皆様こんにちは。
今日は、また真に迫る一冊。
V・E・フランクル 著
ナチスの強制収容所にあっても生きる希望を失わなかった人間の姿を描き、世界に衝撃を与えた『夜と霧』。その著者であるV・E・フランクルが、収容所での体験を踏まえ、生きることの意味について語る。
人間は、楽しみのために生きているのではない。また、楽しみのために生きてはならない。生きるということは、ある意味義務であり、「たった一つの重大な責務」である。
幸せは決して目標ではないし、目標であってもならない。それは、結果である。義務を果たすことによって、思いがけず手に入るものに過ぎない。
「生きる意味があるのか」と問うのは間違っている。人生こそが私達に問いを提起しているからである。その問いに答えることが、生きていることに他ならない。そしてそれは、自分自身の人生に責任を持つことである。
人はいつか死ぬ。この事実があるからこそ、人はなにかをやってみようと思う。すなわち、死は生きる意味の一部であり、死は人生を無意味なものにしない。
人間は不完全だが、それぞれ違った仕方で「自分なりに」不完全である。これは裏返せば、一人一人がなんらかの仕方で代替不可能な存在になれる、ということである。
人生はそれ自体に意味があり、どんな状況でも「人生にイエスと言う」ことができる。
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『夜と霧』も以前に読みました。
この本も、何も言えない。書かれていること、そのままそうなのだろうなと、他の言葉に変えられない。
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【それでも人生にイエスと言う】
V・E・フランクル 著
《主要目次》
Ⅰ 生きる意味と価値
Ⅱ 病を超えて
Ⅲ 人生にイエスと言う
解説 フランクルの実存思想