福島原発賠償訴訟原告森松明希子さんを囲む集いに参加 | 手塚たかひろ日誌

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1029日 福島原発賠償訴訟原告森松明希子さんを囲む集いに参加

森松さんは、なぜ避難したのか なぜ訴訟に踏み切ったのかなど、自分の経験に基づいてリアルに語られた。


彼女は、福島県郡山市に住んでいた。事故後、洗濯物を外に干すことも子供を外で遊ばすこともできない。どこまで気を付けてよいかわからない鬱積した状態が続いていた。事故の年のゴールデンウイーク 土地勘のある関西に子供連れで養に来た。しかし、福島で見聞きするニュースと関西のニュースは全く違っていたことに愕然とされたそうだ。福島では、「復興に向けて頑張ろう・・・」のキャンペーンは流されるが、原発事故の情報はほとんど知らされなかったそうだ。関西で原発情報に接して、福島に変えられないと思い、そのまま関西に残ったそうだ。

時々、郡山に帰るそうだが、除染したといっても大阪の10倍以上の放射線量が観測される。


避難しても、多くの方は母子避難で父親と別居、家賃の二重払いや父親が家族に会いに来る交通費もバカにならない。

郡山に住んでいる人も、放射能汚染の心配はしている。しかし、声を上げらない状態だと、現地の方に思いを寄せる。


避難も地獄 残るも地獄と彼女は表現された。このような状態を作ったのは国や東電の責任だ。昨年、超党派で「子ども被災者支援法」が成立した。これで、救われると期待したが、長期間、具体的な施策は行われず、先に出された基本方針案も、被災者の救済とはほど遠いもので、失望したそうだ。放射能から子どもや自分の体を守りたいとと思うのは当たりまえの人権だと彼女は語る。


除染に使うお金があれば、福島から人を出してほしい。それを訴える裁判に立ち上がったそうだ。現在、福島にいる方々が声を出しにくい状態があるから、700キロ離れたところにいる自分が声を上げなければと強く思ったそうだ。

肩をはらず、体験に基づき、国や東電への怒りを静かに語る森松さんのお話は、参加者に深い共感を生み出した。

山西弁護士の「 原発被害をうけたすべての人を救済する責任があることを明らかにさせたい」と話も、その通りだと思った。