約10年前になるのですが、自分が占いの仕事で生活をしていこうとして、その時にもちろんツテもなかったので、なんていうか荒野にひとり投げ出された気持ちになったことを今でも覚えています。なんかでも、不思議と全然不安はなかったのです。アホだからでしょうか。

その時、自分で「お客さんからお金を頂いて生活をしていく」やり方にしていこうとした時に、一番はじめに思ったことはタイトルにもあるように

「お客さんを自分の目的のために使ってはいけない」

というルールだったのです。

たとえば、僕がお金持ちになるためにお客さんがわざわざ時間とお金をかけて、僕の元に来てくれるわけではない。

何かこういうのってすごく大事な「空気感」として必ず伝わってしまうものだと思っていて、昔大好きだった飲食店のオーナーの方が、「なんかあれ?笑顔が作り笑いになりましたよね?」とか、そういうのって接する側ってすぐわかっちゃったりするじゃないですか。

もちろん、ひとりの人間として「幸せになりたい」とか、「自分が楽になりたい」とか、そういう目的を持っちゃいけないってわけじゃないです。全然。そんなもん、ドMじゃないわけだから。

でも何か、せっかく自分のお店を開くとか、自分の技術でご飯を食べていくと思ってやってきたのならば、「年商○○円」とかの目的追求は必要かも知れないけど「あ、こっちの方がお客さん喜んでくれるから、年商ちょっと減ってもしょうがないや」って、なんかこう、そういう「余計なことをしている人」のところの方に、なんとなく「ここ、面白いぞ」という雰囲気って出来てくるんじゃないかと思うのです。それで、減ったものを違う手段でまた稼いでいくことを考えるのが仕事だとも考えています。

人が生きていくのに、そして、自分の事業をやっていくのに、ある程度の目的は必要だと考えています。

「なんのためにこれをやるのか?」

とか

「どういう存在になっていきたいのか」

とか。

ただ、その「目的」ってわかりやすいものだと実はあんまり面白くない空気が出てきちゃうような気もするのです。この辺のところはもっと話したいのですが、今の自分だとちょっと明確にはまだそれを言語化できなくて。

僕は何か、自分の仕事でご飯を食べるようになってからは、自分の仕事がどうしても子育てのように感じてしまいました。そして、それは今でもです。

〇〇ちゃんが大きくなって、それで新しいお友達ができたって。

この子を育てるのはめちゃくちゃ苦労があったけど、この子がいるおかげで今まで知らなかった景色とか、人間関係とか、そういうことが自分の人生の中に加わってくれた。

だから、この子(=しいたけ.)を自分の所有物だとか、自分が幸せになるために利用しないって今でも自分の中のルールとして決めているのです。幸せなんて、仕事終わってビールとか飲んで「うめー」って言えばそれだけで幸せなんだから。

僕がこの仕事を始めて、すごく楽しかったこと、そして、すごくゾッとしたことって、「こっちがやろうとしている空気感って、すぐにバレているな」ということでした。つまり、自分の仕事にハクをつけようとして、カッコつけたりすると、そういう「不純さ」ってバレる。

自分に自信をつけるために仕事があるんじゃない。

自分の野望を叶えるために仕事があるんじゃない。

もちろん、そういうやり方をしている人達を否定しているわけじゃないです。そういう人達カッコイイです。失礼に聞こえたらごめんなさい。

僕の場合は広場を作っていきたかったっていうのが唯一の目的です。

中央で真面目に本を読んでる子がいて、すみっこで壁にうんこの絵とか落書きをしている人が集まってくれたら楽しそうだなぁっていう。

仕事を持つことによって明日がどうなるかわからない世界になってくれたから、充分幸せで嬉しいんですよねぇ。すみません何か勝手に書き連ねて。読んでくれてありがとうございます。