阿川小学校 上写真は当時の校舎、右は講堂で行われた村民表彰式およびピアノ開きのようす。〈豊北町阿川 上:年代不明,提供= 下関市豊北歴史民俗資料館、右:昭和28年,提供=宮田智津子氏〉 (下関市の昭和より)
しまどやの三毛猫
昔、阿川浦の〈しまどや〉という家に一ぴきの三毛猫が飼われておったそうな。この三毛猫はオス猫で非常に珍しいので、近所でも評判の猫であったげな。
ある日、その家のばあさんが山へ薪を取りに行った。近くの山はみんなが取って薪がない。だんだんと山奥へと入って行き、たくさん取れたので帰ろうとしたが、帰りの道がわからんようになってしもうたげな。困りはてていると、突然、そこに飼われていた三毛猫が現れ、家まで連れて帰ってくれたそうな。それから、ますますその猫が評判になったげな。
また、家の手拭いがなくなっていくので、不思議に思っていたら、ある晩、猫がその手拭いをくわえて出ていくので、家の者があとをつけた。肥中境の峠附近の広場で、たくさんの猫が集まり何か集会がある様子、陰に潜んで見ていると、何とその三毛猫が、ほおかむりをして一番高い所で、ニャーニャーと鳴いていたということであったげな。
おそらく、その近辺の猫の総元締ではと、ますます家の者から可愛がられて、天寿をまっとうしたそうな。
(朗読者用解説)
しまどやは門名で、島問屋の意味である。また、浦久家は向津具・角島方面と取り引きがある問屋で、大豆・小豆・木材などを阿川浦に運搬していたという。一般に三毛猫はメスに限られ、オスは極めてまれであるといわれている。
(豊北の伝説と昔話 第四集)
阿川のヘビタコ
この事件は、日露戦争が終わった数年後の海軍記念日(5月7日)に起こった。その日は雨模様の生暖かい日であったという。
河内のさるお年寄りが阿川の街を歩いていた。すると、寺の縁の下から数ひきのヘビがはい出し、一列になって移動している。不思議なこともあるものだと、あとをつけたところ、阿川の浜に向かっていた。
浜に出たヘビたちは驚いたことに沖へと泳ぎだした。しばらくすると、ヘビは一斉に体をくねくねとくねらせ、苦もんしていたが、突然、ヘビの体にタコの足が生えたかと思うと海中に没した。あとは静かな入り江に戻った。
数日のうちにこの目撃談は村じゅうにひろがった。浦の古老は、「昔から阿川浦では煮ても焼いても固くて食べられないヘビタコがとれたものだ」「さては、このヘビタコはヘビの化身であったのか」と語り、話を聞いていた一同も納得したという。
(朗読者用解説)
※海軍記念日 (明治三八年五月二七日)は、日本海々戦において東郷平八郎率いる連合艦隊がロシアのバルチック艦隊に勝利した日である。この記念にこの日を海軍記念日とした。
(豊北の伝説と昔話 第四集)
浦のキッネ
阿川浦の瑜伽社には通夜堂(漁師が直会をする所)があって、石造のキツネの一つがいが駒犬の代わりにありました。キッネが食物の神様(宇迦の御魂の神)のお使いということでしょう。
瑜伽社には浦の人がいつも魚を供えるので、それを狙ってキツネがいすわっておりました。釣道具屋の端島家では、仕入れた筋糸がいつもなくなるので不思議に思っておりましたら、明治10年に神社合併で社が解体されたときに、たくさんの筋糸が出てきて、キツネが巣をかけていたことがわかりました。
浦の人は南方のキツネが北方(金比羅社)の方に走るのを見ると、北方の漁が良いと言い、北方のキツネが南方(瑜伽社)の方に走るのを見ると、南方の漁が良いと言いました。
あるとき、人のよい魚売りが島戸で魚を買ったが、〈蓑の越峠〉で親子連れのキツネに出会い、どうしても逃げないので魚をやると、そのまま浦までついて来た。浦では魚が全部なくなっておりました。その晩、北方の魚売りの漁船が大漁をして帰った。人々はこれはキツネのお礼だろうと噂しました。
(朗読者用解説)
阿川のお祭りにはいつも、壺のなかの菓子をつかむ、「つかみ取り」というのがありました。たくさん菓子をつかもうとすると、入口の小さい壺は手が抜けなくなりました。お祭りというと、このようなお社の周りを遊びまわった少年時代を懐かしく思い出します。
(豊北の伝説と昔話 第四集)
モルサアーの話
昔、阿川と粟野の境、岳山のふもと安崎村に仲むつまじい夫婦が暮らしていました。
梅雨明けが間近い雨模様のある晩、夕餉を済ませ、ろばたで渋茶を飲んでいました。やっと田植えが終わり、ほっと一息入れる時期です。「なあー婆さんや、今晩はモルサァーが来るから、早寝をしようや」「そうですね」「あれが来るとうるさくなるし、あちらこちら逃げなければならないし大変」 二人は囲炉裏に薪をくべ、寝ることにしました。
ところが、泥棒が軒先から内の様子をうかがっており、話の様子では今晩はモルサァーがくるという。大層強い男のようだ。泥棒は急いで逃げ帰っていきました。
さて、モルサァーとはどんな男でしょうか。実はこの家はあばら家で雨漏りがひどく、この雨漏りを夫婦はモルサァーと呼んでいたのです。
(豊北の伝説と昔話 第四集)
(彦島のけしきより)