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京都国立博物館 特別展覧会「大出雲展」(その2)

古事記1300年出雲大社大遷宮 特別展覧会「大出雲展」、出品数は多いが、ほとんどが勾玉、土器、銅剣・

銅鐸・銅矛といった「考古」に属するもので、あまり見映えがしない。

この種のものに興味がある人以外には、面白味に欠ける展示と言わざるをえない。

会場の一部、出雲大社関連のコーナーは、写真撮影可となっていた。

真っ先に出雲大社境内遺跡模型

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続いて、古代の出雲大社推定復元模型

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平安時代の出雲大社本殿の高さは16丈、約48mで、当時の奈良大仏殿よりも高かったといわれる。

これはその本殿の、1/10の模型。

本殿は9本の高い柱で支えられており、長い階段のある正面中央の柱が宇豆柱という。

鎌倉時代・出雲大社境内遺跡出土の宇豆柱の展示もあった。

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思わぬ収穫だったのは、島根・鰐淵寺の観音菩薩立像が出陳されていたことだった。

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鰐淵寺・観音菩薩立像(『白鳳の美術 久野健/著』より)

遠隔地の像だし、その上、団体でなければ拝観できないと聞いていた。

この展覧会で拝見できたのは大変ありがたかった。

銘文もはっきり観察できた。

この像は、久野健先生の『白鳳の美術』という本で、わずか3点しかないという白鳳後期の標準的作例として

あげられている。

他の2点は、興福寺の国宝・仏頭と、大分・長谷寺の観音像である。

この本の中で、久野健先生は、この像について以下のように書かれている。

 もう一つの標準的作例は島根県鰐淵寺に伝わる壬辰年(692)の銘をもつ観音菩薩像である。この像には、銘文中に出雲という言葉も出てき、同地で制作されたことが分る。この像の壬辰の年を持統6年(692)とすることには、あまり異論を見ない。鰐淵寺の観音像は、当時の文化の中心であった大和を遠くはなれた出雲で作られたためか、旧御物金銅仏のように洗練されてはいないけれども、やはり、その様式は、独自のものをもっている。プロポーションは、頭部に比し、胴がみじかく、脚が長く痩型である。胴のくびれている点や、全身が瓔珞でっつまれている点け、先の観心寺の観音像に似ているが、観心寺像よりも肩幅は広くなり、やや肉付はよくなる。いちじるしく違うのは、顔付である。鰐淵寺の像では、先の観心寺の像や野中寺の弥勒像に比べても、神秘的な要素は全くぬぐいさられ明るいあどけない表情になっている。こうした変化は、また中国の斉周時代の彫刻から隋代の彫刻への変化に相応ずるものであり、白鳳後半期には、隋の影響が及んだことを示していよう。

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観心寺・観音菩薩立像(『白鳳の美術 久野健/著』より)

京都国立博物館 特別展覧会「大出雲展」

旅行の最後に京都国立博物館に行き、古事記1300年出雲大社大遷宮 特別展覧会「大出雲展」を見た。

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この出雲展、東京国立博物館でも開催されるが、展示内容はかなり違うということで、京博の特別展も見ておこう

と思ったのだ。

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現存最古の歴史書である古事記に、スサノヲが

―八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに

         八重垣作るその八重垣を

と詠んだと記す出雲の国は、神話世界だけでなく、じつに豊かな古代史が展開しました。
銅剣・銅鐸の大量出土や出雲大社の巨大神殿の柱発掘といった衝撃的ニュースは記憶に新しいところです。
本展は、古事記編纂1300年、そして平成25年に約60年ぶりで行われる出雲大社大遷宮を機に、出雲の古社、そして関わりの深い古寺の宝物と、出雲の重要遺跡から出土した品々を一堂に紹介する空前絶後の展覧会です。
本展の事前調査による新発見も盛り込んで、出雲神話と出雲大社の成り立ち、古代・中世の出雲人がはぐくんだ神と仏への祈りのかたちを展望します。

という。

(続く)

奈良国立博物館 特別展「頼朝と重源」(その6)

特別展「頼朝と重源 東大寺再興を支えた鎌倉と奈良の絆」と西新館「名品展 珠玉の仏教美術」を見終え、

なら仏像館を見る。

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それほど大きな変動はない。

第3室には相変わらず、金剛寺の降三世明王坐像が特別公開されている。

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特別展の方に移された第2室正面奥の浄土寺阿弥陀如来立像(裸形像)があったところには、奈良県大和高田市

弥勒寺の木造弥勒仏坐像が置かれている。

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本堂の修理が完了するまで、奈良博で預かるようだ。

第1室の奥(西側)には、【特別公開】定朝様の丈六阿弥陀像と称して、奈良県桜井市外山区中筋町(とびく

なかすじちょう)報恩寺の丈六阿弥陀如来坐像が置かれていた。

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この像は、ずっと奈良博内の文化財保存修理所で修理されていたものだ。

昨年の修理所公開の時はバラバラで悲惨な状態だったが、今年の修理所公開では「ほぼ仕上げの作業中」という

説明だった。

(続く)

奈良国立博物館 特別展「頼朝と重源」(その5)

第6章の「八幡神への崇敬」には、東大寺勧進所八幡殿の快慶作・国宝・僧形八幡神坐像の他、神奈川・

鶴岡八幡宮や奈良・手向山八幡宮の舞楽面が多数展示されていた。

なかでも鶴岡八幡宮の舞楽面「陵王」は出色の出来映えと思えた。

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これは大仏殿落慶供養に参列した頼朝が譲り受けたとされるものだそうだ。

この特別展の開催発表時の席上で、鶴岡八幡宮の吉田茂穂(しげほ)宮司は「頼朝公がいただいた舞楽面陵王を

奈良に『里帰り』させたかった」と話したという。

「頼朝と重源」展、7月21日から奈良国立博物館で
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201206190018.html



奈良国立博物館 特別展「頼朝と重源」(その4)

第2章の「大勧進重源」。

中央には東大寺俊乗堂の国宝・重源上人坐像が、360度露出展示されている。

しかも手を伸ばせば届くぐらいの状態での展示である。

この像をこんなに近くで拝見するのは初めてだ。

同じく東大寺俊乗堂の快慶作・阿弥陀如来立像

東大寺ミュージアムが完成して奈良博から東大寺に里帰りして以来、公開されていなかった東大寺公慶堂の

快慶作・地蔵菩薩立像
が久しぶりに展示されている。

なら仏像館から兵庫・浄土寺の快慶作・阿弥陀如来立像(裸形像)も会場に移されて展示されている。

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東大寺俊乗堂の国宝・重源上人坐像は、運慶説と快慶説があり、最近では運慶説が優勢らしい。

が、これを運慶作としても、ここには快慶作の仏像が3体ある。

また、第3章の「大仏殿再建 ―大檀越 源頼朝の登場―」には、石山寺多宝塔本尊の快慶作・大日如来坐像が、

第5章の「頼朝の信仰世界 ―鎌倉三大寺社の創建と二所詣―」には、広島・耕三寺の快慶作・阿弥陀如来坐像が、

第6章の「八幡神への崇敬」には、東大寺勧進所八幡殿の快慶作・国宝・僧形八幡神坐像が展示されていて、

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まるで「ミニ快慶展」といった感じである。

石山寺多宝塔の大日如来坐像は、三井記念美術館 での特別展「琵琶湖をめぐる近江路の神と仏 名宝展 」に

出陳されるというので、楽しみにしていたが、それより先に奈良博で拝見することができた。

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(続く)