2018.7.9

思った以上に

人はわかりあおうとしないものだ

 

いちいち傷ついていたら

心が傷だらけになってしまう

 

自分だって気づかぬうちに

誰かにそうしているのだろう

 

人と人は

基本的には「わかりあえない」

 

それを受け入れることが

大人になる、という感じだろうか

 

そんななか一瞬でも

共有できることがあったとすれば

それはやはりご褒美のように思える

 

わかってもらいたい! というのは

たとえどんなによいものであったとしても

最終的にはエゴなのだろう

 

それが多いほど 未熟なのだろう

 

だからエゴごと受け入れて過ごす

 

「わからない」

「わかってほしい」

「わかってくれない」

「わかってもらえた」

 

そんな繰り返し

 

絶望も含まれている

 

優しい人というのは‥

それをぜんぶ知っている人のことではないだろうか

 

深い悲しみは愛を産む

もちろん 愛のために悲しむ必要はないけれど

 

絶望しながら生きることは

愛を抱えて生きているのと同じことだ

 

他に何もないというなら

そこには愛しかないということだ

 

ゆらぎながら

ゆるぎなく存在し続ける

この意識、生きているわたし

 

沖縄 ター滝にて