わっているので家まで歩いて帰ったりなんてこともありました。

今なら冷静に普通に寝て翌日にトレーニングをしますが、当時は激務の中でもトレーニングをしないと気が済まないという若さゆえの、えも言われぬ情熱を持っていました。


この時代に血と汗と涙を流し苦楽を共にした沢山の戦友達は、辞めてから10年が経っても今だに付き合いがある大切な仲間です。





激務の8年間でしたが、忙しい中でも時間を作って勉強を重ねたり、休日には様々なトレーナーのセミナーに行ってスキルを高め、この8年の間で数々の国際的なパーソナルトレーナーの資格も取得しました。


そして、2014年にゴールドジムオフィシャルパーソナルトレーナーとして活動させていただくことになり、渋谷東京店で活動を始めて、早いもので今年で10年が経ちました。 


プロスポーツ選手をはじめ、現在進行形なので詳細は言いませんが、もちろんここでも同じく様々なお客様を通じて今も素晴らしい経験をさせてもらっています。





という事で、これが僕のパーソナルトレーナー人生21年間のザッとした軌跡です。


今は時代が違うので僕が辿ってきた道と同じ経験をしたくてもおそらく難しいと思いますし、いわゆる下積み時代に沢山の特殊な経験が出来たことは本当に運が良かったと思います。


と、まあ偉そうにここまでつらつらと書いてきましたが、トレーナーの世界に足を踏み入れた18歳の頃は、髪を染めてピアスをしながら仕事をしていて怒られたり、会員の方に顔を覚えてもらうために話しかけにいけと言われても話はもちろん、上手く声さえかけられなかったり、気配りや心遣いも出来ないに等しいような人間だったと思います。


そんな人間でも、素晴らしい師匠や仲間達と出会い、厳しくも学びのある環境に恵まれ、沢山のお客様たちと関わることで成長し、失敗や成功を繰り返しながら少しずつ自分を変えていくことで、まだまだ勉強の途中ですが独立しても10年は続けさせていただける力を持つことが出来たと思います。




今の時代にパーソナルトレーナーを志す方は、認知度も上がっていて裾野も広がり、SNSの発達により自由度がとても高い分早くから活躍もしやすいと思いますが、一方でかなり危うさも感じています。


パーソナルトレーナーという職業のハードル、教えるという行為に対するハードルが下がり過ぎてしまっているというか、軽く捉えられすぎていると思います。

パーソナルトレーナーがお客様へ指導させていただくまでには非常に長い年月が必要で、しかもそこには大きな責任やリスクが伴うという認識が薄過ぎるのではないかと感じています。


パーソナルトレーニングで事故 消費者事故調が実態調査へ


10年前からこうなることが簡単に予測出来ていたので、いずれこうなってしまうだろうなと危惧していましたが、案の定という感じです。


こういった話を日常で見聞きしていて状況は悪くなっている一方なので、なるべく早いうちにこの現状を変えていかなければいけません。


良いパーソナルトレーナーが沢山増えて、正しいトレーニング方法や食事の方法が世間にもっと届くよう、パーソナルトレーナーの育成にも取り組んでいかなければと近頃は考えています。


消費者庁のパーソナルトレーニング問題の件は、また時間のある時に書いていこうと思います。


パーソナルトレーニングの詳細はこちら