今度の本にも書いたのですが、僕には大学時代にすごくお世話になった先生が二人います。

 

ひとりは僕が大学に2年間通って16単位しか取らなくて大学を中退しようとした時に「君は面白いからもっと勉強しなよ」と、行き場のなかった僕をゼミに引き取ってくれた先生。

 

そして、もうひとりの先生は大学3年生から4年生まで、ゼミで「ただの暴論じゃなくて、学問的にちゃんと調べて、ちゃんと伝えていくことの大切さ」を教えて下さいました。

 

その二人の先生が「君は多分就職できないと思う」とハッキリと言ってくださって、早稲田大学の大学院への進学を勧めて下さいました。大学院の試験の勉強も、お忙しい中研究室で教えて下さいました。

 

僕が大学院の勉強でひーひー言っていた頃に

 

「君は図書館の本とか、データを整理する能力は全然向いていない。でも、君の面白いところは砂漠に勝手に出掛けていって、勝手に何かめずらしいトカゲとかを発見してくる能力だよ」

 

と言って下さったのです。

 

「ある言葉によって、自分の生き方に線図を引く勇気が生まれる」

 

僕が恩師にしていただいたことってそういうことでした。

 

多分、僕は問題児だったと思います。大学に提出する進路志望も

 

第一志望:大学院進学

第二志望:しいたけ栽培

第三志望:爆死

 

と書きました。すごい若々しいですが、すごい痛々しいものを出しました。ただ、当時の僕はおそらく本気でした。視野が狭かったけど、先生に出会い、勉強を続けたかった。

 

その時、進路の1位は決まっていたけど、2位以下は決まっていなかった。それで、たまたまその日も学食の五目焼きそばで残した苦手なしいたけを「いつか好きになりたい」と思って書いたのが「しいたけ」に対する縁でした。

 

何か、自分が苦手だからといって脇にどかしたしいたけが、当時の「マジョリティ側に行けない」という自分の姿と重ねてみていのたです。だから、いつかしいたけにちゃんと居場所を作りたいと思いました。

 

「いくつになっても、言葉を使ってちゃんと人と向き合う」

 

僕が恩師、そして、大学から教わったことです。

 

あの時、僕は恩師に出会って「君のその考え方じゃ社会じゃ通用しないよ」と言われてたら、今の僕はいなかったと思います。

 

バカなことを、真剣に面白がってくれた大人がいた。

 

それだけで、20歳そこそこの自分は救われました。

 

今度出る本を、先生に送りたいと思います。

 

私的な文章を書かせて頂いてありがとうございました。