先日実家に帰り、昔書いていた日記を読み返す機会がありました。

 

僕はずっと「会話ができない子ども」であったため、人と一緒にいることも苦手で、高校生からずっとみんなとお弁当を食べる時間にサササーっと校舎裏でお昼ご飯を食べていたよう子どもでした。だから、「日記」ってもう友達みたいなもので、同世代の子どもに報告して済ますような話も「昨日ゆうこちゃんがお団子をくれた。すごく嬉しかった」→3日後「ゆうこちゃんがアメリカに行くそうだ。もう会うことはできない」とか、そういうことを全部書いていました。

 

18歳から現在の年齢まで。

 

大学ノートで60冊ぐらいあって、これが全部独り言かと思うと、他人には決して見せられない気持ち悪さです。

 

色々なこと「消えて、自然に忘れていくこと」がどこかに記録してあるって、どこかで自分を見失わずに済むし、過去何回か「自分を見失ってきた時」のことを読み返すと、人生の色々なシーンって、楽に見えるようなところもどこか必死で、そのところどころを思い返せるものを残しておいて良かったなぁと思っています。

 

だから何か、僕はインスタとかはそんなにやらないのですが、「日常の中で、未来に向かって消えていく風景」って、それを撮った時の一言メモとかと共に残しておくことって結構大事なのかもなぁと思いました。

 

はじめてひとり暮らしをして、そこでの、なんの変哲もない汚い部屋とか。

 

そういう部屋の風景って、まぁインスタには載せられないだろうけど、そういうのって後から結構「残しておけば良かったなぁ」と思うことって多いから。

 

僕は日記を書いてたけど、唯一の後悔はバイト先で一緒だった人とかの名前を書き残しておけば良かったなぁと思っています。名前だけでも覚えていると、その人との間にあったストーリーをけっこう思い出すものだから。