僕が非常にお世話になっている師匠のひとりに精神科医の名越康文先生がいるのですが、先生の合宿とか行くと、ポロリと先生が長年カウンセリングとか診断で使ってきた奥義を言うことがあるのです。
「奥義はポロリと出る」
っていつも思っているのですが、師匠がラーメン食べている時とか、ひとつの講義が終わってみんなでコーヒー飲んでる時とか、そういう時ってポロリしやすいと思います。
それで、先生がカウンセリングの心得のひとつとして
「自分が先入観を持って相手を見るモードをきちんと作りなさい」
みたいなことをよくおっしゃるのです。
これってすごいロジックで、よく、対話とかカウンセリング的な会話でもそうなのですが、その時によく言われる台詞が
「先入観なく、相手を見なさい」
でしょう。
それに対して長年カウンセリングとか診断の第一線で死線をくぐってきた方が正反対のことを言う。
こういうのが奥義だと思うのです。奥義って、その時に「へー!」って思っても、半分以上全然意味が分からない。笑 でも、何か喉に小骨が引っかかるようにその言葉って自分の体内に残り続ける。
長い時間をかけて自分なりに「あの時に先生が言ったことってどういうことなんだろうか」って尋ね続けると、ある日「もしかして、こういうことなんじゃないか」っていうのがわかる。
センスって、その奥義の小骨を何本もずっと残し続けてきた人に宿ると思っています。
なぜ人と対話する時に「私はこの人に対して先入観を持って、決めつけて眺める」と決めるのか。
それは、「この人を先入観なく見なければいけない」ってやってしまうと、逆に自分の今まで見てきた人間のパターンに当てはめて、その人を見てしまう。「どうせイジワルだ」とか。
でも、「先入観を持っている」とちゃんと思って喋ると「私はこの人をイジワルと決めつけて喋っている」って、1枚壁ができるのです。
そして「先入観を持ってこの人を見ようとしている」って思うと、意外とやっぱりその人についての情報が当たるのです。
「相手に対してきちんと先入観を持つ」って、相手を自分の無意識の正義に当てはめない、ちゃんとした礼儀でもなりうると思いました。おわり。