幡生地域(旧生野村)の武久川下流域条里遺跡、すなわち水田の変遷を航空写真から追ってみた。
1948年当時の水田(写真の中央の武久川流域、国鉄幡生工場と県道で分断された東西3地域)は、ほぼ弥生時代のままの条里制を保っていた。また、当時の住宅地(幡生町)も並行した条里があった。高度成長に伴い全て住宅地に変化したが、東西よりやや左回転した条里はそのまま保っている。
条里制地割の一区画毎に地権者がおり、自然に一区画毎に売買され、条里制地割は保存され易いことを示している。逆に、乱れた地割は条里にすることは出来ず、乱れたままになると考えられる。
丘陵を削平して造成した最近の分譲住宅地は条里の他、西欧風の曲線街路など多様性があり、見極めが必要であることは当然である。
参考