僕の家の母方の親戚が左官屋さんなどの職人をやっていて、母方の家系の男の子たちは、毎年夏休みになると、職人の伯父さんの仕事場についていってアルバイトをするのがほとんど決まりになっていた。日給は8000円。高校生にとってみたら1日で稼げるバイト代としては破格だった。

 

ただ、その分仕事内容はキツかった。

 

夏休みで、毎朝5時起き。遠くの現場に行く時はもっと早く起きることもあった。夏の太陽の炎天下の中、ひたすらセメントなど重い荷物を運んで、それを職人さんが左官作業で塗る。休憩は3回あって、午前10時と午後15時ぐらいにジュース休憩(「そろそろ一服しようや」と言って、このジュース休憩に入るのが好きだった)と、お昼の休憩。キツかったけど、3回の休憩を目安に働いていたから、仕事は毎日あっという間に終わった記憶が残っている。

 

親戚の伯父さん達も、正月や法事などで見せるコミカルでやさしい顔とは別の、厳しい親方としての面を見せていた。めちゃくちゃに怒られたし、僕が誘った高校の同級生の友達二人は「明日からこなくていい」と言われて帰らされた。

 

肉体的にはキツかったけど、僕は職人さん達と一緒に働ける夏休みが大好きで、気づけば、高校の休みがくるごとにアルバイトをしていた。アルバイトでためたお金で南米のナマズとか、フグとかを買っていた。

 

働いている時の職人さんは、ほとんど何も喋らなかった。時々昨日飲み過ぎて辛いとか、そういうエピソードを喋ったりするが、ただ手を動かし、そして、仕事は完璧だった。時間通りにきちんと仕上げていた。

 

高校3年生になり、大学入学の勉強があったので、現場のアルバイトができなかった。

 

大学の入試に合格し、それを伯父さんに報告すると、すごく喜んでくれて、「家に来い。寿司を食べよう」と言ってくれた。

 

そして、その席で入学金をポンと渡してくれた。

 

伯父さんはうちが貧乏だったことを知っていた。

 

そして、大学の入学金についても「お前は黙って働く男だから」と言って、それだけ言って手渡してくれた。伯父さんがトイレに行っている間、伯母さんが「あんたが合格したのをすごく喜んでいたのよ」と耳打ちしてくれた。

 

あの時の封筒の分厚さ、そして、渡されたお金の手触りを今でも覚えている。

 

その手触りが、「人として何を大切にして、何をしてはダメなのか」というのをいつも思い返させてくれる気がしている。

 

汗水垂らして働く。

 

ちゃんと信用される無言もある。

 

あくまで、僕の価値観で他人に押し付けたいつもりなんて毛頭ないけど、真夏が近づくにつれて、セメントの袋を毎年運んでいたことを思い出します。