日向坂、港区三田 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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会議で三田共用会議所に通ったことがあるが、二ノ橋で古川を越えて坂道を登っていた。ここが日向坂と呼ばれていた。

三田共用会議所の敷地は、かつて渋沢栄一の私邸であったが、昭和21年に国有地となった歴史がある。この敷地あたりに江戸時代初期に徳山藩の屋敷があったらしい。

圓徳寺
首都高下のニノ橋と古川
三田共用会議所、さらに道を進むとオーストラリア大使館
日向坂と三田共用会議所、さらにオーストラリア大使館
日向坂とオーストラリア大使館、イタリア大使館
東京都港区三田2丁目1 日向坂


参考

けやき坂46から電撃改名「日向坂46」の由来とは

日刊スポーツ[参考]


欅坂46の関連グループ、けやき坂46(読み:ひらがなけやき)が、「日向坂46(ひなたざかフォーティーシックス)」に改名することが11日、分かった。「ひなたざか」と読む「日向坂」は都内に実在しないが、「日向坂(ひゅうがざか)」は東京・港区の三田に存在する。坂道シリーズの先輩グループとなる「乃木坂46」「欅坂46」とともに、港区に関連する坂道グループが誕生することになった。

運営関係者によると、東京メトロの同名の駅がある乃木坂はもちろん、欅坂も東京・六本木の「けやき坂」がルーツ。実は秋元康総合プロデューサーは最初から「けやき坂46」として結成しようとしたが、「欅坂46」の画数が運勢的にも良かったため、欅坂46に決まったという。秋元氏の中には、今回も「基本的には実在する坂の名前をつけたい」という思いがあったという。読み方は違うものの、都内に実在する「日向坂」に決まった。空色のロゴには、「空高く跳べるように」という思いも込められているという。

関係者によると、読み方が実在の「ひゅうがざか」ではなく、「ひなたざか」に決まったのは、字画の関係だという。スタッフたちはどちらの読み方にするか最後まで悩み抜いたが、「ひなたざか」のほうが、ひらがなにした時の字画が、運勢的によかったのだという。「ひらがなけやき」からの改名らしく、ひらがな表記時の運勢にも気を配った上での決断だった。

16年5月に結成したけやき坂46は、当初は欅坂46の2軍的存在だった。だが、見る者を幸せにする「ハッピーオーラ」を武器に、人気を獲得していった。既に、日本武道館公演を合計6公演、満席になるファンを動員し成功させおり、実績は十分だ。運営関係者は「チームとしての力は、既にものすごくついている。秋元先生的にも、満を持してのデビュー発表だったんだと思います」と話した。

基本的にはこの日11日をもって、グループの名称が変わるが、メンバーにもサプライズでの発表だったため、グループ名を伴う活動や仕事については、急ピッチで順次対応していくという。テレビ東京系冠番組「ひらがな推し」のタイトルなどについては、この日の会見後に運営スタッフがプロデューサーと相談して決めていくという。

グループ名の由来となった「日向坂(ひゅうがざか)」は、東京・三田1丁目と三田2丁目の境目にある。麻布十番付近のニの橋から上り、上りきると三田通りへと続いていく。周辺には、駐日オーストラリア大使館や円満寺、當光寺がある。坂の標識には「ひゅうがざか 江戸時代前期南側に徳山藩毛利日向守の屋敷があった。振袖坂ともいった。由来は不明である。誤ってひなた坂とも呼んだ」と記されている。比較的静かな立地だが、今後はグループのファンの「聖地」となる可能性もありそうだ。