伊能大図、赤間関全景(長府と赤間関を結ぶ道は前田経由の関門海峡沿いの他、住吉神社経由の内陸の長府道があった)
彦島と竹崎の間に埋立地が出来るが、大正時代から昭和時代にかけて出来上がるので、大和(ダイワ)と書いてヤマト町と呼ばれた。
以下、「赤間関絵図」長府博物館蔵を西から東へ分割して表示する。途中、時代の異なる別の絵図を挿入して比較する。
壇之浦あたり(右上に住吉神社があり、長府への内陸の道として長府道があった。この絵図では時代が古く右下の海岸沿いの旧山陽道が無かった)
参考
① 下関市の古地図(参考)
② 壇之浦砲台
③ 前田砲台
④ 火の山山麓の旧山陽道の痕跡
⑤ 源平合戦(阿弥陀寺あたり?)