【マリンの受験戦記7~特別支援学級移籍4~】

 

 

 

さて、すったもんだの末に迎えた、最終学年の新学期。

 

 

通級のクラスの子たちから何を言われるかと、ビクビクしていたマリンだったけれど…

 

 

案ずるより産むが易し。

 

 

だ~れも、な~んにも、これといっていじってくることなく。

 

 

実に平和な滑り出しとなった。

 

 

てゆーか、新しい担任の先生が、それはそれは大変素晴らしかった!!

 

 

新学期早々に面談があったんだけど、生徒一人一人を実によく見ていらっしゃることが分かる、受け答え…

 

 

わずか数週間で、マリンの特性をとらえつつ、ある。

 

 

まことに有難い事である。

 

 

マリン自身、ただ座っているだけの授業から一転、自分のための学習が始まって、張り切っているし、毎日、

 

 

「楽しかったーーー♪」

 

 

と、帰ってくる。

 

 

よきよき。

 

 

新入生に頼られたりもして、支援級での学校生活を実に満喫している模様。

 

 

そうして迎えた中間テスト…

 

 

当然だけれど、支援級のテストは、通常級とは内容が違う。

 

 

しかも、プレテストでやった内容がそのままテストに出る。

 

 

それでも、学校から帰るなり、

 

 

「お母さん!!100点取った!!」

 

 

と、超いい笑顔で報告してくれたマリンに、思わず破顔のママ。

 

 

マリンは早速、ガサゴソと鞄を探って、満点の解答用紙をドヤ!とばかりに見せてくれた。

 

 

「おお、おめでと!」

 

 

しかも、万年1ケタを取り続けていた理科である。

 

 

ご機嫌のあまり、珍妙な動きをし始める、マリン……ええっと…喜びの、舞いかな??

 

 

まぁ、あれだ。

 

 

嬉しそうで何より。

 

 

そうこうするうちに、支援級の友達もできて、一学期の出だしはまさに上々。

 

 

 

 

 

 

ーーと。

 

 

幸せいっぱいウキウキハッピーなマリンとは反対に、

 

 

ママは新学期から超ドタバタ生活を余儀なくされていた。

 

 

仕事(ピアノ教材の制作)が佳境(いわゆる〆切前だ…)に入っていたとか、

 

 

ランドのリトルリーグの当番が大変だったとか、

 

 

マリンの演技の勉強のために、毎月東京に付き添っていたりとか、

 

 

こんな年に限って町内会で班長が回ってきたりとか、

 

 

さらに旦那の仕事の組合も当番の年に当たっていたりとか、

 

 

ちなみにスカイの高校の理事にもあたっていたりとか、

 

 

諸々、重なりすぎの日々に加えて…

 

 

マリンの学習のコーディネートをやりつつ、

 

 

マリンの進学先について、猛スピードで調べまくっていた…

 

 

 

 

てゆーか、通信制、多くね!?

 

 

名古屋近辺にキャンパスのある通信制の高校が、ざっと調べただけでも10校以上!!

 

 

しかも、資料を取り寄せても、知りたい内容が書かれていることはほとんどなく、

 

 

どこの学校のパンフレットにも、申し合わせたように、

 

 

“詳細は個別相談でおたずねください”

 

 

と、書かれている。

 

 

そんなこんなで、新学期のドタバタもおさまらぬゴールデンウイーク明けから。

 

 

怒涛の学校訪問が始まった。

 

 

調べた&訪ねた学校の数…なんと、

 

 

全部で10校

 

 

受験の下調べのための学校訪問は、公欠となるので、マリンは半ば遠足気分でウキウキ、ママは下準備と運転と…方向音痴も相まってぐったり。

 

 

珍道中の末に集めた膨大な情報を…多分、ここで公開するのは問題しかない(該当の学校にとって)と思われるので、

 

 

ママが調べた、というかチェックしたポイントだけを記録しておこうと思う。

 

 

ということで。

 

 

まだまだ、つづく!

【マリンの受験戦記6~特別支援学級移籍3~】

 

 

伝家の宝刀(笑)、それは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“下っ端でだめならトップに掛け合え”の術☆

 

 

 

 

 

である笑

 

 

 

 

 

これは昔、教育事務所に勤めていた私の母の教え。

 

 

曰く。

 

 

学校はとにかく融通のきかない社会だけれども、校長先生にはある程度の権限があるので、そこを落とせばこっちのもの、と。

 

 

ということで翌日、早速学校にお電話。

 

 

「校長先生か教頭先生をお願いします」

 

 

この一言で大抵、受話口の先生の空気が一瞬凍り付く。

 

 

タテ社会なんやろな。

 

 

今回も例にもれず、息をのむ気配と共に、

 

 

「しょ、少々お待ちください」

 

 

と、やや焦った感じのお返事があり、程なく、教頭先生が電話に出られた。

 

 

「先日のお話では、持込教材を使うかどうか、約束はしていただけないとのことだったのですが、理由をお聞かせいただけますか?」

 

 

お聞かせも何も、理由は明白だ。

 

 

一次決定権は教科担任にあるわけで、先日の先生は明言を避けただけのことだ。

 

 

分かってる。

 

 

だけど、このまま放っておけば、全部有耶無耶のまま、適当なプリントとかを、他の子どもと同じように与えられて過ごすのは目に見えている。

 

 

とにかく現場は人手不足なのだ。

 

 

新一年生が何人、支援級に入るか知らないけど、うっかり大人数だった日には、マリンみたいな境界知能の子のサポートよりも、そっちを優先せざるを得ないのは、想像に難くない。

 

 

イチイチ一人一人のレベルに合わせて、なんて、実際にはどうせやってられないのだ。

 

 

 

 

 

ーー理由をお聞かせいただけますか?

 

 

 

というママに対して、電話口の教頭先生は、実に長々と言い訳をしはじめた。

 

 

 

「いえあの、お母さん、新学期に入ってくる一年生が、何人ぐらい、どんな子が入ってくるかもまだ分からない状態でして、

 

 

つまり何と言いますか、どの程度教員の人数に余裕があるかも分からないと言いますか…

 

 

要は、お一人お一人のご要望に沿っている余裕が無い状態でありまして…」

 

 

 

………びっくりするほど予想まんまやないかーい!!

 

 

 

 

 

打合せの時の先生は、

 

「その子のレベルに合わせて…」

 

とかのたまってやがってたけど、蓋を開けてみたら実際はこんなもんだよ。

 

 

 

ホンマにもぉ!

 

 

 

一通りの言い訳を聞き終えた後、ママは大きく息を吸って、きっぱりとこう言った。

 

 

 

「先生方の手が足らない状況は重々承知しております」

 

 

きっぱりと、というよりは多分、やや威圧的だったことは自覚している笑

 

 

 

「あー……はい、ですから、その、」

 

 

案の定、向こうの口調が引け腰になっている。

 

 

お気の毒に。

 

 

……ごめんね笑

 

 

でも、ここで手心加えたりしたら、何のために電話したか分かんないから!!

 

 

ホントごめんね!!

 

 

でも、

 

 

ここで容赦するとか

今は 無理なんで♡

 

 

 

「ですから!!

 

 娘が一人で自学自習できる教材を用意したんです。

 

 あの教材なら、娘は学校の教室で、一人で取り組めます。

 

 先生は、娘がぼーっと空想タイムに入っていないかだけ、見ていただければ大丈夫です。

 

 何をどれだけやるのか、全部私が事前に準備いたします。

 

 それでもダメな理由は何ですかって聞いてるんです!!」

 

 

 

受話器の向こう側で、息をのむ気配がした。

 

 

 

「支援級って何を支援するためのクラスなんですか?

 

 学校は、勉強をするための場所じゃないんですか?

 

 一斉授業は理解できなくて、支援級でも自分のための勉強をさせてもらえないってそれ、

 

 あの子が教育を受ける権利を、学校は何一つ保証してくれないってことですよね。

 

 あの子はもうすでに8年間、学校の授業時間をドブに捨ててきました。

 

 それは、本人が通常級を希望したんですから、誰を責めるつもりもありません。

 

 ですが、そこでは自分は学べないと気づいて、あの子自ら支援級を希望したんです。

 

 この一年だけは、本人のための勉強をさせてあげたいんです。

 

 通常級で8年間頑張り通した子が、自ら支援級を希望する覚悟の程を、どうか馬鹿にしないであげてほしいんです。

 

 

 ~中略~

 

 

 マリンの一番の問題点は、国語力の無さです。

 

 特に、抽象語の理解がとびぬけて苦手です。

 

 失礼ながら、小学校から中学校のどこの時点に遡ったとしても、通常の、文科省が定めたカリキュラムに則った学習方法では、あの子の苦手を克服するにはあまりにも非効率です。

 

 はっきり言ってしまえば、教科書の国語をいくら学んだところで、あの子の問題点はクリアされないんです。

 

 国語力の無さは、すべての教科に影響します。

 

 数学で手一杯で、理社まで手が回らなかったのもありますが、理科も社会も、教科書の文章が読めてないから、全滅だったわけで、もっと簡単な文章や図解で学べば、もう少しはできたはずです。

 

 理社に手が回らなかった要因の一つは、学校の授業時間を全部ドブに捨ててきて、帰宅後のわずかな時間だけが、本当の意味での学習時間だったからです。

 

 国語力は、今あげておかないと、高校に入ってからも、社会に出てからも、ずっとずっと苦労します。

 

 書類の全くない仕事なんてありませんから。

 

 私が先日お持ちした教材は、その問題点にダイレクトにアプローチできるものです。

 

 他の教科は、無理にとは申しません。

 

 ですが、国語だけは、どうか、前向きにご検討いただけないでしょうか」

 

 

 

 

どうか、とか言っているけど、ほとんど恫喝である笑

 

 

しかも途中途中、諸々、明らかに盛りすぎであるwww

 

 

いやだってね、学校って本当に硬直した社会だから、これぐらい言わないと何一つ動きゃしないんだよね。

 

 

 

翌日、教頭先生から電話があって、マリンは全教科(※5科のみ)、ママ厳選の市販教材で新学期をスタートさせていただけることになった。

 

 

「お母さまのおっしゃっていたことが、筋が通っていると、私(教頭先生)も思いましたので…」

 

 

と。

 

言ってみるもんである。

 

 

ただ……ああ言った手前、ママはマリンの勉強のカリキュラムを一手に担うことになったわけだけれども。

 

 

ははは。

 

 

まぁ、それもよし。

 

 

ママは、いわゆる中の上でゆるっと学生時代をやりすごし、

 

 

受験も、A判定の学校しか受けなかったという、こと勉強に関してはナカナカに苦労知らずでやってきた身。

 

 

我が子の時ぐらい、少しぐらい苦労したって、ちょうどでしょうよ。

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで迎えた最終学年の新学期。

 

 

 

 

続きは…つづく!

【マリンの受験戦記5~特別支援学級移籍2~】

 

 

“一筋縄ではいかなかった”とはいえ、移籍そのものはスムーズに話が進んだ。

 

 

問題は、その内容である。

 

 

担任の先生に、支援級移籍希望の旨を連絡したところ、どういった形で学習を進めるのかや、通級教科などの打ち合わせのために、学校に来てくださいとのことだった。

 

 

ぶっちゃけ、うちの市は、

 

 

 

お金が無い

 

 

 

無いというより、高齢化すぎて、子どもに使う金が無い。

 

 

つまり、学校も、慢性の人手不足…

 

 

という事を、スカイの頃から骨身にしみていたので、支援級と言えども、そこまで個々に合わせた学習をさせてもらえるわけでも無いだろうことは、なんとなく、予想していた。

 

 

そこで、多少人手不足であっても、マリン自身が希望した通りの、マリンのための学習がさせていただけるように、ママは事前に準備をした上で、その打ち合わせにおもむくことにした。

 

 

一言で発達障害と言っても、その特性は様々で、学習レベルも、千差万別。

 

 

ましてやマリンは最終学年にいきなり移籍なので、先生方も、一からマリンを探ることになる。

 

 

こちらからの情報が何も無い状態では、マリンの特性やら、レベルやらを把握するだけで結構な時間と労力をロスすることになる。

 

 

ということで、マリンのレベルと必要に合った教材を、5教科全て揃えて、打合せにのぞんだ。

 

 

 

ところが。

 

 

担当の先生は、ママが持ち込んだ紙袋いっぱいの教材を見るや、中身を見ようともせずにこう言い放った。

 

 

 

「支援級では、本人のレベルに合った学習をしてもらうので、持ってきていただいたからといって、その教材をそのまま使えるとは限りません。

 

あくまでも、本人のレベルが優先ですから…」

 

 

 

つまりこのおっさん、中身を見てもいないうちから、ママが持ち込んだ教材の内容を、本人に不釣り合いな、ハイレベル教材と決めつけて、牽制だか説教だかをし始めたというわけだ。

 

 

後に、本人の口からも、ママのこの理解が正しかったことがはっきりと明言されたので、決して被害妄想ではない。

 

 

ちゅーか。

 

 

 

人の話はちゃんと聞け!!

 

 

 

 

ホンマにもう💢

 

 

 

のっけからモンペ扱いされて、ド頭にきつつも、ここでキレては話が進まないのは分かり切っているので、とりあえず、この勘違い野郎に懇切丁寧にご説明して差し上げた。

 

 

 

「マリンは、小学校に上がる時点で、一度は支援級の可能性も考えました。

 

 ですが、当時の小学校の支援級の様子を、他のママさんから聞いていて、

 

 正直、娘が充分に学習支援を受けられる環境ではない気がいたしました。

 

 どちらに在籍しても、学校では勉強できないのであれば、勉強はもう、家庭でやると割り切るとして、

 

 生活面で、良いお手本が沢山ある方が、本人の社会性が伸びると期待して、通常級に入れました。

 

 周りを見て、真似して動ける子でしたし、騒いだりパニックしたりして、周りにご迷惑をおかけするような子でもなかったので。

 

 仲の良いお友達と離れなくないという、本人の希望でもありましたし。

 

 ただ当然、勉強面ではほどなく遅れが見られて、それでも、小学校のうちは、家庭学習である程度補う事が可能でした。

 

 中学に入って、それも難しくなり、塾に通ったりもしていたのですが…

 

 要は、娘はこれまで8年間、学校での授業時間をほぼ全部、ドブに捨ててきたわけです。

 

 支援級を希望した時の、本人の一番の希望は、

 

 「私も、私のための勉強がしたい」

 

 です。

 

 せっかく支援級にうつるのですから、最後の一年だけは、学校でも、本人のための勉強を、させてあげたいのです。

 

 ですから、小学校からずっと、娘の学習支援をしてきた私が、本人のレベルと必要に一番合った教材を用意して、本日持参いたしました。」

 

 

 

 続けて、

 

マリンが一番苦手とすることは、抽象語の理解であること、

 

国語力、語彙力の低さから、教科書の説明が理解できないこと、

 

もっと簡単な言葉や図で説明されれば、内容理解が可能な分野もあること、

 

それと並行して、とにかく国語力の底上げが重要課題であること、等々。

 

 

 

話し終えたころには、おっさん、もとい担当の先生は表情を一変し、ママの持込教材を見て、感嘆の声をあげた。

 

 

「これは…確かに、非常によくできた教材ですね。

 

 これなら、お母さまのおっしゃられていた、語彙力、特に抽象語の学習にぴったりですし…

 

 他の教科も、非常に分かりやすく、使いやすい…これで自習していただいて、分からない時だけ指導する、ということでしたら、先生の手が少ない時でも、なんとかなりそうですね」

 

 

 

やれやれ。

 

 

つーかとりあえず、さっきの失礼な勘違いを詫びろや。

 

 

という心の声は、取り合えず顔にも態度にも出さずに……粛々と、その後の打ち合わせを続けたわけだけど。

 

 

ただ、こちらの意図は伝わったものの、まだ障壁があって。

 

 

「非常に良い教材で、これを使えたらよいとは思うのですが…」

 

 

です…が…?

 

 

「決めるのは、教科担任ですので…お母さまのご希望にそえるかどうか…ちょっとお約束できかねる、といいますか…」

 

 

まぁ、そうだわな。

 

 

教科担任を無視して、勝手に承諾はできまい。

 

 

尤もである。

 

 

が……何しろママは、マリンが自ら望んだ、

 

 

「自分の勉強がしたい」

 

 

というあの願いを。

 

 

そこからマリン自身が考えに考えて腹をくくった、支援級移籍の覚悟(小学校の頃のマリンは頑として通常級に固執していた)を。

 

 

ーーそう。

 

 

あの日の涙を背負ってこの場に来たのだ。

 

 

あとは教科担任にお任せします、では、親としての人事を尽くしたと、胸を張っては言えない。

 

 

少なくとも、ママは。

 

 

新学期が始まってしまえば、一年なんてあっという間だ。

 

 

マリンの中学生活は、そのあっという間の一年で終わってしまうのだ。

 

 

“はじめまして”の先生の中に、いきなり無策で放り込んでは、マリンを知ってもらうための時間のロスが大量に発生してしまう。

 

 

事前の準備はどれだけ入念にやってもやりすぎということはない。

 

 

ママは、この日の打ち合わせを終えて帰宅した後、

 

 

我が家(ママの実家)に受け継がれて(?)きた、伝家の宝刀(笑)をふるう事にした。

 

 

 

 

 

 

つづく。

【マリンの受験戦記4~特別支援学級移籍1~】

 

 

さて。

 

そんなこんなで、マリンの希望する、支援級こと特別支援学級に移籍するにあたって、問題がいくつかあった。

 

第一の問題は、マリンの希望には続きがあったということ。

 

「1年生の時みたいに、いじめられたら嫌だから、転校して、転校先の学校の支援級に行きたい」

 

 

………転校、かぁ………

 

 

さすがに、オオゴトである。

 

 

が、マリンの不安は分からんでもなかった。

 

 

マリンの言い分通り、1年生の頃、ひょんなきっかけで、いじめっぽい状況に発展したことがあり、マリンにとってはそれは避けたいのだろうと思われ。

 

 

とにかく、不安を不安のままにしておくと、思考停止してしまうマリンだから、まずは安心を確保するのが大事だと、ママは(実際に転校するかは置いておいて)転校が可能な状況を確保してあげることにした。

 

 

まずは、学校に問い合わせ。

 

 

こういう時、担任の先生だけではどうにもならないのは百も承知なのだけれど、筋としてとりあえずは担任に相談してみた。

 

 

案の定、まぁ難しいとの返事。

 

 

今現在いじめがあるとかだったら特例として認められるけど云々と。

 

 

まぁ、予想通り。

 

 

ただ、マリンの心配は単なる心配性ではなく、実際に1年生の時に、いじめにあっている(ちなみに小学校の時にも別件で一回あった)ので、少なくとも机上の空論でもなければ、杞憂と言い切るのも少々可哀そうではある。

 

 

という、一応のママの反論を踏まえて、学校からは、不登校の生徒が行くという、「適応教室」とやらを勧められた。

 

 

そこで、適応教室に見学に行き、いつでも通えるように、一応手続きをとった。

 

 

ただ、マリンの希望としては、学校に行きたい、ということだったので、ママはここで奥の手を切ることにした。

 

 

祖父母の家に住民票を移して、その学区に転校する、という大変アクロバティックな手である。

 

 

が、まぁこれは、実際にどうこうするためというよりは、確実な逃げ道を本気で確保してあげたうえで、マリンに一度冷静にもどらせるための、いわば陽動作戦だ。

 

 

陽動とはいえ、敵をだますにはまず味方から、ということで、祖父母にも、住民票の移動について許可をとり、学校にも、どうしてもとなったら、その方法で転校が可能かどうかの言質、もとい確認をとっておいて、準備万端。

 

 

いざとなれば転校は可能、ということをまずはマリンに伝え、続いてこう尋ねた。

 

 

「でもさ、○○ちゃんとも、□□ちゃんとも、別々の学校になるんだよ?部活も、マリンは部長なのに、それでいいの?」

 

 

「うん。いい」

 

 

 

早いな!!

 

 

 

てゆーかこれはあれだ。

 

 

 

塾の時と同じ。

 

 

多分、想像力が追い付いてないだけだ。

 

 

案の定、翌日、部活の友達と、幼馴染兼後輩ちゃんに話したところ、

 

 

「マリンがどうしてもそうしたいなら、私は支持する。でも、私はめちゃくちゃ寂しいから、本当は行ってほしくない」

 

 

とか

 

 

「転校!?絶対ヤダ!!ダメ!!マリンと離れるとか、ダメダメダメ!!」

 

 

とか。

 

 

実にありがたくも温かい反応が返ってきたらしく……

 

 

まぁ、その他にも、色んなすったもんだがあり。

 

 

結果的に、マリンは転校を断念した。

 

 

ということで。

 

 

支援級に移籍したことによる周囲の反応を心配しつつも、

 

 

今までと同じ中学校内で、普通級から、支援級へ移籍するための、手続きがはじまった。

 

 

まずは、支援級担当の先生と、学年主任の先生との面談から。

 

 

ところが……これがまた、一筋縄ではいかなかった。

 

 

 

 

ということで。

 

つづく。

【マリンの受験戦記3~決意~】

 

「お母さん」

 

マリンは中学2年生あたりから、ママの呼び方を、ママからお母さんに、変えた。

 

ちょっと大人バージョンといったところなのか。

 

ともあれ、2年生の3学期も終わりに近づいたある日、

 

やけに真剣な表情で、マリンはママに、

 

「お母さん」

 

と。

 

何やらただならぬ雰囲気を感じながら、

 

「はい」

 

と、思わずつられて、妙にかしこまってこたえたママに、マリンが決意も堅いと思しき声で一言。

 

「私、支援級に移りたい」

 

と……。

 

 

 

 

 

ええええええええええええ?????

 

 

えええええええええええええええええええええ?????

 

 

支援級ってあれだよね!?

 

特別支援級のことだよね??

 

ええええええええええええ???

 

……これはあれだ。

 

ママの、聞き間違い……かな!?

 

「……今、支援級って、言った?

 

 それってもしかしなくても特別支援級のこと??」

 

「そうそれ!特別支援学級!!」

 

 

ーー聞き間違いじゃなかった。

 

 

 

 

てゆーか今!???

 

 

 

中学2年も終わりがけの、間もなく最高学年になろうというこの段階で、今!?

 

 

「うん」

 

その真っ直ぐにママを見返す目…どうやらノリや冗談ではないらしい。

 

「……えーっと……とりあえず、何で?」

 

呆然と返したママに、マリンの怒涛の演説が始まった。

 

 

「私、私だけ、授業中何にもしてない」

 

「…うん?」

 

……授業がさっぱり分からないから、ぼーっと…空想しまくってる、って意味だね?

 

知ってる知ってる。

 

あなたが授業の時間をほぼほぼ棒に振っているのは、ママ大分前から知ってた。

 

……えーー…で、それで?

 

 

「私だけ、授業中何もしないで楽してて、放課後だけ、みんなとワイワイ楽しんでて、私だけ、ズルしてる。ズルじゃんそんなの」

 

「ズル、か…」

 

ズル、ときたか。

 

「ズルだよ!

 

 だって、だってさ!

 

 みんな頑張ってるのに、私だけ楽してて、

 

 何にもしてなくってさ!!」

 

言いながら、何かが込み上げてきたらしく、泣き出したマリン。

 

 

えええ、泣く⁉︎

 

ここで泣く⁉︎

 

てゆーか、泣くほど⁉︎

 

ズルしてた(?)自分が??

 

ダメだと思うワケかな???

 

ママは、無意味で退屈な時間はさぞ苦痛かろうに、今までよく耐えてきたよねとか思ってたわけだけど、ズルって思うってことは、つまり。

 

 

 

授業中の空想タイムが

よほど楽しかったということかしらん……(^▽^;)

 

 

 

「と、とりあえず、一旦落ち着こう?

 

 えっと……それで、何で支援級?」

 

 

 

 

「ちゃんと勉強したい!!」

 

 

 

 

!?!?!?!?!?!?

 

 

お、おお!?!?!?

 

 

今、何と!?!?!?

 

 

「……へ!?!?!?」

 

「私も、私の勉強がしたい」

 

 

 

 

……つまり。

 

支援級に移って、自分のレベルに合った、自分のための勉強をしたい、ということ…?

 

「うん」

 

 

まじか(゚Д゚;)(゚Д゚;)(゚Д゚;)

 

 

あんた、あんなに勉強苦手なのに、そんなに勉強したかったの!?!?!?

 

 

ママなら間違いなく、どうやって避けて通るか考えるとこだよ⁉︎

 

(それもどうなんだ)

 

 

ーー1年生の頃は、テストの点が低くても、塾に行きさえすれば、自分ももっと高い点が取れると思っていたマリン。

 

2年から塾に通い始めて、それまでに比べれば劇的にアップしたけれど、本人としては、その点数に失望しかなかったらしく……

 

さらに、2学期に、グループワークで置いてけぼりをくらった事が決定打となったらしい。

 

そういえばあの頃、

 

「ママ…なんで私は、みんなと同じ事が同じようにできないのかなぁ…」

 

と、しょんぼりしていたことが何度かあった。

 

ママは、マリンが周りと同じことが同じようにできないのは今に始まったことじゃないので、あんまり深刻に考えておらず…

 

 

「いやいや、同じ人とかおれへんから。

 

 できることが違うのは当たり前やん。

 

 ママかって、そら数学はそこそこできてたけど、

 

 英語はどんだけ勉強しても、ノー勉のマリンよりひどい点数やったし(マジです)、

 

 2点とか取ったことあるし!!

 

 スーパーの駐車場に置いた自分の車の場所を覚えてなくて毎回めっちゃ探し回るし、

 

 人の顔と名前覚えられへんし、

 

 (ママ……ポンコツだな……)

 

 マリンはそこんとこめっちゃ強いやん。

 

 そんな比べんでええやん」

 

 

とか、実に軽い調子で返していたわけだけれど。

 

 

………ご、ごめんよう………。

 

あなたがそんなに真剣に、勉強できるようになりたいんだとか、

 

ママ全然知らなかったんだよう……。

 

 

ーーママは、マリンを見くびっておった。

 

 

マジで申し訳ない。

 

 

かくなる上は、ママはママの出来ることを、精一杯やってあげよう。

 

 

 

「勉強したいから、支援級に移りたい、のね?」

 

「うん」

 

「分かった。パパに話して、それから先生にもお話して、手続きしよう」

 

「マジで!?」

 

「ん。ママに任せて」

 

「まかせる!!」

 

 

 

そんなこんなで、マリンが、支援級に移るための、1ヶ月弱の大騒動が始まった。

 

つづく。

【マリンの受験戦記2~トライアウト~】

 

さて、パパとママがそろって、学習塾の先生の手腕に舌を巻いていた頃。

 

マリンは一人、ずぶずぶと悩みの沼にハマっていっていた。

 

一学期の中間テストまでは、毎日行っていた塾の自習室も、中間テストの結果が出た後は、ことんと足が遠ざかり、どうにかこうにか、授業のある日だけ行っていた。

 

当然、期末テストは、ぐだぐだだった。

 

そんなこんなで迎えた夏休み。

 

24時間テレビを食い入るように見ていたマリンは、番組が終わった翌日、いきなりママにこういった。

 

「手話がやりたい。それで福祉施設で働きたい」

 

 

 

 

……またはじまったよ……。

 

 

 

マリンの中では、定期的に、こういう発作が来る。

 

何か突然、

 

「私、○○になる」

 

とか、

 

「○○やりたい」

 

とか、言い出すのだ。

 

大抵は一過性で、だからママは当初しばらく放置の方針だった。

 

ところが、マリンの興奮を取り合わないでいるママを尻目に、マリンの催促はしつこかった。

 

「手話ってどこで習うの」

 

「福祉施設でバイトしたい」

 

ここいら辺、あまりに頻繁な攻撃にママはちょっとげんなりしていたこともあって、あんまり覚えていないのだけれど…

 

結論から言うと、マリンが粘り勝った。

 

2か月以上、ほぼ毎日のように催促し続けた結果、ママは受け流す方が面倒になって、ついに重い腰を上げる事になった。

 

まぁ、2か月も続いたというのは、マリンにしては上出来だ。

 

調べぐらいはしてあげても、悪くはないだろうと。

 

ところが…調べてみると、市の手話講座は、基本的に全て平日午前で、中学生が受講することを想定していないようだった。

 

福祉で働くにしても、中学生はもちろんのこと、高校生でもあんまりそれっぽいものが見当たらない。

 

ひとまずマリンにそう伝えると、

 

「じゃあ、高校入ってから自分で探す」

 

とかなんとか。

 

……ま、まぁ。

 

何になるにせよ、高校には行っておいた方がいいだろう。

 

さてどうするか…と思案していたところ、マリンが中学校から、福祉系大学付属高の、体験入学案内をもらってきた。

 

チラッと目を通してみたところ

 

“特色入試”

 

とか、

 

“トライアウト”

 

とかいった文字が目に飛び込んできた。

 

調べてみると、推薦入試+強化部活のテストみたいな受け方らしい。

 

一般入試では、5教科受験しなければならないところ、特色入試では2教科受験になるとのこと。

 

さらに塾で詳しく聞いてみると、その高校は、合否の基準に、とある“傾向”があり…ってなことを、ちょこちょこと教えていただいた結果。

 

一般入試よりは……万が一が、ありえる、かも……?

 

とか思い。

 

もちろん、まだ2年生なので、正式にではないけれど、その高校に問い合わせてみたところ、2年生でもトライアウトは受け付けていますよ、とのことだったので、とりあえず様子見も兼ねて、受けに行ってみた。

 

吹奏楽部のトライアウトを。

 

……とりあえずハープで。

 

(ちなみに、この経緯に際して、ママの事を夏ごろから敵視していたらしい○○○先生から、マリンはモラハラをくらうことになり、ママはメールで先生に抗議した……ということがあった☆)

 

グランドハープを弾くのは初めてで、戸惑っている様子ではあったけれど、大して上手くないとはいえ、もちろん初心者では、ない。

 

ハープに関しては、入部時点で弾ける生徒がいない事も珍しくないようで…

 

マリンが一曲弾き終わると、顧問の先生は上機嫌で、

 

「ぜひお越しください」

 

と言ってくださった。

 

なので、部のトライアウトとしては合格する見込みだったのかも、しれない。

 

けれど…

 

進路担当の先生のお話をうかがったところ、部活動のトライアウトの結果は、入学の可否に何ら影響しないということだった。

 

では何のためのトライアウトかというと、入試に合格した生徒で、トライアウトに受かると、入学後、奨学金を受けられる、ということらしかった。

 

合否が、内申点と当日点でのみ、決まるとなると、正直厳しい。

 

この先マリンがめちゃくちゃ勉強しまくって、万が一受かったとしても、奨学生という事は、吹奏楽部に入らないといけないということだ。

 

先輩と顧問の先生からお話を聞いたところによると、強化部活に指定されている吹奏楽部は、毎日夜遅くまで練習があって、勉強は基本的に、授業中と、帰りの電車の中(!?)で完結させるべし、とのことだった。

 

 

………無理だわ。

 

何が無理って、大体がして、学校の集団授業に関して、マリンはほとんど何も学んできていない。

 

先生の話がちんぷんかんぷんなので、授業中はほぼずっと、妄想タイムなのである。

 

帰宅してからが彼女の学習タイム、というのを、小学校から7年以上続けてきたわけで……

 

そんじょそこらの妄想癖とは、はっきり言って年季が違う!!

 

 

 

……いや、無理だわ。

 

万が一入れたとしても、その後が無理だわ。

 

卒業が危ぶまれるわ。

 

だって高校だもん。

 

中学じゃないもん。

 

義務教育じゃないんだから、中退とか、余裕であるじゃん!?

 

 

 

ーー折しも、2年生2学期当時、マリンの学力は低迷の一途をたどっており。

 

モチベーションはさらに低迷。

 

……無理だわ。

 

と、ママが内申頭を抱えていた頃。

 

 

マリンが発達障害に関して、ママに質問しはじめた。

 

「自閉症ってなに?」

 

「私って、自閉症なの?」

 

「自閉症だと、みんなと何が違うの?」

 

これは、時期がきたのだなと思ったママは、最初の一冊として、花風社の赤本こと、

 

「自閉っ子、こういう風にできています」

 

 

 

 

を、マリンにあげた。

 

(でも多分、未だ全部は読めていないと思われる。

 こんな本がまともに読めるならそもそも、もっと国語の点数取れてるだろっていうね…まぁそれは置いといて)

 

この頃、マリンの学校では、グループワークが頻繁にあり、マリンだけが、課題の意図が理解できず、全く手を付けられない、という事が、何度かあったらしかった。

 

自分は、というか、自分だけが、(実際はマリンだけじゃないと思われるが)みんなと同じことが、同じように、できない。

 

頑張ろうにも、何をどうすればいいのか、皆目見当もつかない。

 

そんなどん詰まりの思いで過ごしていたらしい2年生の2学期。

 

学校の勉強が上手くいかない反動で、コンクールに出たいとか、オーディションを受けたいとか言い出す始末。

 

その度にママは、長く統合失調を患った末に自殺した親友を思い出し、何とも複雑な思いだった。

 

 

妄想に逃避するマリンにやきもきしつつ、仲の良いママ友の勧めで、こっそりと、通信制の高校を調べ始めたのは、この頃の事。

 

けれど、マリンのプライドを考えて、口には出せないでいた当時。

 

 

今にして思えば、マリンを随分見くびっていたと…

 

反省させられるのは、それからわずか数か月の後、2年生の3学期も終わりに近い、今年の3月の事だった。

 

 

 

まだまだ、続く。

前回記事【マリンの受験戦記0~多分、前書き~】はこちら

 

 

【マリンの受験戦記1~学習塾に入って~】

 

さて。

 

事の起こりは1年と4か月前。

 

マリンが中学2年生になる春のこと。

 

思えばマリンにとっての受験は、本人のこの一言から始まった。

 

「塾に行きたい」

 

よくある言い分だけれど、曰く、周りのお友達はみんな行っているとかなんとか。

 

当初、ママはあんまり乗り気でなかった。

 

だってさ?

 

「学校の課題も出せてへんもんが、塾の宿題まで背負ってどないすんねん!?」

 

ところがこれに、

 

「学校の課題は、塾の自習室でやる。塾の宿題も、塾の自習室でやる」

 

と、本人から反論が来た。

 

よそは知らんけど、この辺りの塾には大抵、自習室があって、マリンはそこで勉強するのだという。

 

確かに…我が家の自宅環境たるや、お世辞にも良い環境とは、言えない。

 

何が悪いって、パパが四六時中、リビングのテレビをつけっぱなしているのだ。

 

そんなんしとってから、子どもらがテレビに気を取られてやることが進んでいないとダメ出しする。

 

テメーがテレビ切れよ💢

 

と、何度思ったか知れない。

 

思ったというか、ちょいちょい、ママが切っている。

 

が、テレビのつけっぱなしが落ち着くらしいパパを、年中我慢させ続けるのも気の毒なので。

 

ママはいっちょ、マリンの自習室案に乗っかる事にしてみた。

 

「んじゃぁ、月曜日から金曜日まで、毎日塾にいくこと。

 週一で授業を受けるとして、授業の無い4日間は、自習室で塾の宿題と学校の課題をやること。

 授業と自習室に、欠かさず行っている限りは、塾に行ってよし。

 

 自習室をさぼったり、学校の課題が出せなかったりしたら、塾代は自腹のこと」

 

という条件の元、塾通いが始まった。

 

マリンが希望した、数学だけ塾の授業を受け、他の日は自習室通い。

 

ぶっちゃけ、ママとして、塾にそこまで期待して入れた、というほどのこともなかった。

 

けれど、代表の先生が思いの外デキる先生だったのと、最初のうちは、マリンも張り切っていたりで…なんと、中2の1学期、数学の点数がなんと…3倍に跳ね上がったのだ!!

 

ゆうて、1ケタだったのが、20点台に乗ったというだけのことなんだけれども。

 

とはいえ、3倍である。

 

ママとしては、

 

さすがに餅は餅屋!プロに任せただけの事はあったわ!!

 

と、とっても満足していたのだけれど…

 

当のマリンとしては、

 

「80点、取れると思ってたのに…」

 

と。

 

いやいや。

 

8点(あ、書いちゃった)からいきなり80点はなかろうよ。

 

と、ズッコケそうになったママであったが、マリンは真剣だったらしい。

 

曰く、

 

「だって、全部書けたのに」

 

と……

 

言われて、答案を見ると、確かに全問、解答欄が埋まっている。

 

マリンとして、正しく快挙である。

 

さらによくよく見ていると、基本問題の中には、凡ミスで点を落としたらしき問題が幾つもあって、80点はさすがに遠すぎるにしても、この先頑張れば、50点ぐらいはいくらでも狙えそうな感触だ。

 

ちゃんと、勉強の成果が解答に表れている。

 

思えば、塾に行った初日。

 

ほっぺを真っ赤にして、上機嫌で帰ってたマリンは、開口一番、

 

「ママ!分かったよ!!」

 

と、のたまった。

 

 

おそらく、マリン史上、初めての

 

“分かった”

 

だったに違いない。

 

先生にも友達にも、褒めてもらって、助けてもらって迎えた中学二年の中間。

 

マリンは、これまた初めての、

 

“あっ、この問題知ってる!解けるかも”

 

と、思いながら受けたテストだったのだろう。

 

集団授業では、何だかよく分からないままに、毎回妄想タイムに突入していたのが、塾の個別授業で、丁寧に説明してもらって、初めて「分かる」という事を経験したのだ。

 

それはきっと、マリンにとって魔法のような時間だったに違いない。

 

“皆は、この魔法で、あの点数を取ってるんだ。私だって、この魔法があればきっと、皆と同じようにできるに違いない”

 

そんな高揚感でいっぱいだったであろうことは、想像に難くない。

 

 

しかし…である。

 

マリンよ…

 

“分かる”と、“出来る”の間には、

 

“習熟”という名の、深くて暗い谷間があってだな…

 

魔法なんて無いんだよ。

 

あるのは、地味で地道な、積み重ねの先にある、

 

“やりこんだだけの分の、成果”

 

だけなんだよ…

 

 

てなこととこの時、ちゃんとマリンに伝えておけばよかったのだけれど。

 

当時は、パパもママも、とりあえずの成果(だって3倍だよ!?)に満足していて、マリンの失望感を、そこまで深刻に受け取れずにいた。

 

たった2ヶ月でこれだけ伸びるなら、このままコツコツと続ければ、公立は無理でも、私立の高校なら、どこか入れるところがあるかも、しれない。

 

そんな風に、おぼろげな期待を抱いていた当時、前述の通り、マリンの胸には、私たちの想像よりも深い失望が、静かに根付こうとしていた…

 

 

 

のは、また、次の記事にて。

 

 

 

【マリンの受験戦記0~多分、前書き~】

 

マリンはこの春、中学3年生…いわゆる受験生になった。

 

ということでいよいよ、志望校を決めねばならい。

 

志望校、と言えば。

 

スカイの志望校を決めた時を思い出す…


あの時は、県内の普通科以外の高校(公立のみ)について、

  • 偏差値
  • 内申点
  • 通学時間
  • 学科
  • その他、校則や学校の雰囲気等

を、片っ端から調べまくった。

 

本当に隅々まで全部、しらみつぶしってことのこだよねって思いながら…

 

ーー中々に、気の遠くなるような作業だったことを思い出す。

 

が、しかし。

 

マリンの志望校決めに比べれば、遥かに…遥かに!!

 

楽だった!!

 

何せ、上記の5点を調べるのには、パソコン一台、またはスマホ一個あればすむのである。

 

時間にして数十時間を要したとはいえ、所詮、動かしたのは手指だけ。

 

疲れたのは、脳みそと目だけである。

 

今回、マリンの進学のために使った労力と比べれば、まことに微々たるもんである。

 

そう、この【マリンの受験戦記】…戦ったのは、マリンだけではなく、ママもすんごい色々頑張った。

 

正確には、【マリンの受験のために、マリンの迷走と決意と頑張りと、ママが東奔西走した記録】とでもすべきところなのだけれど、長すぎるのでそれはやめといた笑。

 

とまぁ、そんなわけで、貴重な体験をいっぱいさせていただいたので、この夏休み期間に、一連の出来事を書き残しておくことにした。

 

マリンのような、境界知能のお子さんを持つ親御さんに、お役に立てることを願って。

 

 

さて。

 

事の起こりは1年と4か月前。

 

マリンが中学2年生になる春のこと。

 

思えばマリンにとっての受験は、本人のこの一言から始まった。

 

「塾に行きたい」

 

 

 

 

と……はい。

 

例によって、長くなったので、続きは次回。

 

当分、続く予定。

先月18日。

 

マリンは初めての、演技の対面マンツーマンレッスンを受けてきた。

 

前回記事で書いた通り、東京で。

 

何で東京かというと、去年までママがそのスクールでお世話になってたので。

 

………。

 

あ、うん。

 

そうなの。

 

ママは、昨年末まで、演技スクールにお世話になっていたんだよね。

 

いやあれだ、ママは東京までは行っていない。

 

ずっとコロナ禍で県外とか無理だったのもあるし、そもそもそこまで時間もお金もかけられないしで、いわゆるオンラインレッスンというやつを受けていた。

 

何のためかというと、宅録ナレーションの上達のために。

 

まぁ、ここはママが自分語りをするブログではないので、説明はこの辺にしておいて。

 

とにかく、1年ほどお世話になったおかげで、そのスクールのとんでもない指導クオリティの高さを知っていたママは、マリンに演技のレッスンを受けさせるにあたって、まぁなんというか、劇団とか事務所とか関係なく、純粋に演技のレッスンという事で選ぶならここをおいて他ない、と思っていた。

 

が…マリンをお願いしたいと思っていた先生は、大人気の先生なので、大丈夫かな!?

 

と、心配していたところ、大変快くお引き受けくださり…一安心。

 

……でもなかった。

 

お引き受けくださったその日から、ママには新たな心配が…

 

だってさぁ……。

 

マリンが、何かやらかしたりしないかなとか、そもそも2時間もレッスンに集中できるのかなとか。

 

失礼なことをしでかさないだろうかとかなんとか。

 

 

 

 

結論から言うと、わりと杞憂だった。

 

マリンは初対面レッスンの後、頬を上記させて、

 

「楽しかった!!今までで一番楽しかった」

 

マリンの人生イチ、楽しかったと。

 

おぉ、さすが○○先生……一体どんな魔法を使ったのか。

 

レッスンの翌々日に、前からお願いしてあった保護者面談(オンラインレッスン扱い)で聞いたところによると、マリンは初めての対面レッスンを、休憩をはさみつつも、何とか2時間、集中してやれたとのこと。

 

やれやれ今度こそ一安心。

 

そんな初対面レッスンの一週間後、同スクールでワークショップ(こちらはオンライン)を受けて、その時もやっぱり、

 

「めちゃくちゃ楽しかった!!」

 

と、興奮気味に連発していた。(語彙力)

 

人生案ずるより産むが易しである。

 

 

 

 

ただ、毎月のお月謝はともかく、月一で東京ー愛知の往復は、ナカナカ交通費がかさむ。

 

最初の数回はママも同伴するので、なおさらだ。

 

そうまでして、演技を学んで何になるのか。

 

前回記事の通り、俳優になるのがマリンの夢なのだけれど、もちろん、俳優で食っていける人なんて一握りなわけで、ほとんどの俳優志望者は、食っていくどころか、1円にもならずに、膨大なレッスン代を払っただけで終わる。

 

そういう人を、ママも沢山、沢山見てきた。

 

……何でママがそういう人を沢山見てきたのかとか、その辺はまぁ置いておくとして。

 

とにかく、ママは普通に真面目に会社勤めをしてきたような方々よりは、多少具体的に、そういうアレコレを、知っている。

 

にもかかわらず、何で無駄になる可能性の高い演技のレッスンを、高い交通費を払ってまで受けさせることにしたのか。

 

それは。

 

演技のレッスンを、純度100%の本気で頑張ったら。

 

 

“社会人力”

 

 

とでも言うべき力が…つまり、社会で生きていくための力が、爆上がりするってことを、ママは身をもって知っているから。

 

 

まず、演技を真剣に学ぶと、【国語力】が上がる。

 

というか、国語力を上げる事が、演技を学ぶ上で不可欠なので、嫌でもめっちゃ勉強する羽目になる。

 

結果、上がる。

 

国語力は、全ての学力の基礎なので、これがあがるということは、学生なら、全科目の学力が、上がる。

 

当たり前だけど、ちゃんとやれば声量も上がる。

 

人前で、堂々とふるまえるようになる。

 

言葉に、説得力が出る。

 

指導が良ければ、声も良くなる。

 

人の感情に敏感になる。

 

集中力が上がる。

 

姿勢が良くなる。

 

まだまだ、数え上げればキリがないほどの、社会で生きていくために大切な力が、あれもこれも、劇的にアップする。

 

 

 

……まぁ、あくまでも本気で頑張った場合に限るわけだけれど。

 

それに加えて、指導の質が良い事も、条件としては重要なわけだけれども。

 

まぁそんなわけで、指導の質に関しては最高峰なので、あとはマリンのやる気次第というわけだ。

 

前回記事で書いたダンスのレッスンも、10以上のダンススクールを見てきた(だから何でそんなにダンススクールを知っているのか)ママが、ついぞお目にかかったことが無い、初心者対応クラスにしては稀有な、基本だけをがっつり教えてくれるクラスが見つかって、マリンは今日もそこへ一人、電車で行っている。

 

初心者向けのダンススクールは、楽しさ優先をうたってそこまでストイックに基礎を見てくれることがほとんどない中、振り付けそっちのけで基礎の徹底をはかるそのクラスが、マリンが一人で通える場所に見つかった時は、神さまの粋な計らいに思わず唸ったものだ。

 

本当に本気で頑張れば、1年後には別人ばりに成長できる環境が、ある。

 

 

ママの子育ての目標は、マリンが自閉っ子と分かった日から、ずっと変わってない。

 

“納税できる大人になる”

 

助けてもらうばっかりじゃなくて、社会を、支える側にもなること。

 

実のところ、あれやらこれやら、マリンに向いていそうだなと思う職業を、思わない事もないけれど、そのどれにも就かなくてもいいし、まかり間違って本当に俳優になっちゃったりすることがあったとしても、別にいい。

 

どんな仕事でもいいから、マリンが社会の一員として、支える側も担う、ということ。

 

それが、いわゆる知的境界線の子どもを育てる親として、社会に果たすべき責任だと思っている。

 

その具体的な目標としての、

 

“納税できる大人”

 

だ。

 

ママも先月、確定申告の後、わずかばかりの所得税を納めてきた。

(ちゃんと皆に役立つように使ってくださいね)

 

 

マリンが社会に出るまで、最短で、4年。

 

時間は、あるようで、無い。

 

頑張れマリン。

 

マリンの、小さい頃からの夢について、ブログに書いていいよと本人の許可がやっと出た。




マリンの小さい頃からの夢。


それは…









 






俳優。










赤文字、文字サイズアップで書く勇気が出なかった😅



まぁそんなわけで、演技のレッスンが受けられるところを探していたというわけで。



この時(台風の日だった🌀)のこの記事はつまり、オーディション用の写真を撮りに、名古屋の写真スタジオに行っていたんだよね。


この日に、無事にエントリー用の写真を撮り、事務所やら養成所やらを一人で調べまくり。



途中、発表会の練習が佳境に入ったり、進学問題ですったもんだしたりしつつ、諸々ひと段落ついたのが、12月。



“妄想と現実の乖離をどげんかせんといかん”の会の主旨に基づいて、ママ(パパも)はとりあえず、マリンが自分で調べたオーディション(無料に限る)を受ける許可を出した。



落ちるて得るものもきっとあるはず。



と、思って。



ところがこれが大誤算で…



今、ネットの検索で出てくるオーディション情報のほとんどが……












アレなやつやった😱😱😱











いやもうね。



知らなかったでは済まされないよね大人としてね。



とりあえず、最終オーディション前に、怪しい所は全部辞退の連絡を入れた所、残ったのは、大々的にスクールビジネスをやっている、某大手事務所だけ。



ここは、要は養成所なので、授業料を払ってくれる生徒は多ければ多いほどイイって事で、そもそもまぁ、あんまり落ちたりしないわけだけど。



一応、オーディションを受けていいと言った手前、全部辞退も可哀想だと思って、そこだけは受ける事になった。



その養成所に、とりあえず受かったものの、細かい条件がどうしても合わず、合格に浮かれるマリンに、冷水を浴びせてしまう結果になったのが、一月の終わりのこと。


その後、気を取り直して養成所探しをし、マリンが一目で気に入った劇団は、翌日、対象年齢から外れている事が判明。



何が可哀想って、すんごい頑張ってたんだよね…パパに、養成所通いの許可をもらうために。



朝早起きして。



勉強を。


マリン史上最高の頑張りが、空回りに終わったと分かった時のマリンの表情たるや…。


というのが、およそ一月前のこと。


一時はちょっと鬱っぽいまであったマリンだけれども、どうにかこうにか、ようやっといつも通りに戻りそうな今日この頃。



件の、マリンが入りたがった劇団は、高校入学のタイミングならオーディションを受けられると分かり、とりあえずこの一年間は、それぞれのレッスンを自前でコーディネートすることに。


ということで、先月後半から、とりあえずダンスのレッスンを受け始めた。


マリンが一人で通えそうな立地の教室で、ジャズダンスの基礎を教えてくれるところがみつかり、週一でレッスンを受け始めた。


マリンは、赤ちゃんの頃身体柔らかかったんだけど、緊張のせいで、今は背面がすっごく固い。


これから柔らかくしていかないとね。


ついで、月末から、演技のレッスンを始めることに。


初回はリモートだったけど、今月からは、毎月一回、東京で対面レッスン。



せっかく(?)ハープをやめたのに、また東京…😅


とはいえ、もうすぐ中3になることだし、慣れたら一人で行かせる予定なので、今月も、ママは後ろからついていくだけ。


とりあえず、ダンスは一人で電車に乗って行けてるので、東京の行き帰りも、その拡大版と思えばやらない事もないだろうと。


……頑張れマリン。