赤間関 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

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伊能大図、赤間関全景(長府と赤間関を結ぶ道は前田経由の関門海峡沿いの他、住吉神社経由の内陸の長府道があった)

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伊能大図、彦島

彦島と竹崎の間に埋立地が出来るが、大正時代から昭和時代にかけて出来上がるので、大和(ダイワ)と書いてヤマト町と呼ばれた。

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伊崎、新地、竹崎(色付きが萩藩領)

{0C1355CD-DA84-4853-8FFD-89550C0BDF78}新地

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明治以降: 新地、竹崎、豊前田から細江、入江、岬之町、観音崎、南部、唐戸

以下、「赤間関絵図」長府博物館蔵を西から東へ分割して表示する。途中、時代の異なる別の絵図を挿入して比較する。

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巌流島、竹崎、豊前田、細江、入江

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入江、岬之町、観音崎

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観音崎、南部

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観音崎、南部、亀山八幡宮

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南部、亀山八幡宮(中央の入江が唐戸になる)

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南部、亀山八幡宮

{239DB3C2-680C-4108-A4FF-F06696FDE9F5}  南部、亀山八幡宮、阿弥陀寺、壇ノ浦

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引接寺、阿弥陀寺

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阿弥陀寺

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壇之浦(この絵図では海岸沿いの道有り)、みもすそ川

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壇之浦あたり(右上に住吉神社があり、長府への内陸の道として長府道があった。この絵図では時代が古く右下の海岸沿いの旧山陽道が無かった)

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前田と壇之浦を結ぶ、火の山山麓の旧山陽道は明確に描かれていない!ほとんど使われていないのであろうか!?

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現在の火の山、中腹の旧山陽道沿いが高級住宅街となっている。


参考

① 下関市の古地図(参考)


② 壇之浦砲台

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③ 前田砲台

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④ 火の山山麓の旧山陽道の痕跡

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⑤ 源平合戦(阿弥陀寺あたり?)

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⑥ 鎌倉時代初期、赤間関は一時、長門国府であった(参考)


⑦ 追加

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